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正露丸
昔の正露丸には、人間の肝臓が材料として使われていたらしいのですが、本当でしょうか。。。 ***情報元*** 戦時中の父島人肉食事件に関する書籍に、ある日本兵の発言として記述されていました。
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残念ながら 私は「・「大江戸死体考」 人斬り浅右衛門の時代 氏家幹人 平凡社新書」を読んだことがありません。 山田朝右衛門(浅右衛門)に関する知識は、 漫画「子連れ狼」・「首切り朝右衛門」と、 小説「斬」綱淵謙錠 です。 「斬」は、直木賞受賞直後に購入し、読もうとしましたが、小学生か中学の頃で、相当難しく、半分くらいで、読むことを諦めました。 この「斬」も、最後の山田朝右衛門がモデルで、「朝右衛門丸」の事が記載されていました。 これと同時期に、「福翁自伝」を読み、福沢諭吉が、「適塾」の井戸端で、熊の解剖やそれを後で食べたことも記憶にありました。 その後、大阪に行ったとき、北浜の「適塾」が公開されており、「ズーフ部屋」や、各自に畳1畳分あてがわれ、成績優秀者から、日当たりのよい、明るい場所を使っていた塾生の部屋や、井戸を見ながら、逆に、「斬」を思い出し、記憶を再定着させたと思われますので、少し、記憶が不確かな部分があったと思います。 それから、「正露丸」の話ですが、昔のTVCMで、日露戦争をバックに、突撃らっぱを吹いて、「征露丸」が「ぎょうにんべん」を取って、「正露丸」 となったものがありました。
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- ichien
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今晩は。 薬に人の肝臓を使う。なにやら聞いたことの有る話だと思いつつ、回答を読んで行ったら。そうです、bonnnouさんが言う通りで、これの出典はおそらく以下のものかと思います。 ・「大江戸死体考」 人斬り浅右衛門の時代 氏家幹人 平凡社新書 確かにこれに出ていましたね。明治維新で首切り朝右衛門が従来の職を失ってからは、そういうことは無かったでしょう。 それにしても今だに「征露丸」が存在しているとは知りませんでした。
正露丸は現在でも30種類程度あるみたいです。 その中の1社が今でも「征露丸」を製造しています。 http://www.general-staff.com/rikusan/urabanasi.html 肝臓の件はデマだと思います。 1902年 中島佐一氏が「忠勇征露丸」の製造販売を開始 1946年 柴田音治郎が「忠勇征露丸」の製造販売権を継承。 大幸薬品を設立 1949年 「忠勇征露丸」を「中島正露丸」に名称変更 1954年 「中島正露丸」を「正露丸」に名称変更 1966年 「セイロガン糖衣」新発売 1985年 「正露丸」携帯用新発売 1966年 「セイロガントーイ」P.T.P 新発売
- bonnnou
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「正露丸」の前進の「征露丸」については知りませんが、 幕末に生きていた、山田朝右衛門(浅右衛門:首切り朝右衛門)の一族は、「朝右衛門丸」という丸薬をつくっていたようです。 この朝右衛門は、6代か8代続いた家で、据え者切りとして、首を落とした 罪人の死体で、刀の切れ味を、大名等から頼まれて、行っていたようです。 当時、人間の肝(肝臓)は、薬として珍重されていたようで、「朝右衛門丸」の原料は、人間の肝であるとされていたようです。 それで、山田朝右衛門の家は、確かもうけていたはずです。 最後は、人の肝ではなく、熊の肝を使っていたようですが・・。 「熊の胆(くまのい)」も漢方で薬となっているようです。 人肉食の話も、江戸時代の飢饉のときに、食べるものがなくなった農民達は、死んだ人の肉も食べたことがあるようです。 たしか、「大きな借り」という題で、飢饉の話として、となりのおじいさんが死んだときに、その肉を分けてもらったので、次ぎ自分の家のおじいさんが死んだときは、隣にお返しをするような話がかかれたものが、どこかのお寺に残っているようでした。 薩摩の話として、赤犬に米を詰めて、焼いてそれを食べる習慣も有ったようです。 そのような、江戸時代が終焉して、約40年の日露戦争当時、どのような、倫理観があったのか、私も興味のあるところです。
- shoyosi
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うそです。人間の肝臓をいれる積極的な理由がありません。正露丸は日露戦争の頃に作られたくすりで「征露丸」という命名でした。当時、世間を騒がした「野口男三郎事件」で男三郎が義父(有名漢学者)が業病にかかったため、人を殺して尻肉を食べさせた事件と混同していると思われます。味の素も発売当時は「蛇の肉」が入っているといわれたものです。