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江戸時代の生命保険

さきほどケーブルデレビで「必殺仕事人」を見ていたのですが、その中で「ゲートボール」や「生命保険(ドラマのなかではイノチコウと言っていました)」が出てきました。さすがにゲートボールはどうかと思いますが、生命保険のようなものは当時存在したのでしょうか? くだらない質問で申し訳ありません。妙に気になったもので・・・

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  • uran3
  • ベストアンサー率64% (282/437)
回答No.1

「イノチコウ」を漢字で書くと「命講」ですよね。 この「講」とは「村人が一定額を拠出しあって、大金が必要なときに相互に 融通し合うといった仕組み」のことで、これが江戸時代における原始的生命保険 だったと考えられているようです。(参考URL) 現在の保険とは大きく違いますが… 「保険と講にみる相互扶助」という新聞記事も参考になさってください。 http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9908/01/paper/today/seiron/seiron.htm

参考URL:
http://www.fptrusties.com/school/kiso/history/history3.htm
non_tam
質問者

お礼

最初に、お返事遅くなりまして申し訳ありません。 やっぱり原型みたいなものはあったんですね。他の方がおっしゃっているように現在のものとは全然ちがうようですが。 下らない質問にお付き合い頂きましてありがとうございました。今後ともよろしくお願いします!!

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その他の回答 (1)

  • miyuki
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.2

以前、保険のセールスレディーをしていた時に習った程度の知識しかありませんが、解答させていただきます。 現代のような保険制度がなされたのは、明治以降のことです。明治時代に外国へ留学した福沢諭吉が、相互扶助の精神を提唱したのが始まりとされております。西洋の諸外国では、すでに保険制度と言うものが確立されており、それを学んだのです。

non_tam
質問者

お礼

なるほど。本職の方がおっしゃるのなら間違いございません! 下らない質問にお付き合い頂きましてありがとうございました。今後とも宜しくおねがいします!!

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