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ヘンリー八世についての質問です。

歴史の事について調べていた時いろいろ出てきたのですが興味がわいてヘンリー八世について調べたのですがよく分からないので質問してます。 何故ヘンリー八世は国教会の首長になったのでしょうか? いろいろ調べてみたのですが出てくる情報はヘンリー八世に対する悪い事ばかりです。 彼は何をしたのでしょうか?(教会に入って) あと彼の周りにいた人間(トマス・ウルジーとか)についても詳しく教えてください。 自分なりに調べたのですが混乱してしまって・・・w どなたか教えてくれませんか?

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noname#125540
noname#125540
回答No.2

私が読んだ話では、最初の妃キャサリンとは嫌々結婚したのでなくてヘンリーが望んで結婚し、元々は仲睦まじかったようですが、問題は男子のお世継ぎが生まれないことでした。 そこで、自分より年上であったキャサリン王妃と離婚して、若くてまだ子供を産めそうなアン・ブリンと結婚したかったみたいですね。 キャサリン・オブ・アラゴン(カタリーナ・デ・アラゴン)は、スペインのイサベル1世とフェルナンド2世(カトリック両王)の娘です。 また、キャサリンの甥はスペインのカルロス5世(神聖ローマ皇帝カール5世)です。 当初はヘンリー7世の長男で8世の兄、アーサーの王大使妃としてイングランドへ嫁いできました。 ヘンリー8世も、本当はローマ教皇に離婚の許可を得たかったのです。 結局ゴタゴタした末に破門されてしまいましたが、当時、破門というのは非常に重大なことでしたから。 (もっと昔の時代に「カノッサの屈辱」というのがありました。あれも破門問題) が、ダメだったので、じゃあローマ教会から離れよう、と。 権力問題もあったのかもしれませんが、ローマ教会は強かったですから。 スペインのカルロス5世(キャサリン王妃の甥)が離婚に反対し、その軍勢を恐れて教皇が離婚許可しなかったという話もあります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E5%9B%BD%E6%95%99%E4%BC%9A#.E3.83.AD.E3.83.BC.E3.83.9E.E3.81.A8.E3.81.AE.E5.88.86.E8.A3.82 ヘンリー8世は確固とした跡継ぎが欲しかったようです。 愛人との間には男子もいたようなのですが、正式な王妃との間に息子が欲しかったんでしょうかね??継承権の問題? そのへんはよく知らないのですが。 一人目の王妃と離婚。幽閉先で死去(娘:メアリー1世) 二番目の王妃は結婚後3年で反逆罪で処刑(娘:エリザベス1世)。 三番目の妃ジェーン・シーモアがやっと王子(後のエドワード6世)を生みましたが、産褥死。 結局生涯に6人の妃を持ちます。 父ヘンリー7世がやっとまとめあげたイングランド王国を受け継ぎ、国の安定を引き続き守り、国をまとめたという功績はあるんじゃないでしょうか。 フランスやスペインとは友好関係を結んだり対立したり戦争したりと、力関係が微妙でしたし、イングランド内部もやっと安定した後ですし、確実な跡継ぎを確保しないとまた混乱するかもしれず、安心できませんでした。 でも評判悪いのも分かりますが・・・・。 ウィキペディアはお読みになりましたか? インテリで文化人だったようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC8%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8E%8B) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3 ウルジー枢機卿は王に信頼され宮廷で大きな権力を持っていた人ですが、キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚工作に失敗し、アン・ブリンにも嫌われたりして、失脚しました。 その後、遠くに追いやられていたのですが、裁判にかけられるために逮捕され、ロンドンに引き戻される道中で病死しました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%BC

  • Mumin-mama
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回答No.1

ヘンリー8世(在位1509~47年)がこれほどにも有名になったことの起こりは、先王ヘンリ7世が夭折した(亡くなった)太子アーサーの未亡人キャサリンを、王位継承者であるヘンリー8世と無理やり結婚させてしまったことが発端です。 この頃のイギリスは二流国にすぎず、スペイン王フェルナンドの娘だったキャサリン=オヴ=アラゴンは、当時のイギリスにとって最大の敵国フランスに対し、スペインとの同盟関係を維持するための政策でした。この頃スペイン王カルロス1世が神聖ローマ帝国の皇帝(カール5世《1519~56年》に選ばれます。そして、そのカールは1525年、バヴィア戦いでフランスに大勝利をあげたことで、ヘンリー8世はスペインとそこから嫁いで来たキャサリンに重圧を感じるようになったのです。その頃、ヘンリー8世の寵臣(ちょうしん)を勤めていたのがウルジーで、まだ、イギリスは手探りの政策をしていました。 キャサリンとの間に子供が生れますが、王女メアリを省いては幼く亡くなってしまいます。また、一方で宮女アン=プーリンが気になってしかたありませんでした。 この頃、カトリック信者は離婚が許されませんでした。王子が生れないことを理由にローマ法王に交渉を考えましたが、この頃、ローマ法王は神聖ローマ帝国の皇帝カール5世(スペイン出身)に「ローマの劫掠」以来、皇帝に頭の上がらぬ状態に置かれていました。 ウルジーはヘンリー8世とローマ法王のパイプ役をし、その頃のカトリックは「教会に巡礼したり、献金をすると天国に行ける」というようなことを唱えていました。ヘンリー8世は離婚問題を解決できないウルジー(法王大使)が疎ましくなってきます。そして、国民に、彼の罷免とローマ法王の権力からの独立を唱えるようになります。 その頃神聖ローマ帝国ではマルティン・ルターが宗教改革(1517年)唱え始めグーテンベルクが印刷技術を発明して聖書がルターによりラテン語からドイツ語に訳され出版されます。宗教改革によりそれまで、献金や巡礼者の落とすお金で潤っていた教会でしたが、聖書が読めるようになっり、献金を重荷に感じていた中産階級などのローマ教会離れがおこりました。このことは、1529年のヘンリー8世が招集した議会でローマ法王の権力から独立することにたいへん好都合な結果をもたらしたのです。 ヘンリー8世はキャサリンとの離婚請求を諸大学や著名人から意見書や請願文を1530年ローマに提出しますが、拒絶されたために、ローマ教会との断絶を決意します。 そこでまず、国内の僧侶を屈服させるために、 さきに全僧侶がウルジーの法王代理権を認めたことは、14世紀に議会がつくった法規(宗教上の起訴事件に対する国外の裁判権を排除するもの)に違反するとのかどで、100万ポンドの罰金を支払わせた上、王が「イギリス教会の保護者にして地上唯一の首長」なることを承認させてしまいました。 こうしてイギリスの教会はヘンリー8世の権力化におかれ、教会関係のあらゆる訴訟事件を直接ローマに上告することを禁ずる法案が議会で通過し、その結果、ついに1533年5月、新任カンタベリ大司教クランマーは、キャサリンとの結婚の無効を宣言し、すでにヘンリー8世の子(エリザベス女王)を宿していたアンを王妃とみとめました。 ローマ法王はあくまで離婚に反対し、ヘンリー8世の選んだクランマーや国王を破門に処しましたが、ヘンリー8世には痛くも痒くもなかったでしょうね。 よく1534年には「国王至上法」が議会で可決され、イギリス教会は名実ともにローマから分離、独立、国王の完全な支配を受ける国民教会が誕生します。 「直接神のもとに立つイギリス教会の地上最高の首長」たる王がいまやローマ法王に取って代わり、その法王は単なる「ローマの司教」となっってしまいました。 と、言ったようにヘンリー8世の素における英国教会の成立は、宗教的動機というより、彼の個人的離婚劇から発していて、その後も彼自身の都合で次々に王妃をかえ結果的に6人と結婚し、中には処刑された元后も居ました。 宗教に関しては、もともと、1521年にはルター非難でローマ法王より「信仰の擁護者」の称号を受けたにもかかわらず、離婚がうまく行かなければローマとの政治的分離を達成し、自分の都合が悪くなればウルジーや后を処刑しています。 1536年に制定した「十か条信仰白書」では、ルター主義に譲歩を示しますが、その3年後の「六か条法」ではカトリック的なものに逆戻りし、国内のプロテスタントに対して容赦なく弾圧をし、ヘンリー8世の命で行なわれた「宗教改革」ではそれまであった400以上の旧修道院の土地財産や教会財産が没収され、王室の財産や経費に当てられました。 (注)ルターが宗教改革で離婚を認めている分けではありませんので誤解のありませよう。 YouTubeで下のタイトルで検索してみてください。イメージが湧くと思います。 Henry VIII And Anne Boleyn - My Immortal

参考URL:
http://www.ge.fukui-nct.ac.jp/~kodera/henryswives.html

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