- 締切済み
エジプトに関する様々な疑問を質問させてください。
どれか一つの項目でもいいので、ご存じの方がいらっしゃれば、ご教授お願いいたします。 (1)エジプトは中東・アフリカにある国で、世界一長い歴史を所有する国ですが、ヨーロッパから見たエジプトとは一体どのようなイメージなんでしょうか? 特にイギリスから見たエジプトについて知りたいです。 (2)現在、イギリスとエジプトの関係について知りたいです。 長年、イギリスに保護国として甘んじてきたわけですから、やはりあまり良好な関係とは呼べないのが現状なのでしょうか? (一応調べてみたのですが、調べ方が悪かったのか、結局分からず仕舞いに…) (3)トルコのEU加盟入りによって、エジプト及びアラブ諸国の利益にも繋がる(記事のURL→http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/080116-142300.ht...と記載されているのですが、具体的にどのような利益の潤滑があるのでしょうか? (4)2007年2月15日に、トルコとエジプトの間で、キプロス島でのエネルギー共同開発が結ばれた(記事のURL→http://blog.canpan.info/newsonturkasia/archive/)そうですが、現在どこまで開発などが進んでいるのか、詳しい内容を知りたいです。 (5)昔、ギリシア人は「ギリシアはヨーロッパ、エジプトはアフリカ」と優越感に浸っていたという話を聞いたのですが、それは本当でしょうか? (6)ギリシア独立戦争で、オスマン帝国がエジプトに助けを求め、それに答えたエジプトがギリシア独立戦争に参戦し、エーゲ海の諸島を瞬く間に占領しましたが、その後に続く「ナヴァリノの海戦」では大敗を喫しています。 この差は一体何が原因だったのでしょうか? 数もオスマン・エジプト軍の方が多かったし、エジプト軍はムハンマド・アリーによって近代化された海軍を持っていたので、技術による差異もないと思うのですが…。 (7)エジプトの歴史について勉強しはじめたばかりなんですが、おすすめの書籍があれば教えてください。 深夜遅くからの質問ですが、何卒よろしくお願いします。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
- MargnalSea
- ベストアンサー率20% (16/77)
(5)の一部のみ回答致します。 質問の昔について、いつの時点での昔か、という問題はありますが、 塩野七生「ローマ人の物語」の作中で、カエサルとクレオパトラの記述があるのですが、エジプトはギリシャ人が多く住む土地であり、ギリシャ文化も同化までは行かないがエジプトによく根付いていた、クレオパトラが自害した時には彼女は正装だったと記載されているが、ギリシャ式の正装なのかエジプト式の正装なのか分からない、と書いており、それほどまでにギリシャとエジプトは密接な関係にあった事が推測されます。 塩野氏の著作に毒されてしまった私としては、最早ギリシャ=エジプトであり、優越感があったかどうか、という観点からの質問は優越感も何もエジプトに住んでいるギリシャ人が優越感を持てるのかなあ、と思ってしまいました。(ギリシャ本国に住んでいるギリシャ人がどう思っているのかはちょっと分かりません、すみません。) ただ、これも上述の「ローマ人の物語」に書いてあった記述だったかと思いますが、塩野氏が推測するに、クレオパトラは古めかしいエジプト式の髪型から、エジプトから出国する際にはギリシャ式の髪型の方を好んで、そちらにヘアーチェンジしたのではないか、と書いておりました。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
ほとんど推測の域を出ませんが 1:一般的には、現実のエジプトはイメージが無く、古代エジプト中心のイメージのようです。 2:イギリス本国にエジプト人は少ない イギリスにとっては、インドの途中の道すがらがエジプト。で、保護国の時も、エジプト王はアルメニア人であり、オスマントルコの替わりにイギリスが来たくらいのものですから、あんまり気にしていない。 3:トルコがEUに入ると言うことは、トルコ経済の発展が推測されます。また、労働の自由化。トルコ経済の発展によって、近隣国も利益が出ることは、自明として。労働の自由化によって、トルコ人がEU圏に移動します。その空いたところに近隣諸国民が移動できます。 購買力平均で USドル エジプト 4,200 トルコ 7,400 ドイツ 28,700 近似的には、労賃と考えられますので、トルコ人が、4倍のドイツに労働力移動するのは自明(すでに、ドイツには、多くのトルコ人がいるので移動しやすい)そして、トルコ本国で必要になる労働者は、同じイスラム文化圏のエジプトからなら来やすい。 5:それは嘘でしょう。 時代が不明ですが、19世紀後半になり、アフリカ概念が拡張したと記憶しております。つまり元々は、アフリカとは、現在のアフリカ北部の豊かな地方(もっとも、昔 ローマ帝国の時代は、現在のチェニジアあたりがアフリカで、ローマ市民の食は、アフリカとエジプトで賄っていました)19世紀に入り、現在のアフリカ大陸全体がアフリカになり、暗黒という修飾語が着いたように記憶しております。 6:まだ 帆船の時代だったからです。 海軍力とは、基本的には「港」の力です。母港から離れれれば離れるほど弱くなります。自走する黒船の前では、母港つぶしがもっとも効率的なシーパワーの崩壊に繋がります。アレキサンダー大王が、地中海沿いに進軍したのは、ペルシャのシーパワーをつぶすためです。汽船の力により、シーパワーがグレーオーシャンからブルーオーシャンに移管したのは、19世紀後半、まさしく、ペリー提督の時代です。 ※ グレーオーシャン:沿岸中心で、母港近傍で力を出す ※ ブルーオーシャン:大洋で、長期間の軍事活動を行う。