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日本語の変化は、加速している?減速している?
「ら抜き言葉」など日本語の乱れが指摘されていますが、言葉は変化するものという意見もあります。 ここでふと疑問に思ったのですが、江戸時代以前と現在を比べてみると、はたして現在は、言葉の変化の速さが加速しているのでしょうか。 私は、一般への教育が浸透していなかった昔のほうが変化の速度が早かったと思うのですがいかがでしょうか。 それとも、現在は昔に比べて言葉の変化が速く、近い将来口語と文語の乖離が進み、再び、文言一致の対策をとる必要があるのでしょうか。
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>ところで、加速していると思う理由もお聞かせ頂ければ幸いです。 わたしは17年間ブラジルで暮らしました。 ブラジルに行ったばかりのころ、在伯30年40年という年配のかたと話をしましたが、わたしの話す日本語がいまいちわかりにくいと言われました。しかし、そのわたしも17年後帰国したら分からない日本語がありましたし、表現方法も変ったなと思わされるものが多々あります。 「わたしがあ」 「とか」の乱発 「語尾を上げ疑問文にする」 「特上ランチになります」 名前も変ります。早いです。 わたしは20年前、下手糞な小説を書いて応募したことがあるのですが、ヒロインの名前を当時としては斬新的な名前だった「摩耶」にしたのですが、最近ではありふれた名前になってしまいました。すごく早いです。たとえばブラジルなんかはAntonioとかPauloとかPedroとかありふれた名前は遥かローマ時代からあるんです。全然変りません。
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加速していますね。 言葉の変化は交通や通信の手段の発達につれて加速します。 柳田國男の『方言周圏論』というものがあります。 それは文化の中心地から同心円的に、池に石を落とした波紋が広がるように、新しい言葉が徐々に辺地の方へ広がっていくということです。 人の交流が激しい所ほど新語や新表現が出現し、ことばはドンドン変化します。そして辺地ほど古い言葉が残っています。交通が不便で新しい情報がほとんど入ってこない田舎では、今でもチョンマゲ時代の言葉が方言として使われています。 これほど、いろんな情報が飛び交っている時代はありません。新しい言葉や表現が生まれ、そしてすぐに消えて行きます。そして運よく残ったものが辞書にも載せられ、定着して行きます。 >近い将来口語と文語の乖離が進み、再び、文言一致の対策をとる必要があるのでしょうか。・・・こういうことはないんじゃないかな。書き言葉も話し言葉も同じになっていってますね。 文部省のお達しも、教科書にのっている模範文も、国語辞書の内容も、全て現状の追認です。世の中の変化の後追いです。
お礼
回答ありがとうございます。 >文部省のお達しも、教科書にのっている模範文も、国語辞書の内容も、全て現状の追認です。 仰るとおりです。確かに、ほとんどの人が読み書きできる時代に、文語と口語がずれていってしまっては、困りますよね。でも、ブレーキとしての役割もあるのではないかと思いました。 昔、方言はゆっくりと同心円状に広がりましたが、現代では、飛行機や新幹線で、どこに飛ぶかわかりませんね。それこそ一瞬で広まってしまうと思います。そういえば「ガッツリ食べる」などの北海道方言が全国にあっという間に広がってしまいましたね。 私の住む地域は、チョンマゲ時代の言葉がかなり残っていますが、そのうち変わってしまうのでしょう。 ありがとうございました。
- nishikasai
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もちろん加速しています。 ら抜き言葉についてひとこと言わせてください。 わたしはら抜き言葉については乱れではなく進歩だと考えます。 理由は次の通りです。 たとえば「見られる」には三つの意味があります。 裸を見られちゃった。(受身) 先生が見られて批評された。(尊敬) 満月が見られる。(可能) ところが、ら抜き言葉で「見れる」と言うと 可能の意味しかない。 三つも意味があって日本語が混乱していたところ、可能の場合それがよくわかるように別の言い方にした。進歩だ。
お礼
回答ありがとうございます。 ら抜き言葉は、たしかに便利な変化だと思います。若者言葉というよりも、昔から九州に近い西日本では当たり前に使われていました。私も子供のころから普通に使っていました。私の地方では、「超すごい」など「超~」も30年前から使っていました。 ところで、加速していると思う理由もお聞かせ頂ければ幸いです。
- k-f3
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日本語の変化は、加速している!! 江戸時代では文字の読み書きができない人も多くいたはずで、また伝達手段や会話の範囲も限られています。 現在は、携帯電話での通信、特にメールでは略語や暗号化されたメール、絵文字・・・等、氾濫しています。 若者の間では仲間意識のためか「ら抜き言葉」など、グループ間から広がってゆきます・・・
お礼
回答ありがとうございます。 メールなどの発達による影響はたしかに大きいですね。 私も常々そう思っているのですが、変化が加速する要因と、減速する要因の2種類が存在していると思います。このどちらの影響力が大きいのかが疑問になりました。 ◎変化が減速する要因 ・教科書などで国語を教えている (江戸時代には国語審議会のようなものは存在しなかった) ・現代では書籍は一般人でも読む能力があり、長期間保存できるので、年月が経っても過去にさかのぼって確認することが可能。 ◎変化が加速する要因 ・インターネットなどの普及で俗語表現や間違った表現が文章として校正なしに送信される ・核家族化 (世代間の交流が少ない) ・方言の全国拡散 (「~でよろしかったでしょうか」「コーヒーのほうをお持ちしました」など)
お礼
再度回答ありがとうございます。 >「わたしがあ」 >「とか」の乱発 >「語尾を上げ疑問文にする」 >「特上ランチになります」 たしかにそうですね。この17年、いや10年であっという間に変わってしまいました。私は日本にいながらにして、その変化を感じてきました。田舎もんの私には、かなり違和感があります。 最初は、流行語の一種だと思っていたのですが、世代を超えて受け継がれる可能性もでてきましたね。 ここ数年の変化として、20代前半以下の若者の発音自体が変化してきたような気がします。皆が皆ではないのですが、現代版ズーズー弁といったらよいのでしょうか。全国的に、不明瞭な発音をする若者が多いのです。 名前の流行はすごいですね。漢字と読み方の関連性が全くない名前も増えました。 ただ、きちんとした文章を書く10代の子もいるので、今後はどうなのでしょうか。 ありがとうございました。