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京都の寺社の歴史について。古い建造物で国宝や世界遺産に指定されてないのは?
京都の寺社の歴史についての質問です。 京都市において、江戸時代以前に建てられた寺院or神社で国宝や世界遺産の指定を受けていない建造物ってありますか?清水寺とか歴史的に古いものは何らかの指定(世界遺産・国宝)を受けていると思うのですが、歴史は長いのに何の指定もされていないものを調べています。 宜しくお願いします。
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まず、国宝・世界遺産となるとまだまだ京都の文化遺産の内のごく一部だけですので、ほとんどがそうだ、という話になってしまいます。 ですので、まずは国指定の重要文化財も対象外と仮定します。 とは言え、これでも実は相当数対象となる建造物は残ってしまいます。それだけ京都には歴史のある建物が多い、ということです。 そこで、さらにレベルを細かくして京都府指定、さらに京都市指定・登録文化財までも外したところで探ってみます。 それに該当し活これまでに拝観したことがある中で最も古そうなのは常寂光寺の仁王門です。南北朝期に建てられたようです。ただ、桃山末期に移築されていますのでどれだけ原形を留めているかは不明です。ここは今のところ何の指定も受けていないようです。なお、こういったところも年々何らかの指定は受ける傾向にありますので最新の状況は判りません。 続いては橋寺放生院(宇治市)の本堂は室町期、となっています。但し、おそらくこれは寺伝の年代で、ここは江戸前期に火災に遭っているようですからその後の再建かもしれません。 建築の場合、資料によって年代が様々に分かれてしまう、ということが結構あります。基となる資料や様式の判断基準をどこに置くか、によって見解が異なってくる場合があるからです。 いずれにせよ、おそらく江戸期には建てられているものでは。 さらに、小町の寺として有名な随心院本堂もお寺の見解では桃山期の建造です。 桃山期ですと常寂光寺本堂、安楽寿院大師堂などもそうなっています。 ついでに言いますと、宮内庁が管理する建築物に関しては奈良の正倉院以外は他の文化財指定などを一切受け付けていないので全て無指定です。建築年代がよく判らないものが多いですけれど。 中では安楽寿院のすぐ南にある近衛天皇陵に当たる多宝塔は豊臣秀頼が再建したという見事な建築で、国宝級、少なくとも重要文化財は間違いなし、という立派なものです。出来から言うとここまで挙げた中では一番かも。 江戸期に入るともう数限りなくある、といって良いですし県・市レベルの指定チェックを仕切れませんので割愛します。
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- fumkum
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>京都の寺社の歴史について。古い建造物で国宝や世界遺産に指定されてないのは? 応仁の乱をはじめとして、幾多の戦乱や災害で京都は焼け野原になったり、建物が倒壊することが多く、京都中心部の洛中は千本釈迦堂が鎌倉後期のものが最古です。郊外では醍醐寺の五重塔が平安時代のもので最古になります。ほとんどの建造物は江戸時代以降に建てられたものが多く、古いように思われますが、本当は他の地区に比べて-奈良とか-新しいということが指定されない真相です。 他に明治の廃仏毀釈による破壊の場合も有ります。 以上参考までに。