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構造の次元について

すれ違いだったらすみません。 数学か心理学だと思うのですが。 例えば、市町村が集まって、都道府県になり、都道府県が集まって国になり、国が集まって地球になり、惑星が集まって太陽系になり、という構造のことをどういいますか? 最初ヒエラルキーかと思ったんですが、そういう言葉よりは次元という言葉がぴったり来ると思ったんですが。 認識の問題なのか、幾何学的構造なのか、という感じなんです。つまり認識の対象を一つの主観世界と仮定すれば、次元の問題かな~とも思います。 アドバイスお願いします。

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回答No.2

以前、原子核の周りを電子が回っているというモデルを見たとき、この電子、あるいはもっと微細な構造にも、生命体が住んでいる我々の地球のような構造が存在し、一方我々の銀河系も、さらなる極大構造においては、一つの微細構造に過ぎず、我々にとっての何百億年を一秒にすら感じない生命体がいるのではないかという妄想をしたことがあります。火の鳥のどこかにもそんな話あったと記憶しております。 仮にそのような存在があるとしても、我々は極大極小どちらの存在とも交信することはできません。大きさと感じる時間があまりにもかけ離れすぎているからです。そのときに、これが次元の違いと言う奴なのかも知れないなと思いました。存在の次元とでもいいますか、何ともうまく表現し難いです。その構造の何に着目するかにもよるんでしょうね。数学というより認識と表現の問題かもしれないですね。 構造それ自体が何であるかを考えずに、構造の中にさらなる構造があり、それがいつまでも続いていくという「構造」という意味で、どこまでいっても同じ繰り返しの「自己相似」や「フラクタル」という言葉も連想しました。

sheep67
質問者

補足

回答ありがとうございます。 返事が遅くなりすみません。 僕も全く同感です。 認識の対象を一つの主観世界と規定ーつまり、この世界は市町村の集まりだと見る世界と、この世界は国の集まりだと見る世界では、別の世界だと考えると、それぞれに縦横高さ時間を持った4次元の時空が、無数になることになります。 そして、それらの主観的時空間の関係は、確かに複雑系だと感じます、いえ考えます。 このモデルが、数学で規定できるのか、心理学的な問題なのか困っているところです。 こういう問題ー認識と次元の問題に関連ある言葉として、ヒエラルキーや、哲学で言う止揚や、韓国の国旗ー太陰大極図や、それらしき概念はたた言われているのですが、完全に論理的に説明している文章には出会ったことがありません。 たぶん多くの人がこの仕組みを感じてはいても、表現が難しいのだろうなとはいつも思っています。 これ書いていてさらにややこしくなってきそうです。

その他の回答 (1)

noname#50894
noname#50894
回答No.1

>例えば、市町村が集まって、都道府県になり、都道府県が集まって国になり、 >国が集まって地球になり、惑星が集まって太陽系になり、という構造 >: >最初ヒエラルキーかと思ったんですが 私は日本語の“階層化”という言葉に該当するこの用語で良いと思います。 なお、「階層的な」組織(言い換えると人間の上下関係)を表す事も多いので、 カテゴリー…事柄の性質を区分する上でのもっとも基本的な分類 という言葉を、私は好みます。 >そういう言葉よりは次元という言葉がぴったり… 例えば、三次元空間での“縦、横、高さ”のように、長さという共通の“単位”をもつ “互いに独立な要素”の個数として表現される、空間の広がりを表す指標。 として用いられるので、多少ニュアンスが違うと思います。 それとも、三次元、四次元…を比較して使う用語 #次元が違う という意味合いですか。 数学的には、 ・三次元ユークリッド空間の要素x∈R^3をx∈R^4として論じても意味がない。 という使い方をします。 >つまり認識の対象を一つの主観世界と仮定すれば、次元の問題かな~ この箇所が、私には理解出来ません。 数学を勉強する際には、用語に惑わされて下手な妄想を抱いてはいけない、 と、ある有名な数学者は言われました。 (時には、日常感覚から離れた使い方もある)用語と用語の定義を明確にして、 議論を始めるのが、数学、更には学問一般の方法ですね。 従って、命題を最初に与え、それに相応しい用語は何かという本テーマ、 は数学とも心理学とも言いがたいと思いますが。 “成人病”という言葉が、“生活習慣病”という言葉に置き換えらたように、 適切な用語の使い方というものはあるはずなので、このこと自体は意味の あることだと考えています。誤解されませんように。 ・この内容にふさわしいカテゴリーはどこでしょうか? という、質問コーナーがあっても良いですね。

sheep67
質問者

補足

回答ありがとうございます。 返事が遅くなりすみません。 この問題は本当に悩ましいです。 確かに客観的科学では、定義や論理性が命ですが。それを主観が関係する問題に応用してもいいのか?もしいいなら、どういう方法をとるのか、という問題がありまして、これを、今は勘だけでやっています。本来厳密に規定すべきなんでしょうが。 ふさわしいカテゴリー本来この問題がカテゴリー分けの定義の問題とも言えるので、さらにややこしいです。というか複雑系です。 数学でも、もちろん厳密さと同じく、直観も大事です。どちらが欠けても数学は成り立ちません。 僕自身は、直観として共通する感覚を、数学から引用してできればと思ってるんですが、その引用がいい加減なあまり、ロジカルな厳密さを失い、ただの疑似科学のような形になることは絶対避けたいと考えています。といっても、メンタルが絡む限り、ロジカルではあっても、客観的観察と実験と再現性、という問題はクリアできないかもしれないですが。 難しいです。