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マイペースになれない自分、素直に受け入れられない自分が嫌

心理学のカテゴリにしようか迷ったのですが、一応絵を描く進路を主軸にしていることなので、こちらにさせていただきました。 こちらでは初めまして、私は専門学校と美大など美術系分野の進路で迷って吟味している段階の17歳です。将来はイラストレーターかアニメーターになりたいと思っています。 私はここ数年間特に、人にとやかく言われるのが無性に気に障ってしまいます。 先日とある専門学校のアニメーション作画の体験授業に行ってみたのですが、「こうしろ」「必ずこうでなきゃ駄目だ」と事細かに言われ、「貴方は私のことを何も知らないくせに。そして私も貴方のことを何も知らない。そんな人の言うことをはい、そうですかと簡単に聞けるものか」と、そんな単純な理由でかっとなってしまいました。 その日が終わって今冷静に思い出すと「あぁ、なんて失礼なことをしてしまったんだろう、私は生意気な奴だ」と自己嫌悪します。 美術系予備校に約半年通っていたころも、それを繰り返して精神的に憔悴していました。 中3あたりから、初めて会った人やうわべだけで本性を見せない他人を次第に信用しなくなり、牙を向くようになりました。 人に裏切られることが多かったので、初めて会った何も知らない人にたとえ今の自分に役立つだろうことでも知った風に軽く言われるのは受け入れられない場合が多いです。 家庭環境もあり今まで腹立たしさやわがままはコントロールして抑えてきたのですが、 最近は自分の好きな道をたどっているときでさえ素直になれず感情に歯止めが利かなくなってしまいます。 正常で居るときは、子供じみていて、何様のつもりか分からない自分自身に嫌気がさします。 このままの自分では、美術を学ぶために学校へ進んでも何も学びとることが出来ないのでは、と焦燥感と罪悪感、そして上手くやれている人への羨望に襲われて毎日つらい日々を送っています。 基本的なことでありますが、 素直で積極的な自分の姿勢あってこそ、学校は自分にとって意味のある貴重な時間となると思っているから・・・。 絵は好きです。 もしよろしければどんな小さなアドバイスでも構いません。 よろしくお願いします。

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noname#78143
noname#78143
回答No.1

若くて社会経験が少ない場合は仕方がないのかもしれません。 「何も知らないのにあなたの言うことはきけません。」 というのは実世界では通用しないことはよくあります。 だったら実社会をほんのすこし経験してみてはいかがですか? バイトでも知り合いのお店の手伝いでもなんでも、なにかかたちの あるものを残せる方法で。(バイトならお金、手伝いなら信頼) 自分の意思を自制しなければ絶対に通用しない世界に自分から 飛び込んでみてはどうでしょうか? 初めから自分の思うようには行かない世界であがいてみれば いかに自分が何かを得るために何をガマンしなければいけないかを はっきり認識出来ると思いますよ。 学校や予備校では手に入れられるものは曖昧で実体のないうえに 生徒本位で行動しても通用する世界です。 あなたはもっとクリアーでもっともっと厳しい世界で身をおいて 自分自身を鍛えるべきだと思います。 厳しい世界を一度経験していればそれ以上の厳しい世界に身を置く ときまではずっと寛容になれますよ。 それと、うわべだけの言葉と言っていますが、うわべかどうかは どうやって見分けるのでしょう?あなたは人の心が読めるのですか? それともあなたは神様なのですか? イジワルな書きかたをして申し訳ないですが、この言葉の真意を じっくり考えてみてください。

HarU03_t
質問者

お礼

お礼が大変遅れてしまい、申し訳ありませんでした。 バイトは過去やっていたことがありますが、そこでも今ほどではないのですが相変わらず逆上してしまっていました。 適当に我慢することは出来ても、仰るとおり必要な場所で我慢できなければまるで意味がないことなんですね。 その見境をつけることが社会経験で勉強すべき一部なのかもしれない、とllamaさんの言葉を見て気づきました。 今までおこづかい稼ぎに、ひまつぶしにと軽くやり過ごしてきたことを反省しました。 私は神様ではありません。人の心を読むことは出来ないです。 しかし誰にでもその気になれば相手がレッテルを貼っているか否かは試して理解することが出来ると思います。 私にとってそれは友達がいい例でした。 今でも他人を深く疑ったり跳ね除けたり、防衛と言うには少し攻撃的過ぎる心があります。 そこをどう直すかは今後の私の課題だと思っています。 ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.3

>「貴方は私のことを何も知らないくせに。そして私も貴方のことを何も知らない。そんな人の言うことをはい、そうですかと簡単に聞けるものか」 この考えを基本とするところに立てば、人に何かを教え導くという行為は一切無用ということになってしまいますね。そして質問者様御自身も、これから先、親しくもない人に対して、見るに見かねるようなことがあっても、相手のほうから求めてきた場合でも、決してアドバイスに類することを与えてはならないことになりますね。 尤も >冷静に思い出すと「あぁ、なんて失礼なことをしてしまったんだろう、私は生意気な奴だ」と自己嫌悪します。 ということですし、第一こんなところで、それこそ顔も素性も知れないアカの他人にアドバイスを乞うていらっしゃるのですから、さきの御考えを良しとして満足されているわけじゃないということは承知しました。 私自身、美術に直結するわけではないですが元はクリエイター業界の出身です。 業界というもの要するに商売でやることというのは、いかに自己満足が通用しないところかということを実感する世界です。自分では会心の作品と確信しても、クライアントに提案するどころか、その世界で自分より少しでも経験を積んでいる先輩から、あっさりダメを出されてチョンというのが現実の厳しさです。あっさりチョン、を避けたいなら、どうするべきか…。 イラストレーターやアニメーターなどは特に商業がらみが多い分野ではありませんか。 >美術を学ぶために学校へ進んでも何も学びとることが出来ないのでは >素直で積極的な自分の姿勢あってこそ、学校は自分にとって意味のある貴重な時間となると思っているから・・・ このあたりに気づいておられるからこそ >正常で居るときは、子供じみていて、何様のつもりか分からない自分自身に嫌気がさします。 と、このように自己批判も激烈になります。しかも自己批判が激烈になればなるほど、ますます、こうであってはならないはずの自分に執着してしまうという悪循環に陥ってしまうのですね。 学校に通ったことや勉強したことを自慢げに言う人を、このサイトでも、よく見かけるのですが、学校も勉強も、まず自分自身のためにすることなのですから、自分のために学べること、その時間と余裕を与えてもらった幸せに感謝するのは分かりますが自慢するには当たりませんよね。 御質問者様も、学校に行くのは誰のためなのか何のためなのかということには、すでに気づいていらっしゃると見受けます。 この御質問を拝見して、ある歌が思い起こされました。けっこう古い歌ですが ♪いいか、男は生意気ぐらいが、ちょうどいい… 御質問者様が女性でしたらアレですけど(笑)でも昔から芸術分野は、ある種、ひとりよがりなと言うか、自分がこうだ!と思ったことを打ち出していく、それが許される世界ですよね。だからこそ「芸術家」だの「アーティスト」だのが、自力で食べていけない人の言い訳に、よく使われる自称になるわけですが、実際、他人が良しと評価してくれるとは限らない、従って食べていけるかどうかの保証はない、その葛藤が付きまとう世界でもあります。 私が若い頃から尊敬している画家で、田中一村というかたがおられました。1970年代後半に亡くなられたようですが、繊細、静謐にして凄みのある絵を数々残されました。その生きざまもまた凄みのある人生でした。 彼の妹さんがテレビのドキュメンタリー番組でのインタビューにて、こたえていらしたエピソードがあります。 画伯が子ども時代に、一つの小さな絵を完成させたところ、これを御覧になった父上(彫刻家でいらしたそうです)が、ちょっと手直しされたところ、幼い画伯が猛烈に怒って、せっかくの作品を引きちぎってしまわれたとか。 幼いながら当時の彼にとっては、まさに「こうでなければならぬ」という思いのもとに描きあげた作品だったわけなのでしょう。 こうした創作における信念のごときインスピレーションの揺るぎ無さというものは、たとえば草間彌生さんの制作中の姿を見ていても感じられます。点一つ打つにも、とにかく迷いがない。この点、同じ芸術分野でも、文学とは少し異なるところです。 私の身内にも芸術方面の才能に恵まれた者がいますが、この世界は才能があってナンボ、大概は、すでに幼少時から明らかな萌芽が出ているのが周囲の者にも分かることが多い、身も蓋もない世界です。 でも実際それで食べていこうと思うなら、評価してもらわないことには、どうにもなりません。 そこで、持って生まれた才能だけで黙らせる力がなければ、他人の評価を得るための方策を、お金払って他人に教わるわけですね。 御質問者様は、ふだんの御生活で何かと抑圧を感じざるをえないというのであれば、なおの事、絵とは、あなたにとって貴重な表現行為でしょう。 ただ、その表現行為も、より高度な技術があれば、より自由自在な表現力を手に入れることができるわけで、それが学校なり人に教わることの目的ではありませんか? 私も若い頃に、創作のための学校に籍を置いたことがあったのですが、そこで指導者のかたが、よく言われていたのが、誰からも批判されなくなったらおしまいだ、というコトバでした。見所があると思えばこそ、言ってあげようと思うものだと。 商業系つまり食べていくことに直結させたいならば、他人の存在を無視するわけにいきません。 将来の進路を決めるにあたって、美術系で食べていくとはどういうことか、学校とは、教わるとはどういうことかを、よく御自分自身に確認なさることです。とは言え御質問者様は、そのことについては、ある程度、自覚されておられるようですから、あとはコントロールの問題なのでしょうね。 自分が可愛くないですか? 自己嫌悪が強くなればなるほど、なぜか自分のための聡明な行動ができにくくなるということを、ちょっと考えてみてください。 そして、良くなるようにとアドバイスしてくれるうちが花だということ、見放されたら誰も何も言わなくなるということ。 但し、せっかくの才能がつぶれてしまうような「アドバイスもどき」を、わざとする人もいるようですが、警戒するなら、こういう人を見分けられるようにするべきでしょう。本当に嫉妬深い意地の悪い人は、相手のためになるようなアドバイスはしないものです。芸術分野は特にそうですよ。 御自分の創作に関するアドバイスに反発を感じたとき、その反発によって本当は何を守ろうとしているのか、それは御自分の創作や表現にとって、どういうプラスがあるのか。 あなたの表現行為は、あなたにとって大切なことですよね。それを忘れないようにしながら貪欲に世界を広げていってください。 その御年齢のうちから凝り固まって閉じこもっていては、もったいないことですよ。ガンバッテね!^^ 田中一村 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E4%B8%80%E6%9D%91 草間彌生 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E9%96%93%E5%BC%A5%E7%94%9F

HarU03_t
質問者

お礼

お礼が大変遅れてしまい、申し訳ありません。 ご回答ありがとうございました。 今の自分の悪いところから逃げずに素直な姿勢を忘れないで少しずつ行動してみようと思います。 分からないことはまだまだたくさんあるけれど… ありがとうございました。

  • meils
  • ベストアンサー率40% (2/5)
回答No.2

「貴方は私のことを何も知らないくせに。」というような赤の他人ですが、アドバイスになれば幸いです。 どのような状況で先生が「とやかく」言ったのか分からないので、一概に言えないのですが、 >貴方は私のことを何も知らないくせに・・・簡単に聞けるものか」 >美術系予備校に約半年通っていたころも、それを繰り返して との事ですが、それは貴方の性格を「とやかく」言っているのではなく、授業で描いた絵に関して、「とやかく」言っているのではないでしょうか? 絵は描いた、その絵が全てです。その描いたものを見て、先生が「とやかく」言っているのであれば、「何も知らない」とはいえないと思います。 良く描けていないから、「とやかく」言うのだと思います。 しかし、その先生の言うことに納得できないのは、貴方が目指している「良い絵」と、先生が求める(予備校なら美大受験に求められる)「良い絵」がかみ合っていないのだと思います。 商業的な絵の世界の多くも、その業界に求められる「良い絵」(求められる色)と言うものが存在します。 アニメーターやイラストレーターは、ままさにその業界です。 しかし、絵の世界はそれだけではありません。 自分を変えれないなら、変える必要のない進路に進むのも手です。 自分の出来る事を、一生懸命やってください。

HarU03_t
質問者

お礼

お礼が大変遅れてしまい、申し訳ありません。 ご回答ありがとうございました。 変える必要の無い進路に進むのも手、そうですね。 もう少し考えてみます。 ありがとうございました。

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