有徳院殿御実紀巻十三の享保六年十月七日の条
(⇩)下記の URL の(『国史大系』という資料の中の『有徳院殿御実紀上』という資料の)「有徳院殿御実紀 巻十三」の享保六年十月七日(西暦1721年11月25日)の条の、
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991120/362
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991120/362
「〇七日小五郎君の生母(谷口氏。)うせらる。これは谷口長右衛門正次が女にて。はやくよりつかへ奉り。お梅の局といふ。享保四年三月十五日第三の御子源三君をまうけ。ことし閏七月十五日小五郎君をまうけたりしが。其後病おほくけふうせられしなり。廿一歳とぞ聞えし。深心院と法謚し東叡山に葬らる。御供米はよせ給はず。忌辰にのみ女房御使して。銀十枚をすゝめ給ふべしとなり。(日記。以貴小伝)」
という文章を現代語に訳して意味を教えてください。
【現代語訳してほしい部分】
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991120/362
「有徳院殿御実紀 巻十三」の享保六年十月の『〇七日~~~』の文章
「七日小五郎君の生母(谷口氏。)うせらる。これは谷口長右衛門正次が女にて。はやくよりつかへ奉り。お梅の局といふ。享保四年三月十五日第三の御子源三君をまうけ。ことし閏七月十五日小五郎君をまうけたりしが。其後病おほくけふうせられしなり。廿一歳とぞ聞えし。深心院と法謚し東叡山に葬らる。御供米はよせ給はず。忌辰にのみ女房御使して。銀十枚をすゝめ給ふべしとなり。(日記。以貴小伝)」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991120/362
お礼
お答ありがとうございました。これを参考にして調べていきます。