「国王制度」という言い方は、聞きなれない言葉ですので、意図した事と違っているかもしれませんが。
ローマ帝国(ビザンツ帝国も含む)では、血筋を考慮した実力者が帝位につきました。
血縁だけでは、帝位につけず、領民や軍の支持が無ければ、帝位を奪われてしまいました。
これは、当時の遊牧民などにも共通でした。
時代が下ると、血筋がしだいに有力となり、無能な者でも王がつとまるようになります。
ドイツ(神聖ローマ帝国)においては、叙任権闘争やシュタウヘン家とヴェルヒィン家の抗争などにより、王権が衰えシュタウフェン家崩壊後有力諸侯の時代となると、選挙により王が選ばれるようになります。
その時諸侯達は、力の弱い者を皇帝として、勝手に王権を振り回さないようにした時代もありました。(大空位時代)
その後帝位を手に入れたハプスブルク家は、皇帝が生きているうちに次期皇帝を選出する方法で、帝位の世襲をはかります。
ポーランドでも、ヤゲロ家崩壊後は、選挙により王が選ばれるようになりますが、こちらは、国内貴族たちが、フランス派とハプスブルク派に分かれて争う状況となり、国としての体勢が崩壊していってしまいます。(中世ではなく近世のはなしですが)
スペインの場合ですが、中世においてスペインという国はなく、いくつかの王国に分かれていました。
その分かれていた王国が統合されたり分裂したりしていたため、とても分かりにくくなっています。
最終的には、カスティジャ王国(カスティジャ・レオン・アストゥリアス王国)とアラゴン連合王国(アラゴン王国・バルセロナ伯領)の両トラスタマラ家が一体となり、グラナダ王国、ナバラ王国を滅ぼして成立しています。