謙虚な心という観点なら普段求めていてまた考えて来たことですので、その観点から急ぎ書いてみます。 今時間があまり無いのですが、回答の形式は自由そうですので(よいいい訳かどうか思索する時間がありません。笑)
謙虚な心で人に接しないと 他の人の経験からは学べないということがあったりすると思います。 ここでの質疑も その裏には広大な人生の流れがあるわけです。神ならぬ人間の知性の自覚が力となることろと思います。知ったつもりにならないことが、学ぶ力をもささへる大きな糧の一つになってくれると思ってます。 私自身のOKウェーブでの反省もあって、よりいっそうそのことを今は強く思ってます。
イジメなどにあってきた私は けれども長い間に卑屈な心も体の中に染み付いてきてもいて、それに意識ではとらわれてないつもりでも、 相手のご機嫌取りにこの謙虚なそぶりをしてしまうことも多々あります。
が、キリストも 相手に合わせたりしたがったりする態度も大切な相手への愛の一つとしても語られていると思っています。 この時にも自覚という名の謙虚さは大事だと思います。相手よりも上にたって相手に合わせてあげているというのは、善悪両面ありえると思うのです。
尊敬と優しさは必要で、その裏づけの自信が、かえってよけいなプライドとかにとらわれないでの自分の力の自覚を産むと思います。
その自覚がまた、ただしい態度と行為を産むときに、それが謙遜な態度と言えるものとなるのだろうと思います。
控え目に自己評価するのは過大評価という過ちを犯しにくい点には賛成できても、内側の心と裏腹の場合などにおいてはとくに、ごますりと通じるのでなないかとあまり賛成できかねるところなのですが、 たいていは人には余計なプライドも含めてあるので、そのような控えめの態度は 人との関係を良好にたもつ秘訣だったり、よい関係をきづいてゆくステップにもなったりもすると思います。
が大事なのは やっぱり、心だと思います。心正しければ、態度と行為も知識を生かす知恵において定まってくるところと思います。
何を言ってるのかもよく解らないでスピードで書いてますけど、これは普段 いろいろ神様に対して 心の中で「あれ、なんであの人の気持ちわかってあげられなかったんだ、なんで、こんなにわからないんですか私は ? 神様ならば 知ってるすべてを なんてほんのすこししか なんでなんでなんだ」とか ときどき泣きそうになってはなしかけたりしてるからというか、 しんけんに、このことは考えてるんで、ばあっと書いてみました。
お礼
arayata333(ANo.4)様ありがとう。 今立ったまま、こごんで向かっていまして、これからまた直ぐに別の場所にいきます。 すぐいろいろかけると存じましたが、すごくまともで同感してきてしまった、簡単にお礼が書けません。 内容的にも好きな位置と領域でして、もう一度熟読玩味してから、書き込みを致します。 6時以降はパソコンに向かわない習慣と日課でして。すみません。
補足
arayata333 お早う御座います。ご親切な暖かいお教えに感謝します。 (1)謙虚な心を忘れるのは恐ろしいですね。殆ど同じ意味と存じます。 (2)謙虚な心で人に接しないと 他の人の経験からは学べないということはその通りですね。何かの固定の観念などをもっていたりすると、何も学べないですよね。人は神ならぬ。人間の知性の重要性、その曇りのないこと、謙虚さの自覚。これこそが力となることろと思います、私も。 (3)相手のご機嫌取りにこの謙虚なそぶりをしてしまうことも多々あります。私は腕力もないくせに、ご機嫌取りしないで、対抗してきました。馬鹿でしょうね。≪キリストも 相手に合わせたりしたがったりする態度も大切な相手への愛の一つとしても語られていると思っています。≫ 自分の置かれている場面にちゃんと居て、相手を思いやる。思ってもらう。そういう努力も謙遜であるからできるのでしょうね。 相手の気持ちに合わせる謙遜と呼んでいきたいと存じます。その場合も当然心しなければならないことが、≪この時にも自覚という名の謙虚さは大事だと思います。相手よりも上にたって相手に合わせてあげているというのは、善悪両面ありえると思うのです。≫ですね (4)尊敬と優しさという謙遜。これは自分としての裏づけ自信がよけいなプライドにとらわれがちなのに、自分の力の自覚を産む。いいですね。そうして得られる自分自覚がまた、ただしい態度と行為となっていくと、謙遜な態度とありようにもなっていくのですね。このプロセスをよく勉強いたします。 (5)≪控え目に自己評価するのは過大評価という過ちを犯しにくい点には賛成できても、内側の心と裏腹の場合などにおいてはとくに、ごますりと通じるのでなないかとあまり賛成できかねるところなのです≫そうでしょうね。私は、あまりそういうことを考えないで来ました。人のプライドもなにも、気にかけないで。ずいぶん乱暴でした。人との関係は大事ですね。 (6)≪大事なのは やっぱり、心だと思います。心正しければ、態度と行為も知識を生かす知恵において定まってくるところと思います。≫反省に務めたいと存じます。 (7)有難う御座いました。勉強できました。私が殆ど踏みにじりながらきた、真理が語られておりました。これから注意して生きていくのですが、とても自身がない。どうか私がうまく実践できるように、どうか祈ってください。 (8)≪神様に対して 心の中で「あれ、なんであの人の気持ちわかってあげられなかったんだ、なんで、こんなにわからないんですか私は ? 神様ならば 知ってるすべてを なんてほんのすこししか なんでなんでなんだ」とか ときどき泣きそうになってはなしかけたりしてるからというか、≫ 本当に神様と私達との食い違い、矛盾について、不審と不満を持つことがありますね。 ≪しんけんに、このことは考えてるんで、ばあっと書いてみました。≫ 有難う御座いました。