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謙遜の意味
謙遜とはへりくだりする態度と行為でしょうか。 謙遜は無能の言い訳ではないということは聞いております。 謙遜をhttp://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B8%AC%C2%BD&kind=jn&mode=0&kwassist=0でみると、 [自分の能力・価値などを低く評価すること。控え目に振る舞うこと。] そして英語ではhumbleだそうです。でも説明は日本語とは異なるようです。 そして対義語はやはり高慢でしょうか。 [質問]謙遜とはどういう態度と行為でしょうか? 立脚している命題、ないしは当為や原理はどんなものがあるのでしょうか。断片や随筆、感想でも結構なのでお教え下さい。
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謙虚な心という観点なら普段求めていてまた考えて来たことですので、その観点から急ぎ書いてみます。 今時間があまり無いのですが、回答の形式は自由そうですので(よいいい訳かどうか思索する時間がありません。笑) 謙虚な心で人に接しないと 他の人の経験からは学べないということがあったりすると思います。 ここでの質疑も その裏には広大な人生の流れがあるわけです。神ならぬ人間の知性の自覚が力となることろと思います。知ったつもりにならないことが、学ぶ力をもささへる大きな糧の一つになってくれると思ってます。 私自身のOKウェーブでの反省もあって、よりいっそうそのことを今は強く思ってます。 イジメなどにあってきた私は けれども長い間に卑屈な心も体の中に染み付いてきてもいて、それに意識ではとらわれてないつもりでも、 相手のご機嫌取りにこの謙虚なそぶりをしてしまうことも多々あります。 が、キリストも 相手に合わせたりしたがったりする態度も大切な相手への愛の一つとしても語られていると思っています。 この時にも自覚という名の謙虚さは大事だと思います。相手よりも上にたって相手に合わせてあげているというのは、善悪両面ありえると思うのです。 尊敬と優しさは必要で、その裏づけの自信が、かえってよけいなプライドとかにとらわれないでの自分の力の自覚を産むと思います。 その自覚がまた、ただしい態度と行為を産むときに、それが謙遜な態度と言えるものとなるのだろうと思います。 控え目に自己評価するのは過大評価という過ちを犯しにくい点には賛成できても、内側の心と裏腹の場合などにおいてはとくに、ごますりと通じるのでなないかとあまり賛成できかねるところなのですが、 たいていは人には余計なプライドも含めてあるので、そのような控えめの態度は 人との関係を良好にたもつ秘訣だったり、よい関係をきづいてゆくステップにもなったりもすると思います。 が大事なのは やっぱり、心だと思います。心正しければ、態度と行為も知識を生かす知恵において定まってくるところと思います。 何を言ってるのかもよく解らないでスピードで書いてますけど、これは普段 いろいろ神様に対して 心の中で「あれ、なんであの人の気持ちわかってあげられなかったんだ、なんで、こんなにわからないんですか私は ? 神様ならば 知ってるすべてを なんてほんのすこししか なんでなんでなんだ」とか ときどき泣きそうになってはなしかけたりしてるからというか、 しんけんに、このことは考えてるんで、ばあっと書いてみました。
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No.2です。 krya1998さん わたしが その【定義】のほうの文に注目したのは 《広い意味で指導者として 一般にやはり広い意味で最前線にいて しかも つねに 自分は 心身ともに しんがりを務めている》 というような意味あいでした。これが 謙遜ではないかと。 まぁ 言うは易し 行なうは難しですよね。それに きわめて 抽象的な表現でしかないですし・・・。
お礼
人の局面は多様ですから、こういうことを謙遜の気持ちでなさっておられる方もおいでになりますよね。 有難う御座います。
補足
bragelone様 いつも素晴しいコメント有難う。こういう謙遜を、部下を愛するが故の、奉仕と犠牲の謙遜と名づけたいと存じます。 私はどこでも尊敬する先輩に、このようにしてもらってきて、自分もそのようにしてきましたのです。 素晴しい仲間、部下、学生達。みんなの苦労と困難をできるだけ軽くしたいという気持ちでしたので。でに時とすると、自分の陣営エゴに走りすぎて、同輩からは顰蹙を買うこともあり、上司からは、熱心なエゴだと評価されることもありました。いわゆる、○○戦士の種類にもなって、反省しています。 有難う御座いました。実は勤行中にコメントしなければと思い出し、行の部屋から、中断し抜けてきて、今起動できました。おやすみなさい。
krya1998さん こんばんは。 《Q:本物からはどうしてオーラが出る?=http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3462873.html 》に対する回答で 謙遜を表わした文章を覚えています。これをご紹介します。(そのANo.26および28を参照)。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 【定義】本物の芸術(の「何か」)は自分一人が前進することを望まず、全てが本来の姿で調和し尊重されることを望んで創造されるのではないか。 【説明】その本物も 永遠とか普遍とか〔生命・人格あるいは心の気高さといった〕貴さを望む人間(作者)が居て〔こそ 現われ出てくる〕。〔この人が世に送り出す作品が〕 〔われわれの生きるこの世の〕相対的に〔して〕消滅する〔無常というような〕儚さを表現〔してい〕る〔とき その〕技術(?)力を〔も〕観賞させていたり〔するものだ〕。鑑賞者が〔自分自身の〕生の営み〔の中〕に〔も〕そう感じる出会い〔を持つならば〕、〔それは 本物ゆえにこそ〕シンクロして身体中に響いたのだと思います。 ・生きてる実感は響き合う〔こと〕、〔さらにあたかも 何処かヘと〕導き合うこと。〔しかも これは波長が合うといった種類の事態には収まらない。シンクロと言ったけれども〕同調ではなく差異との調和でしょう。 (わたし=brageloneの解釈と責任で 括弧内を補足しております。) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
お礼
bragelone様 お会いできました。ご紹介のご質問とご回答は曽って拝読させていただきました。 本物というか、伝えられるイエスのことば、孔子や老子(個人名として)のことば、聖者のことばは、心性やマザー・タングを異にする者にも、しっかり響きますね。何の注釈も不要。自分で解釈する作業の努力も炒らない。 すうっと入ってくる。孟浩然やその他の漢詩もすぐ口に出る。 本物だからでしょうね。バガヴァッド・ギータもそうですよ、無論。 定義とご説明は同感するところです。
- ANASTASIAK
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謙遜とは相手に上下関係を明示し自分が下手である ように振舞うこと。 卑下とは違います。 謙遜をして何が得かというと相手を良い気分にさせて 関係がうまく行くことです。自負心がないとできない ものです。自負心がない人間がすると卑下になります。
お礼
有難う御座います。 自負心というのも、具体的内容としては非常に難しいのですが。 どうかお教え下さい。裏に高慢性のない自負心でしょうがこのことでもう少し、コメントを懇願申しあげます。
補足
お礼の後、一瞬考えたのですよ。でも謙遜・へりくだり・卑下は中々区別がつきませんし、人や心によっては非常に千差万別ですね。 謙遜がとくかどうかはあまり考えていませんでした。 相手がいい気分かどうかも。自分の正しい生き方としてそうするべきかどうかだけでした。 自負心は私はないのです。森羅万象、宇宙の万物にも自負心はもっていないし、持つ必要も迫られていないのです。 自分はどこの、町であれ、国であれ、団体であれ、信仰であれ、境壁の外でも中でも、自分も万物もひとしずくの雨滴だし、一本の野の草だし、小石だと思っています。どなたかか、宇宙を創造した方の創造のものだと思っています。自負心は持つ必要を感じられないのです。
お礼
arayata333(ANo.4)様ありがとう。 今立ったまま、こごんで向かっていまして、これからまた直ぐに別の場所にいきます。 すぐいろいろかけると存じましたが、すごくまともで同感してきてしまった、簡単にお礼が書けません。 内容的にも好きな位置と領域でして、もう一度熟読玩味してから、書き込みを致します。 6時以降はパソコンに向かわない習慣と日課でして。すみません。
補足
arayata333 お早う御座います。ご親切な暖かいお教えに感謝します。 (1)謙虚な心を忘れるのは恐ろしいですね。殆ど同じ意味と存じます。 (2)謙虚な心で人に接しないと 他の人の経験からは学べないということはその通りですね。何かの固定の観念などをもっていたりすると、何も学べないですよね。人は神ならぬ。人間の知性の重要性、その曇りのないこと、謙虚さの自覚。これこそが力となることろと思います、私も。 (3)相手のご機嫌取りにこの謙虚なそぶりをしてしまうことも多々あります。私は腕力もないくせに、ご機嫌取りしないで、対抗してきました。馬鹿でしょうね。≪キリストも 相手に合わせたりしたがったりする態度も大切な相手への愛の一つとしても語られていると思っています。≫ 自分の置かれている場面にちゃんと居て、相手を思いやる。思ってもらう。そういう努力も謙遜であるからできるのでしょうね。 相手の気持ちに合わせる謙遜と呼んでいきたいと存じます。その場合も当然心しなければならないことが、≪この時にも自覚という名の謙虚さは大事だと思います。相手よりも上にたって相手に合わせてあげているというのは、善悪両面ありえると思うのです。≫ですね (4)尊敬と優しさという謙遜。これは自分としての裏づけ自信がよけいなプライドにとらわれがちなのに、自分の力の自覚を産む。いいですね。そうして得られる自分自覚がまた、ただしい態度と行為となっていくと、謙遜な態度とありようにもなっていくのですね。このプロセスをよく勉強いたします。 (5)≪控え目に自己評価するのは過大評価という過ちを犯しにくい点には賛成できても、内側の心と裏腹の場合などにおいてはとくに、ごますりと通じるのでなないかとあまり賛成できかねるところなのです≫そうでしょうね。私は、あまりそういうことを考えないで来ました。人のプライドもなにも、気にかけないで。ずいぶん乱暴でした。人との関係は大事ですね。 (6)≪大事なのは やっぱり、心だと思います。心正しければ、態度と行為も知識を生かす知恵において定まってくるところと思います。≫反省に務めたいと存じます。 (7)有難う御座いました。勉強できました。私が殆ど踏みにじりながらきた、真理が語られておりました。これから注意して生きていくのですが、とても自身がない。どうか私がうまく実践できるように、どうか祈ってください。 (8)≪神様に対して 心の中で「あれ、なんであの人の気持ちわかってあげられなかったんだ、なんで、こんなにわからないんですか私は ? 神様ならば 知ってるすべてを なんてほんのすこししか なんでなんでなんだ」とか ときどき泣きそうになってはなしかけたりしてるからというか、≫ 本当に神様と私達との食い違い、矛盾について、不審と不満を持つことがありますね。 ≪しんけんに、このことは考えてるんで、ばあっと書いてみました。≫ 有難う御座いました。