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日本語の乱れ、「ら抜き言葉・すいません」気になりますか?
日本語が乱れて来たと言われて久しいのですが、 皆さん、どの程度気になりますか? 「日本語の乱れ」と聞いてどのようなことを思い出しますか? 例えば「ら抜き言葉」はどうでしょう。聞いてて不愉快に感じますか? 本来は「すみません」が正しいのに、 「すいません」と使われるのをどう思いますか? ちなみに私は前者の場合、気にはなりますが仕方がないなと思ってしまいます。 何故なら某コンビニのCMで 「食べれる・しゃべれる ミニ○トップ」と歌っていたり、 「たべれる」と入力すると「食べれる」と漢字変換されるところを見ると、 これはもう江湖に認容されていると判断せざるを得ないからです。 後者については、回答が寄せられてからおいおい述べたいと思います。 実は「すいません」と使う私に注意してくれた方がおられまして、 後にその方から酷い仕打ちを受けまして。 それで日本語の乱れってそんなに許されないことなのかと思い、 この質問をさせて頂いた次第なのです。 尚、お礼に数日かかるかもしれませんのでご承知置き下さい。
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再びNo.7、No.17の者です。 何度もおじゃまして す「み」ません。 No.19の方へ。 >No17の方、「するまい」も誤った表現とのことですが、 質問から外れていくようなので詳しくは述べませんが、手元の辭書には文法の教科書とはまた違った記述が書いてあり、文法とやらに從っても、結局のところ「するまい」が誤っているのかははっきりしません。 (質問より。) >「食べれる・しゃべれる ミニ○トップ」と歌っていたり、 このような歌を唄うことが好きな方(←もしいたら。)へのアドバイスです。もし「食べれる」は間違った表現だと言われたら、 「これはあくまで歌に合わせて唄っているんだし、『しゃべれる』と韻を蹈むための例外というものです。」 と答えましょう。 私は文法の教科書を讀んで、改めて學校で習った文法というものは勝手なものだなあ、と思いました。 ・「變化しない部分を語幹と言う」と書いてあります。 しかし、「投げる」という語だと、 「なげ-ない」「なげ-ます」「なげ-る」「なげ-るとき」「なげ-れば」「なげ-ろ」 と、「なげ」は共通しているので「なげ」が語幹かと思うと、「な」だけが語幹だと言います。 ・五段活用動詞で「ない」が後ろに附く形と「う」が附く形は違いますが、これを同じ未然形としてまとめてよいのか、という疑問が湧きます。 例えば「飛ぶ」という動詞では、「とば ない」と「とぼ う」は、活用語尾が「ば」(ア段)と「ぼ」(オ段)で異なりますが、それをまとめて未然形にしています。 それらは文語の文法に從ったなど理由はあるんでしょうけど、まじめに讀むほど疑問だらけになると思います。 他にもいろいろ言いたいことがたくさんあるんですが、キリがありません。 他の方がおっしゃるように、言葉を整理してみた結果が文法であるはずです。 しかし言葉を整理した結果にすらなっていないようです。 文法の教科書の立場で日本語を見ると、なんだか現實に使われている日本語はとても間違っているように思ってしまいます。 教科書に「投票すまい」や「これる」が誤りだ、などと書いてあっても、 「本當は正しい表現ではないだろうか」 と教科書を鵜呑みにしないのが正しい姿勢です。 文法の教科書は、そのうちコロッと態度を變えて、 やれ、可能の意味で「こられる」というのは間違っているだの、「すごいきれいだ」は正しいだの言い出すでしょう。 >「日本語の乱れ」と聞いてどのようなことを思い出しますか? 人には、自分が育った環境で身に附けた言い回しや發音が正しく、それ以外を誤りと決めつける傾向があります。そのようなことを思い起こします。 「みだれ」というのとは違いますが、なんで モーニング娘。というのは最後に「。」(句點)が附いているのか(句點のように見えて實は句點ではないのか)、理由はあったとしても、私は【はっきり言って】なじめないですね。 しかし、私がなじめないからと言って誤りと言うこともできません。 これくらいで回答は終わりにします。
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- jun95
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「すいません」という言い方を広めたのは、こぶ平のお父さんである林家三平で「奥さん。どうーも。すいません。」というのを繰り返していました。 テレビでも、最近は「ら抜き表現」をするひとも増えてきています。 昔はドイツ語の語尾がRで終わるときに、「ヴィルデル」のようにひどく巻き舌音でしたが、最近は「ヴィルダー」と発音されます。このように、日本語でも、変わっていくのだと思います。 たぶん、その上司は、林家三平が嫌いなのだと思います。
お礼
深夜にもかかわらずのご回答を有難うございました。 そういえば林家三平さんでしたね! 参考URLによると彼は東京出身なのに、どうして標準語から外れた言葉を広めたんでしょう。 「すいません」を使う人は東京以外の方だとばかり思っていました。 ドイツ語は確かにレロレロというような発音が多いですよね。 お堅い感じがするドイツ人も、やはり発音しやすい言葉のほうがいいんでしょうか(笑)。 日本語だって変化していくのが自然かもしれませんね。 ところで、私に注意したのは「その上司」ではないんです・・・。 どういう人ということは少々披露しにくいので勘弁して下さい。 多分このサイトも読んでると思うし、更なる酷い仕打ちが心配ですので。
- tbrown
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こんばんわ ←この ”わ”はネットの時しか使いませんが、結構ネットだとこう書く人もいますよね。 私は38歳男性の関西人ですが、ら抜き言葉は特に今に始まったことでもないと思います。 他の方も書かれていらっしゃるように、言葉は絶えず変化するものでしょう。 ”すいません”と聞きなれている私はかえって”すみません”の方が不自然に感じてしまいます。 ちょっと前までは ”全然美味しい”とか”全然”肯定的に使うを言い方は間違いだとの意見がすごく多かったのに、最近は当たり前のように肯定に使う人が多いですよね。 私も短縮後を自分で使う気になれませんが(”明けおめ”とかです)聞いた時に判らないと、若者の言葉を理解できません。 それから他にも 目上の人にたいしては”いらっしゃいます”が正解ですが、本来目下のものに対して使う”おられます”も混同している人が多いですよね。 これも私は気になりません。 殆どそうなってしまってますから1部の接客業などに勤めてる方以外では、意味すら知らない人が多いみたいです。 教科書どおりの言葉しか通じないなら、世代を超えた会話が成り立たなくなってしまいますね。 いろいろご投稿以外のことも書いてしまいましたが、すいません→すみません の内容で、それほど酷いことをされる内容では無いでしょう。 余程由緒のある職業や付き合いでない限りは、充分に許される範囲だと思います。
お礼
早速のご回答を有難うございました。 「こんばんわ」が正しいのか「こんばんは」が正しいのか。 あれれ???後者でいいんですよね?何だか頭が混乱してきました(笑)。 関西の方は「すいません」が圧倒的に多いですよね。 私は名古屋人なんですが、名古屋でも「すいません」です。 私は毎月約400軒を訪問してお客様と接する仕事に従事していますが、 「すいませんは間違いだ」と注意されて以来、 「すいません」と使うお客様が多いのかそれとも「すみません」が多いのか、 ジーッと耳を澄ませて聞き入ってみたんです。 その結果、たまたまその面談中にその言葉を使う場面に至らなかったお客様もいらっしゃいましたが、 圧倒的に「すいません」が多かったのです。 圧倒的どころか、「すみません」はたったのおひとりだけでした。ということは、 少なくともここ名古屋においては「すいません」が標準語というか 基本的な言葉であると結論付けてもいいと思うんです。 「全然」の後が肯定文になる使い方。私も最初はかなり抵抗があったのですが、 ごくたまに口から出てしまい、(あ、私も毒されちゃったな)と自己嫌悪・・・。 「あけおめ」等の短縮形は、もしかして今のように長文が可能ではなかった頃の 携帯電話のメールを打ち込むのに無理矢理短縮形を考案し、 それが会話においても使われるようになった、と考えるのはこじつけでしょうか。 「おられる」は目下の者に使う言葉なんですか!?あらら、私も混同していました。 以後注意します。教えて下さってありがとうございました。
- minatouri
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「ら抜き言葉」については,可能・受身・尊敬を区別するための必然的な変化と考えています. 「すみません・すいません」は音便の範囲内でしょう. 「すいません」を注意した件と酷い仕打ちは無関係と思いますよ.
お礼
早速のご回答を有難うございました。 「ら抜き言葉」は必然的な変化、ですか。 なるべくして変化しつつあるという訳ですね。 ンー・・・私には100%そう言い切れる金科玉条がないのですが、 そういうふうに割り切ればいいんでしょうか。 何だか言語学者の方から叱られそうな気がしないでもないんですが。 「すいません」は音便の範囲。そうですよね。 実は「すいません」でいけないのならと、試しに「すみません」と使ってみたのですが、 「すみ」より「すい」のほうが遥かに発音しやすいんですよね。 「み」は唇をくっつけないと発音できませんが、 母音の「い」は「す」のついでに簡単に発音できますもん。 言葉が変化して行くというのは、そういった理由が最も大だと思います。 >「すいません」を注意した件と酷い仕打ちは無関係と思いますよ. そうかもしれません。注意を受けた直後に仕打ちを受けたものですから、 ついそれに関連付けてしまっただけなのかも。 でも、「ら抜き言葉殺人事件」にもあるように、 今は些細なことを逆恨みしてとんでもない仕打ちに出る人が多いですからね。 たかが言葉、されど言葉なのかもしれません。
- tarohiko48
- ベストアンサー率5% (1/19)
こんばんわ。「すいません」と「すみません」の違いなんて気にもとめなかったのですが「すみません」の方が正しいのですね。一つ賢くなりました(^^; こういう日本語の乱れは気にしだすときりがありません。私の場合は、学校でアナウンサーの先生の講義を受講した事がきっかけで気になり始めました。 私が気になる「日本語の乱れ」は、 ☆~~のほう 例・「お鞄のほうお持ち致します。」 「お会計のほうが\3000になります。」など。 「ほう」という言葉は基本的に方向を示す言葉だそうです。 ☆なんか・・ 例・「なんか今日暑いよね。」 この「なんか」には全く意味がないのです。でもついつい使いまくってしまう。 ☆とか 例「これとかってどう使うの?」 「ポテトとかはよろしかったですか?」 あいまい表現だそうです。 このように気になりだすときりがありません!!特に「バイト敬語」とよばれるものなんて日本語は乱れまくっているのです。ファーストフード店で買い物すると何回「~ほう」といわれることか・・・。 長くなりましたが、私の考えとしては、極力正しい日本語を使うべきだと思います。許されない事ではないと思いますけど、間違った日本語より正しく美しい日本語を喋りたいですものね。 でも、元アナウンサーの先生とはまともに会話できませんでした・・・。私の日本語間違いだらけですもん・・・・・。
お礼
早速のご回答を有難うございました。 「すいません」という言い方が間違ってることを知らなかった というか、考えもしなかったのは私だけではなかったようでホッ・・・? 「~のほう」という言い方も「~とか」というのも、 単刀直入・ストレートに物を指すのを無遠慮だとする 日本の美徳感覚から発生したもののようですね。 ただ、それが最近はやたら耳障りにも聞こえるようになったのはどうしてなんでしょう。 欧米文化が席巻するようになり、あいまいな表現はあまりしない諸国の伝達方法が 古来のものより取り入れられているからかもしれません。 温故知新ともいいますから、日本古来の良い部分を生かしながら 新しい使い方をしていくのが理想なのでしょう。 今はその過渡期なのかもしれませんね。 tarohiko48さんが先生とまともに会話できなかったのなら、 私なんぞはまともどころか言葉に窮してしまうに違いありません。たははは・・・
- shikakuhonpo
- ベストアンサー率23% (201/841)
ファッションと同じようなものです。ファッションも「綺麗な服を着ていたい」と思う人もあれば「服なんか着ていればいい」という人もいます。日本語も「綺麗な日本語を喋っていたい」と思う人もあれば「日本語なんか通じればいい」という人もいます。価値観の違いなので、人それぞれではないでしょうか。 僕も別に他人がなにをどう喋ろうが興味ありません。ただ、僕自身は綺麗な日本語を喋ろうと心がけています。「食べれる」などとは絶対に言いませんし、そもそも略語も美しくないので喋りません。「デジカメ」「ケータイ」ではなく「デジタルカメラ」「携帯電話」と喋ります。あと会社でも、社内でしか通用しないいわゆる社内用語は使いません。綺麗な日本語を喋って損はないわけですから。得もないかもしれませんが。
お礼
早速のご回答を有難うございました。 ファッションと同じ、ですか。 綺麗な服を着ようと心掛ける人と、何でも構わないと無頓着な人。 ウーン、私も身に付ける物にお金をかけたくない人間なので、これは少々こたえました。 略語も美しくない。そうですよね。 私自身は使わないというより、理解できなくて使いようがないというか・・・。 若い方たちが早口&略語でしゃべっているのを聞くと、 まるで異国に紛れ込んだような錯覚に陥ったりして? 「ケータイ」はもはや定着しそうな勢いですね。広辞苑に載るのも時間の問題かも? 「デジカメ」も、「それはどんな亀なんだ?」 と孫に聞いたお年寄りがいらっしゃるとか聞きましたし・・・。 綺麗な日本語をしゃべって損はない、そうですよね。 得もないかもしれませんが、汚いよりも綺麗なほうがいいですよね。
- Spur
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「ら抜き言葉」は、私の中では許されないものです。 「すいません」は、親しい間柄なら良いのですが、初対面や、目上の人に使うと失礼になります。 また、極端な短縮語や、自分たちだけのローカルな単語も、仲間内で使う分には何も言いませんが、自分達の以外の人に使えば、通じないのは当たり前なのに、それを「流行語」と勘違いしているアホが多すぎます。 タメ口も同じですね。 日本語は本来表現能力に優れたすばらしい言葉なのに、それを「乱れて」使っておもしろがっているのは、やはり許しがたいですね。 でも、先にも書きましたが程度問題で、仲間内では良いと思いますよ。 それを、仲間以外の人との話しに使ってはいけません。 でも、彼らは区別も出来ないのです。仲間か目上かの・・・
お礼
早速のご回答を有難うございました。 「ら抜き言葉」は許されないものなんですか。 Spurさんの友人・知人が、それや「すいません」を使っていたらどうされますか? 「その言い方は間違っている」とその都度注意しますか? 「日本語をキチンと使えないようなこんな人間とは付き合いたくない」と言って、 去って行きますか? それもまた厳しいものがあると思うのですが・・・。 最近の教師と生徒間の会話は信じられないですね。 学問を教えてくれている先生に対しての言葉遣いとは 到底思えない会話にビックリです。 ところで、「先にも書きましたが」という一節が気になるんですが、 何のことを指してるんでしょう? 過去の質問か何かでSpurさんと討論したことがありましたっけ?
「すみません」はもともと 動詞「すむ」+助動詞「ます」+助動詞「ん」 ですが、現在は一語として認識されているようです。 したがって、「すいません」という言葉も、一語として認識されています。 恐らく、大抵の人は「『すむ』の否定だ」という意識はないと思います。 ですから、ほとんどの人は「みだれ」と言う以前に、そもそもそのような議論の對象とも思ってないんじゃないでしょうか。 (もっともここの回答者の方々は言葉に敏感な方が多いでしょうから、違うかもしれません。) 私も「みだれ」とは思わないですね。 >例えば「ら抜き言葉」はどうでしょう。聞いてて不愉快に感じますか? 不愉快(ふゆかい)に感じることはありませんが、違和感を覺えることはあります。 「これる」(「くる」の可能)・「見れる」(「見る」の可能)・「食べれる」は全然違和感を感じません。 「考えれる」・「あけれる」(「あける」の可能)は違和感を覺えます。 「投げれる」はまあ中間でしょうか。 「ら拔き」と言われる言葉づかいについては、 別に「ら」が拔けたのではなくて、もともとそのような可能動詞があるんだ、だから問題ない、 という考えたかたもあるようです。 例えば、五段活用動詞「書く」の可能動詞は「書ける」です。これは何かが拔けたわけではありません。 これと同樣に、一段活用動詞「見る」の可能動詞は「見れる」だ、というわけです。 この考え方についての私の意見は控えます。
お礼
早速の回答を有難うございました。 「済む」の否定形の「済まない」だから「済みません」が正しいということ、 私もある方から注意してくれたのがきっかけでふと気付いた次第なんです。 確かに「すいません」は誤りだ、と。 一概に「ら抜き言葉」といっても、確かに違和感のある場合とそうでない場合があるんですね。 これはちょっとした発見でした。 その辺りの区別がつかなくて、もしくは考えもしないで 何でもかんでも「ら抜き言葉」になってるのかもしれませんね。 大変参考になりました。
- masahumi-1
- ベストアンサー率21% (25/117)
乱れ?言語は、言い易い・しゃべり易い方に変化していくのが普通ではないでしょうか?「すいません」皆で言えば、怖くない。「すいません」・「食べれる」・「しゃべれる」など、ほとんどの方が使う様になれば、それが文法になるはず。ある番組で「最近、若者の間でか行変格活用の’来る’を五段活用でしゃべる人が増えた」と批難している方がいましたが、言語学者は「未来には、すべて五段活用に集約される」と言ってました。古文法の「活用」にくらべ、現在ではかなりシンプルになっているでしょう?
お礼
早速のご回答をありがとうございました。 >「すいません」皆で言えば、怖くない。「すいません」・「食べれる」・「しゃべれる」など、ほとんどの方が使う様になれば、それが文法になるはず。 すみません。思わず笑ってしまいました。 確かにほとんどの方が使うようになれば、 最後まで抵抗・憤慨・非難していた方も染まってしまいますもんね。 ところで、「か行変格活用の’来る’を五段活用でしゃべる」 の意味がよく判らないですが・・・。 「終止・連体・仮定・命令・・・」とかいうののことでしょうか? 遠い遠~いその昔、現代国語の授業で習ったような寝てたような(笑)。
- blue5586p
- ベストアンサー率27% (1611/5842)
ら抜き言葉に関しては、40代の私はあまり使わないのですが、60歳代の私のかかりつけのお医者さんは「今度いつ来れる」などと、ら抜き言葉をよく使われます。他にも、選挙が近づくと新聞の投書欄に「こんな候補には投票すまい」という表現が目立つようになりますが、これも、中学生の時に文法の時間では「すまい」は誤りで、「するまい」あるいは「しまい」が正しい表現であると教わりました。 このように、あらを探すつもりで文法上誤りと思われる表現を探せばきりがありませんし、日常会話というものは、なかなか文法どうりには行かないものではないでしょうか。こんなことを書き込んでいる私も、この文章の中で、文法上は誤った表現をしているかもしれません。もししていましたらお許しください。 ただ、私がいちばん不愉快に感じるのは、ほかの方の回答にも書き込んだ内容ですが、自分の両親のことを第三者に「おとうさん」「おかあさん」と伝える点です。これは「父」「母」と、きちんと言うべきと思います。
お礼
早々のご回答をありがとうございました。 「いつ来れる」そういえば私も使ってます。 「来られる」だと「いらっしゃる」という尊敬語にもなりそうですよね。 医師が患者に「いらっしゃる」では威厳がないと その60代の先生は感じておられるのでもないんでしょうが。 「投票すまい」は誤りで、「するまい」が正しいんですか。 そういえばこれも私、使ってます(汗)。 自分の親の事を「おとうさん、おかあさん」これは見苦しいですね。 この言葉には「お」と「さん」という尊敬語が二つも含まれてますから、 それを他人に使うのは誤りという以前に見苦しいと思います。 私が許せないのは、TVに写る人たちがたまに使っていることです。 そういうのを見て育つ子ども達に良い訳がありません。 特に、子ども達のあこがれの的となるアイドルさんには 留意して欲しいものですね。
- speedstar
- ベストアンサー率0% (0/1)
島田荘司著 "ら抜き言葉殺人事件" お暇なら読んでみて(^_^ )ノ
お礼
早々のご回答をありがとうございました。 参考URL読みました。被害者の名前が私と同じなので思わず「ウッ・・・」 残念ながら、なかなか読書をする時間が取れないんです。 いつか映画化されたら是非観てみたいと思います。 それにしても、「ら抜き言葉」に対して執拗に憤慨する方もおられるからこそ こういう小説が書かれるんでしょうね。 やっぱ私も「すいません」は止めようかな・・・(笑)
お礼
深夜にもかかわらず、三度のご回答を有難うございました。 文法…難しいですね。言語学者の間でさえ、白黒付け難い面が多々あるのではないでしょうか。 >『しゃべれる』と韻を蹈むための例外というものです。 この「例外」というのがまた厄介なんですよね。 例外ならば滅多になかろうものなのに、やがて例外が通常を支配していってしまう。 それがやがて>改めて學校で習った文法というものは勝手なものだなあ という事態に変遷されていくのでしょう。 「語幹」とか「未然形」についてはコメントを控えさせて頂きます。 何だかついて行けない・・・(涙)。 >教科書を鵜呑みにしないのが正しい姿勢です。 そう言い切るのも何だか虚しいですねぇ(笑)。 >自分が育った環境で身に附けた言い回しや發音が正しく、それ以外を誤りと決めつける傾向があります。 それなんですよ、厄介なのは。 自分はそれでいいと思っていても、他人の言葉遣いがどうしても許せない。 許せないだけならまだしも、それを逆恨みして事に移したりする輩がいたりする。 それが怖いのなら相手に合わせればいいのでしょうが、 そこまでする必要があるのか? ちなみに「モーむす」の最後に句点が付いているのは、 「モーニング娘」では姓名判断上宜しくないからだそうです。 そんなこと、私にとってはどっちゃでもいいことなんですけどね。