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シュリーヴィジャヤ王国の勢力範囲について
高校の時の歴史地図にシュリーヴィジャヤ王国の勢力範囲が載っていたのですが、かなり広範囲のものでした。その中で台湾の南部が範囲にかかっていたのですが、これは台湾南部を支配下においたことなのか知りたいです。台湾に王国の遺跡でも残っているのでしょうか?それとも貿易立国ということで、交易が行われた形跡があるのでしょうか?どなたかご存じの方がいらしたら、お教え下さい
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- doro-kei
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回答No.1
こんにちは。 昨日、この質問を見たのですが「難しすぎ!」と思って様子をみていました。 やっぱり、まだ回答ゼロでしたか…。 私の知っている範囲で書きます。回答にはなりませんが。 台湾にシュリービジャヤ王国の遺跡は多分ありません。 本拠のスマトラ島にもほとんどないと聞いています。 木造建築の文化だったようで、遺跡自体ほとんど残っていないのです。 それゆえ、シュリービジャヤ王国(室利仏逝)は「謎の王国」と呼ばれています。 勢力範囲についても、地元の首長なり、王に対して宗主権を持つというものだったでしょう。王国の領土として支配したというのではないと思います。 シュリービジャヤ王国について、当時都を訪れた中国人が記録を残していたと思いますが、勢力範囲についてもその文献に拠っているのでは? ちなみにその記録の名前は忘れました。 自信ないですが、こんな感じです。誰か専門家の人が答えてくれないかな…。
お礼
doro-keiさん、わざわざありがとうございます。室利仏逝は謎の王国と呼ばれているのですか。知りませんでした。いろいろな文献やインターネット情報をたどっても情報量が少ないわけですね。また勢力圏の解釈も宗主権ということなら非常にうなずけます。改めて、感謝申し上げます