徳川源三は江戸時代の数え方では生後何日で夭折した?
(↓)下記の URL の “徳川源三” の wiki のページによれば、徳川吉宗の三男の徳川源三は、享保4年3月14日(1719年5月3日)に生まれて 享保4年5月6日(1719年6月23日)に夭折したそうです。
<徳川源三>
https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E6%BA%90%E4%B8%89
徳川 源三(とくがわ げんぞう、享保4年3月14日(1719年5月3日) - 享保4年5月6日(1719年6月23日))
享保4年3月14日 に生まれて 享保4年5月6日 に夭折した。
という事は、
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/kyuureki.htm
(↑)この URL のページによると、
“(AD 1719) 己亥年 享保4年” は 旧暦では、
三月は29日まで、四月は30日まで なので、
5/6 = 4/36 (= 30+6) = 3/65 (= 36+29)
となり、「享保4年3月14日 に生まれて 享保4年5月6日 に夭折した。」という事は、
65 - 14 = 51 となります。
そこで質問があります。
江戸時代の、「生後~日」の日数の数え方では、
徳川源三は、生後51日で夭折したことになるのでしょうか?
それとも、生後52日で夭折したことになるのでしょうか?
江戸時代の「生後~日」の数え方では、徳川源三は、生後51日で夭折したことになるのか、それとも、生後52日で夭折したことになるのか?
どちらになるのかを教えてください。
お礼
ご回答ありがとうございました。