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国王制の移り変わりについて
中世における国王制度の移り変わりについて何か分かることあったら、教えてください。また詳しいインターネットのページを知ってる人は合わせて教えてください。
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「国王制度」という言い方は、聞きなれない言葉ですので、意図した事と違っているかもしれませんが。 ローマ帝国(ビザンツ帝国も含む)では、血筋を考慮した実力者が帝位につきました。 血縁だけでは、帝位につけず、領民や軍の支持が無ければ、帝位を奪われてしまいました。 これは、当時の遊牧民などにも共通でした。 時代が下ると、血筋がしだいに有力となり、無能な者でも王がつとまるようになります。 ドイツ(神聖ローマ帝国)においては、叙任権闘争やシュタウヘン家とヴェルヒィン家の抗争などにより、王権が衰えシュタウフェン家崩壊後有力諸侯の時代となると、選挙により王が選ばれるようになります。 その時諸侯達は、力の弱い者を皇帝として、勝手に王権を振り回さないようにした時代もありました。(大空位時代) その後帝位を手に入れたハプスブルク家は、皇帝が生きているうちに次期皇帝を選出する方法で、帝位の世襲をはかります。 ポーランドでも、ヤゲロ家崩壊後は、選挙により王が選ばれるようになりますが、こちらは、国内貴族たちが、フランス派とハプスブルク派に分かれて争う状況となり、国としての体勢が崩壊していってしまいます。(中世ではなく近世のはなしですが) スペインの場合ですが、中世においてスペインという国はなく、いくつかの王国に分かれていました。 その分かれていた王国が統合されたり分裂したりしていたため、とても分かりにくくなっています。 最終的には、カスティジャ王国(カスティジャ・レオン・アストゥリアス王国)とアラゴン連合王国(アラゴン王国・バルセロナ伯領)の両トラスタマラ家が一体となり、グラナダ王国、ナバラ王国を滅ぼして成立しています。
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- Mumin-mama
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ヨーロッパの中世は西暦600年~1515年「中世最後の騎士」と呼ばれているマクシミリアン1世がなくなった頃までです。 1517年にルターの宗教改革が始まり、それまでの国王制度やカトリックによる封建制度から絶対主義国家(ハプスブルク朝やブルボン朝など)へ移行してゆきます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B31%E4%B8%96_%28%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D%29 中世イングランドの家系図が出ているサイト http://obaco.arrow.jp/sb.cgi?day=20071016 神聖ローマ帝国について http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD 東京書籍「世界史図解説」1993年11月1日発行の (高校の世界史で用いられる普通の世界史図です。) p61.封建制の成立とカトリック教会 1.封建社会の構造 P66. 29ヨーロッパ封建社会の危機 1.各国における王権拡大の歩みの表が役に立つと思われます。
- buchi-dog
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非常に範囲の広い質問になりますね。「各国の中世史について説明してください」とほぼ同義です。図書館で、山川出版社の「新版世界各国史」を一冊ずつ読むと手がかりがつかめると思いますよ。 例: フランス史 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=30868743 なお、「課題の丸投げ」及び「そのような質問への直接回答」は共にこのサイトでは禁じられていますのでご注意下さい。