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中二病は何故起こるのか?
中二病は何故起こるのでしょうか。 漠然とした質問ですが、どなたかご存知の方、こうではないかと意見をお持ちの方がいらっしゃいましたら回答をお待ちしております。
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中二病という言葉は初めて知りました。 あくまで個人的な見解として少し述べてみます。 生まれたての赤ん坊は本能そのものと言えますが、2,3歳頃になるとすでに自我に目覚めます。 3,4歳ぐらいに第一次性徴期となり、性的な快感にも目覚めるようになります。 ただ、この頃の性感は必ずしも性器だけに集約されているわけではなく、口唇性欲、あるいは肛門性欲などとしても分散されることが殆んどで、この第一次性徴期は性欲が性器の統制化に移行し始める時期ということになります。 しかし、この性感は一般的にいって小学校入学直前の5,6歳頃から、両親や周囲の大人たちによりある種の禁制を受けるようになります。 ここから「性の氷河期」と呼ばれる時期がスタートし、ご質問の中二頃、すなわち13,14歳頃まで続きます。 13,14歳頃になると性は第二性徴期を迎えることになり、いわゆる思春期に突入することになります。 氷河期という性の禁制(抑圧)があればこそ華やかな「春」を迎えることが可能になります。(重すぎる雪が若芽をへし折ってしまうように、過剰な抑圧は逆効果になりますが) 少し話は戻りますが、第一次性徴期を迎える頃においては、主に両親の躾により良し悪しの区別を強制されるようになり、善を希求する超自我性の確立に向けてのスタートもきるようになります。 つまり、この氷河期に当たる時期というのは(あくまで大雑把な捉え方ですが)自我や超自我の確立に向けて夥しい努力が行なわれるのに比して、本能である性欲は極めて抑圧された状態に置かれることになります。 無論、次へのジャンプのための抑圧なわけですが、これが第二次性徴期という適正な時期を迎えて一気に花開こうとするわけです。 「適正な時期」というのは、身体が性欲を適正に具現化できるまでに成長した時期という意味になります。 本能は快を求め、自我は得を、超自我は善を、それぞれ求める精神性と言うことができます。 第二次性徴期における、こういった「快と得と善の葛藤」が摩擦熱を生じるのは自然な現象と言えるでしょう。 中二病の本質とは、この時期(思春期)に昂進してきた性感と人間としての超自我性への希求に存在する様々な矛盾・対立を乗り越え、自己アイデンティティを確立しようとする精神性の表面化したものと言ってよいのではないか、と思われます。 つまり、「病」というよりは「形態」と捉えるほうが適切ではないかと考えます。 >何故、背伸びをするのか。 :上に述べましたように、急速に昂進する性感(=本能)と、自我や超自我とのバランスを早く取ろう(取らないままでは不安定なので)とするからでしょう。 各要素の幅も深さも拡げつつバランスを早く取りたい、ということだと思います。 >何故、大人は汚いと思うのか。 :大人といえどもバランスがとれている人は少ないと言えるでしょう。 中二ぐらいの方は自我の確立途上であるのに対して、大人は(適正かどうかは別にして)ある程度の自我を保持していなければ社会的に生活していけません。 つまり、超自我などにおける善などに対してある程度の妥協が存在せざるを得ません。 妥協するに至っていない若い精神性からすれば「汚い」と感じるのは(これも適切かどうかは別にして)ごく当然のことであろうと思われます。
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- super32x
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インターネットの掲示板でも、よく「中二病」という言葉を目にします。 まず間違いなく相手をからかうために使っているようですね。 そして、中二病とは「中学二年生(及びその前後の年齢)」に対して使う言葉では無いというのが重要だと思います。 中学二年生ならば、思春期のまっさかりです。そしてまだ反抗期の時期でもあります。多かれ少なかれ皆様ご経験がおありだと思います。 それを考慮に入れた上で。 「中二病」とは、実年齢が大人、またはそれに準じる人に対して使う、一種の悪口なのです。 どういう人に対して使うかと言えば、 「場の流れを壊す発言をする人」 「大勢の意見とは反対の意見を、説得力を持たずに言う人」 「非現実的な性の話をする人」 などが多いように思います。 まるで成長が中学二年生でストップしたかのような振る舞い、ということですね。 成長が止まっているのならそれは病気かもしれないぞ、というオドシも含めて、昨今の人は上記のような振る舞いをする大人に対して「中二病」という言葉を投げかけている、とわたしは見ています。
補足
>「中二病」とは、実年齢が大人、またはそれに準じる人に対して使う、一種の悪口なのです。 !? そうなのですか? 前置きしておきますが、決してカマトトぶっている訳ではありません。 私は実際に「中二病」という言葉を用いる時に、自分自身を自嘲する意味合いの言葉として使っており、あるいは子供の頃は~と仲間内で自嘲する時に使っていたのですが、対象が赤の他人の成人以上だとは思っていませんでした。 例えば、洋楽に憧れる等は中高生であれば中二病ですが、大人が聞くものはマニアとして分類されると思うのです。 またコーヒーをブラックで飲みたがる、というのは中高生の時分には意味も無くやっている訳で中二病ですが、大人になればそれなりのお店に言って本当に美味しいと思うからブラックで飲むのであって、これも中二病ではないと思います。 勿論ネット上では相手を揶揄する為に中二病と断ずる事もあると思うのですが、その行動が如何な幼稚な行動であっても絶対的な年齢によって弾かれるので、大人に対して中二病という言葉を使うシチュエーションは無く、本当に中高生である人間の掲示板の書き込みに対して使用する言葉と思っていたのですが・・・。 ともかく、回答ありがとうございました。
- tumaritouo
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これは、脳の機能が、子供の脳から大人の脳に発達する事によって起きます。人間の理想の姿は、キリスト教では幼子が一番天国に近いという事を云います。仏教でも子供のように純真な心でと言います。この事と「禅宗」の「悟り」を開いた「高僧」の云う事が一致しています。 それは、どう云う事かと言いますと、剣術の達人が、禅僧に教えを乞うことによっても分かります。現代のプロゴルファーが優勝の懸かった「一打」のために「禅」を習うと言う事によっても、分かります。 「剣の極意は心を何処にも置くな」すなわち無心になれ、或いは、「意識しないで、ただ行動せよ。」或いは、「何も期待しないで行動せよ。」或いは「平常心是道」と言う事が子供は分かっている事です。 子供は脳の機能分化が発達していないために、自然にそうなっているのです。苦しくても只苦しいだけ、楽しい時も只楽しいだけ。 それが、脳の機能が発達してくる時に、論理、分別、知恵が付いてきます。その事が問題となります。脳の機能の中で1,981年に「分離脳」の研究によって、得られた結論が在ります。 そのI 左脳には一つの人格があって、右脳にも一つの人格が在ってそれぞれは全く違うものである。従ってその意識その主張するところも全く違うものである。 そのII 左脳の機能は言葉に出来る事を扱っている事。論理的、知的、分別的なこと。結論としては「有限」を扱っている。今の人間の意識。 右脳の機能としては言葉に出来ない事、分別出来ないこと。喜怒哀楽、恐怖を起こさせる事、感動を起こさせる事、無意識の領域を扱っているために、ほとんどの人の意識としては意識出来ないことが、多い。「永遠、愛、人としての連帯感、無限の世界」理屈によら無い事。直感など。 その事で、中二病が強く出た人には、道元、盤珪、白隠、など多くの宗教家が「無常」を感じて出家しています。「無常」と言いますが、これは、悩みという風に置き換えても良いと思います。 では、悩みとは何か?と言う事になりますが。一言で言えば「矛盾」です。一人の人の心の中の矛盾です。左脳の現意識が「有限の自分を論理的に死に行くもの。」と定義します。ところが、右脳の意識が「永遠のもの、命」に対する憧れを呼び覚まします。そこで、人間が悩み、苦しむのです。 悩み、苦しみは左脳の意識が、永遠の命を求めてもついに手に入らないと感じられる処に在ります。言い換えれば。右脳に在る意識「仏性」が左脳の意識にそんな事はないよ。俺が助けてやるよ。と云って手を差し伸べている、にもかかわらず、その手を払いのけられるところに在ります。 その事を、端的に物語っているのが。「禅」と「神経症」です。神経症は左脳の分別で世の中を生きてゆこうとしている姿です。 極度の不安感から発症すると考えられていて、その事を乗り越えるために又、左脳の分別で力んで生きている姿と言えます。 その解決のために、昔の禅匠が考えたものが「禅問答」なるものです。この問題は、左脳の分別では解けない問題です。左脳に在る意識が命掛けで取り組むなら、解決の糸口が見つかるかも知れません。その糸口とは、どんなにしても解けない事が分かった時です。その時に左脳の現意識がギブアップ、してもうダメと言った時です。その時に右脳の「仏性」が出てきて問題を解いてくれます。 その時が「見性」をする。「悟りを開く」他力宗なら、向こうから「お助けが来た」と言います。その時左脳の現意識と無意識の中の意識「仏性」が出会うのです。その時には、現意識は「永遠の命に抱き抱えれます。その事によって。自分の命は死ぬ時が来たならば、しかたないのだ。という「絶対肯定」という足場を得る事が出来ます。 心は、二つの意識が出会う事によって、矛盾が解消されます。その矛盾の無い心は「涅槃」という言葉がありますが。「絶対の安心」と言えるものです。悩みの元となっていた心の矛盾が解消された心です。 お釈迦様の教え、「禅」の目指すところは究極の精神療法。究極の心理学と言ってもよいのです。 「禅」は、右脳の意識が主導権を握っている生活といっても良いと思います。 「神経症」は左脳の現意識が主導権を握ってしまい。解けない問題を前にして、立ちすくんでいる生活。と言えます。
補足
拝読致しましたが、ちょっとまだ分からない部分が多く・・・。 きっと、一読しただけでは分からず、年と経験を得る事によって理解ができるのでしょう。経験未熟な今の自分ではまだまだ禅の世界は分からない部分が多いです。 禅と脳から見た見解での回答でしたが、自分なりに解釈すると、 ・理想と現実の乖離に対する悩み・矛盾・無常は中二病と同義(?) ・それに対する解を得る事で中二病から脱する事ができる。 ・中二病に罹っている間は、解を得る事ができていない状態とみなせる。 と言った感じでしょうか。 回答ありがとうございました。
- chipatan
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#1です。補足いただきありがとうございます。 メカニズムですか。なるほど。ではその観点からの考察をコメントさせていただきます。(質問者様に納得していただけるのか自信はありませんが、、、汗) 端的に言ってしまえば「第二次反抗期」と呼ばれる現象かと思います。 その伏線として「第一次反抗期」から説明するのであれば、第一次反抗期は、大きな要因は自我の芽生えであって、自分の「意思」が成長段階において芽生え、大人(親)の言うとおりになっていただけの状態から、自分の意思、嗜好などを訴えることが「反抗」として現れるのだと思います。 それを踏まえ「第二次~」についても、成長段階における、より精度が高く、細かい自我の発達が要因しているものと推測します。体も心も子供から大人へと変化していき、情報の理解や自分の意思・嗜好なども確立されはじめ、「本音と建前」や「正義は必ずしも勝たない」など、色々な社会を知ることによって「大人は汚い」などという発想から、反抗的になってみたり、或いは自分自身が大人へ成長していくことを自覚し「自分はもう子供ではない」などと思うのではないでしょうか。 そういった意味では個人差はあるものの、誰しも通る成長過程だと解釈しています。
補足
納得行きました。 絶対的な正義を信じる年代から徐々に世界の事実を知る年代だから、と解しました。 また、私なりに解釈すると、中二病は、 ・大人社会への失望と否定。 ・自分が考える理想社会像の言及と実現への行動(実施に至らず) ・真理の探究 ・自分なりの背伸び ・自己顕示欲の発露 が原因かな、と思っています。 回答ありがとうございました。
こういうのを広くシンドロームと呼びます。しかし、基本的にメディアからの非科学的な用語で、なんとなくで無理矢理に名前をつけます。これは心理学者にも非があり、彼らが自身の存在意義を主張するために、いやおうなく精神疾患のようにしたがるというジレンマからきています。 中二病への疑問 以下の内実をよく疑ってください。 (1)反抗期と何が違うのか? (2)中二病という名前が間違ってないか?最悪でも「中学生病」でしょう。 (3)基本的に特徴にあげられるすべては中学生に限ったことじゃないものが多すぎる これはいつでも大人が自己の過去を肯定的に考えようとすることからきます。これはおじいさんたちがあのころは良かったという心理に近いもので、いつの時代も大人は子供を批判したがる傾向があります。 「今の少年たちの心は腐っている、病んでいる」 こんなのはいつの時代もいっている大人のわがまま。子供のどこが変わったのか科学的に説明してほしいものです。私からすれば、何も変わってないのです。 * 「因数分解が何の役に立つんだよ」 中学生だけがいうことでしょうかね?数学が何の役に立つんだという高校生の言葉も同じ。古典が何の役に立つんだといえば、大人だって言いますし、私も言います。 * 「大人は汚い」 これは大人でも大人に言います。 * 本当の親友探しを始めたりする。 これは個人差。大学をこえて就職一年目の人にも同様の現象があると思います。 * 母親に対して激昂して「プライバシーを尊重してくれ」。 これは母親とかでも関係なく、自我が正常に成長した証拠。人間にはプライベートな空間が必要であり、これは子供大人にかかわらず、必要な社会のルール。 * 食事を終えた後、何の目的も持たずに夜中に外を徘徊する。 これはほとんど偏見。 * 「ジャンプなんてもう卒業じゃん?」って言ってヤングジャンプに軟着陸する。 これは病気か? * エロビデオを持っていることに対するすごい自慢。 この自慢が中二病でしょうか。そもそも私はこんな自慢をする人にあったことがない。本当にいるんでしょうか。偏見に見えます。 * 急にラーメンの美味い・美味くないを言い出す。 こんなのも聞いたことがない。一個人の性格でしょう。 つまり、単に中学生がいいそうなことを勝手に集めて、病気にしてしまうという何とも差別的な言葉でしかありません。
補足
中高生の時期にそうした心理が発生する事は一般的には無い、との見解ですね。 ただ、御恥ずかしながら挙げて頂いた例は全て私の身に憶えがあるものでして・・・顔を真っ赤にしながらこれを書いている訳です。 私からすれば、中高生時にこのような心理に陥らない人達は不思議以外の何者でもなく、むしろ大人の態度を取れるのだなあ、と違うカテゴリの人達なんだと意識していました。ancestorさんも同様のカテゴリの人なのでしょう。 話しを戻しますが、上記に挙げた例は全て身に憶えがあったのですが、今はそれらの疑問や憤怒・奢り等の心情はもはや持っておらず、全て解決しております。そうした疑問や憤怒・奢り等の感情を持っていたのが丁度中二くらいのもので、「中二病」と言われると妙に納得してしまうのです。 尚、心理学のカテゴリーに投下すると学術的な意味合いが強いカテ(というか親カテゴリーが「学問」ですからね)なので、「病気」と捉えられてしまうようで、こちらは大変失礼しました。 元中二病「患者」であった私からすれば、中二病という言葉は差別として使っているのではなく、「ああ、そんなシンドロームもあったなあ」と、笑いながら自嘲気味に使っているので、ここまで来て言うのも何ですが、心理学のカテゴリーにこの質問を投下し、そこの辺りに誤解を招いた事については、ある種の失敗でした。ですが、そうした背景があるのだという事を踏まえつつ、大変恐縮ですが私の我侭でこの質問はちょっと継続させて下さい。 宜しくお願い致します。
私は全くの素人ですし、難しい言葉も使えません。 が、一応2人の子供を育ててきました。 それに、この質問で初めて「中二病」を知ったような状態ですが、興味がわいたので、ちょこっと調べてみた ところ、特徴としてはどれも親離れしようとしている子供がとる行動だと感じました。 大人に反抗してるというか、自分の中学のころを思い出しましたね。 自分が生まれたいきさつも全部わかって、そのくせ母親は父親のことを愚痴ったり、けんかしたり、 そんな姿を見ていて「じゃぁ何故自分を産んだんだ」とかでイラついたり。 親は、普段いつも子供扱いするくせに、都合のいいときだけ「もう子供じゃないんだから」とか言ってくる。 だから、本当に子供じゃない自分を強調したくなるといった感情から来るものではないでしょうか。 いろんな事を考えるようになりますよね、この時期。 ちょうど子供と大人の間で自分自身の身の居場所を求めて迷っているのではないかな、と思います。 発生メカニズム… 難しいですね。 いずれにせよ、一人の人としてしっかり受け止めてもらっている子は、 少しはこの症状?も少ないような気がしますが、どうなんでしょう。 ドロシーローノルトさんのおっしゃっていることにも繋がっているような気がしました。 答えにはなっていないでしょうが。
補足
自発的に大人への階段を登ろうとしているが、 どうすれば登れるか暗中模索の為、ある種具体性実現性を伴わない 意味不明の行動に出てしまうのでしょうか。 回答を読んでいる時に、中二病の解釈をそう解しました。 ドロシーローノルトは初耳で、少し調べてみました。 素晴らしい事が書いてありますね。 中二病とは直接関係ありませんでしたが、良質の情報を頂き嬉しく思っております。 回答ありがとうございました。
- chipatan
- ベストアンサー率45% (183/401)
心理学を独学で学んでいる者です。 まず「中二病」とは心理学用語でもなんでもなく、造語であり、その意味(内容)についても様々な解釈があるようです。 Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%BA%8C%E7%97%85 似たような他サイト http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E4%B8%AD%E4%BA%8C%E7%97%85 個人的考察からすると、所謂「現代病」の一種かと思われますが、その要因とすると、現代社会であったり、家庭環境であったりとニュースでよく言われているようなことかと思います。 「中二」とついている点については、思春期における様々な葛藤や思考などからくる様々な行動特性が起こりやすい時期からかと考えます。
補足
回答ありがとうございます。 >まず「中二病」とは心理学用語でもなんでもなく、造語であり、その意味(内容)についても様々な解釈があるようです。 はい、知っておりました。が、これがどうやって発生するか、そのメカニズムを知りたかったのです。 ついては、回答して頂いた、 >「中二」とついている点については、思春期における様々な葛藤や思考などからくる様々な行動特性が起こりやすい時期からかと考えます。 の部分の詳細を知りたいのです。 近い所では、ご紹介頂いたwikipediaにあった >基本的に中二病は、第二次性徴期における自我の発達が行き過ぎたものでしかない。 >「他人とは違う自分」「もう子供ではない自分」「汚い大人ではない自分」を >他者に対し強調する自意識過剰からくるものであり、個性的どころかよくある、誰でも通る道に過ぎない。 という下りがありましたが、これだけではないと思っています。 もっと具体的な、本質に迫れるような事を知りたいのです。 何故、背伸びをするのか。何故、大人は汚いと思うのか。 ここの辺りの心理の発生メカニズムを具体例を通して理解したいのです。 宜しくお願い致します。
補足
>第二次性徴期における、こういった「快と得と善の葛藤」が摩擦熱を生じるのは自然な現象 ここが一番のベストアンサーになっていますね。 良質の意見を頂き嬉しく思います。 回答ありがとうございました。