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この世の全ては…

哲学がすごく好きでした。 子供の頃から、そういう分野に興味がありましたが、そういう学科はなく正直餓えていました。 ネットが普及したおかげで、気軽に色々な疑問や考えをネットで議論することができ、同じように考える人もたくさんいることを知り、その種の本もいくつか読むことができました。 どうも色々考えた末、この世の全てのありとあらゆるものは愛によってできているという答えが自分なりに出てきて、自分なりに納得がいき、確信みたいなものも持てるようになりました。 それは大分前のことになりますが、それからも色々実践や勉強を重ねていき禅のほうも勉強しました。ちょっと不思議なことも色々と起こりました。 東大級の学力を持つ方とお話ししたところ、それは文学的ですね というお答えでした。 この世で最も尊い方にお話したところ、それは辛かったろう というお答えでした。 皆さんはどう思われますか? ちなみに最近のものに限って言えばそうではないものも多いのではないか ということでした。 永く生き、色んなことを経験した場合、どうも因果律、行ったことの+と-がきっちりと計算されていて、その分が本人に返ってくるようにはなっているのですが、それよりも、愛やら感情やら、もっと複雑な物に傷ついたり、与えたり、或いは解き放ったりした場合のほうが、エネルギーやら評価が高いようなのです。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.9

愛は執着があるような さらりとしてないような いろんな感情がくっついているような つながっていたい 欲求のような 複雑さがあるが 朝のすがすがしいすっきりとした空気のような 冬の冴え冴えとした星空のような 澄みわたった波紋ひとつない 水面に映る月のような さやけさ がない

hosiboshi
質問者

お礼

そうですね。 丁寧なお言葉(詩?)をありがとうございます。

その他の回答 (45)

回答No.5

自然界に恨みはあるのだろうか 自然界に憎むということはあるのだろうか 恨みの根は大地に受け入れられるのだろうか 大地から離れ 自然に背けばやがては腐る 我々は元々どのようであったか 自然界に満ちているものは 澄みわたった わか さやけさか 浩然の気か

回答No.4

恨を深く沈めて 闇に根をおろし 愛を歌う 影を慕いて わ さやけさの精神性の喪失 魂の敗戦

  • altered
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回答No.3

 もちろん「人間社会」に限って言えば「愛」は最重要なファクターの ひとつだと思います。(私としては、ネコや犬などのペットも含めたいですが)  ただ、私は、人間はこの世の、ほんの1部しか知ってはいないと思います。(だからこそ、生きるのが楽しいですし)  そして「愛」の陰には常に「憎しみ」が寄り添っていると思います。

回答No.2

そう言えば無難ですね 愛を深めていけばいいです あれも愛 これも愛 きっと愛 みんな愛

回答No.1

こんにちは、質問が好きですね。 ただうまく回答出来るかは自信がないのですが・・・ 私はあまり頭がよくないので、視点が低いかもしれませんが・・・ あらゆるものは愛によってできているという考えは 私は「どうかなぁ・・」と思います。 本質的なものは愛でできているものが、 年月が経つにつれ、人から人へ伝わったことにより、別のものに 姿が変わっているのではと思います。 最初の人・物などは愛でできているかもしれませんが、 次の形(抽象的ですみません)では全く変わってしまっているものが多いと思います。 別のものに変わってしまったものは、最初の形には戻れなく、 本質的な部分は根本から違うものになってしまっているのではと。 一方的な考え方では正しいが、客観的に考えると 正しいものはひとつもないのではないのでしょうか 私はすべてのものは「無」なのでは考えます。 愛と感じるのは残されたものが感じることであり、 「無」からうまれたものを愛と思うようにしているのではないかと。 「無」が怖いと感じる人やものが「愛」というものを感じるのではないでしょうか。 駄文ですみません

hosiboshi
質問者

お礼

すいません。色々聞いてみたいことがあるというか、このサイト様には大変よくお世話になってます。 最初のものがそうであるなら形が変わっても、どうあれ根には根付いている気がします。 ただ無難な答えだという意見もありましたが、やっぱり大変極端な考えでもあると思うので、今思えばちょっと若いなあと思います。 正しさも色々ですけど、 >一方的な考え方では正しいが、客観的に考えると 正しいものはひとつもないのではないのでしょうか こういう考え方は極めて正しい考え方であると思います。 ちょっとひねた答えですけど。↑ 全てが無であると考えるのは、ここに有が存在していることが事実としてあるからで、現実を実感し、無を悟り、そして愛着が生まれ、愛が一番根絶にあるのではないかという答えに至ったのですが、 それが正しいか正しくないかはさておき、始まりの、なんにもないところに、この現実を構築したひとは、やっぱりものすごいと思います。 なんの因果か知れませんが、直接質問できる立場にいるので明日聞いてみます。 ものすごく幸運なことなんでしょうね。 どこまで確信に近づけるかはわかりませんけど。 ありがとうございました。 結構なお返事でした。 ありがとうございました。

hosiboshi
質問者

補足

質問の通り捉え方もやはりひとそれぞれですね。 当たり前ですけど。 大変参考になりました。 まとめて返信に変えさせてください。 筆?無精をお許し下さい。

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