墓と考えられている場所(二箇所)は、教会(聖墳墓教会)が建てられた場所と、もう一箇所は園の墓と呼ばれる史跡になっています。どちらも、「永眠の場所」ではなく「復活した場所」として、多くの信者が訪れています。
復活したと考えられ(又は信じられ)ていますので、墓の学術調査はしようと思わないのでしょう(死体があれば発掘する価値ありますけど無い、というのが西洋の常識ですから・・・日本の天皇陵だって発掘はほとんど許されません~畏敬の念があれば躊躇するのでは?)
「復活」の有無については5世紀ころの公会議で議論されていますが、当時の議論は当然科学的なものではありません。(神学的なものです)
科学が進歩した現代でも、葬られたとされる場所がエルサレムですから、過去に幾度も戦火に見舞われており(当然民衆や兵士が死んでいるでしょう・・・炭化した死体の一部が発見されても特定できません。それに火災に伴う高熱は有機物の識別を困難にします)、教会も史跡も信者の接吻を繰り返されているでしょうからDNA鑑定その他も行えないと思われます。
イエスは、復活後天に昇った、と聖書に書かれていますから地上をこそこそ隠れ歩く必要はありません。よって、地上にイエス・キリストの肉体又は死体の痕跡は無い、というのがキリスト教世界の共通認識ですから、科学的な分析は聖遺物の調査が行われる程度です。(あるいは、古い羊皮紙が発見され聖書の写本だった場合に年代測定を行ったり、です)
P.S.
科学的な立場から、宗教を見つめ直す行為は迷信の打破には役立つでしょう。しかし、科学で証明されたら信じる、という考えは無駄になると思われます。何故なら、科学で証明された神は、科学法則に従う奴隷でしかありません・・・化学の法則を「信仰」する人はいないでしょう?それは「信じる」という行為ではなく、法則を受け入れるだけの事ですからね。
参考になれば幸いです。
お礼
回答ありがとうございます。 候補地が2箇所もあるのに・・・。 信じていて「常識」だから調査しないなんて・・・。 「大量破壊兵器がある」と「信じていた」とか・・・。 イエス・キリストが神であろうが何であろうが彼の伝えたメッセージは偉大だと思います。「隣人愛」とか「許し」とか人の考えかたを大きく変えうる力を持っていると思います。 そういう常識は「キリスト教国」といわれているところにすんでいらっしゃる人々にはないように映りますね。 とことん疑って、とことん調査していくうちにいい面も悪い面も見えてきて両面がはっきりとしてくるというか、焦点があたるというか、そういうこともあるのではないかと私は思うのですが・・・。 私見を長々とすいませんでした。