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美術を教えるということ。

公立高校で美術の非常勤講師をしている者です。三年目になります。 美術を教えるということについて価値観が揺らぎ始めてしまい悩んでいます。 私は、高校や大学でアカデミックな事(静物デッサンや、石膏デッサン、人物デッサンなど)を中心にやってきたので、生徒には自由に楽しく絵を描いてほしいと思っていました。 そのような考えで授業を進めてきたのですが、それだけでは教える意味がないと思い始めてきました。 まず、成績をつけなければならない。 私の高校は中堅の進学校です、生徒は成績のことを凄く気にしています。 成績など気にするなと言いたい所ですがやはり生徒の進学にかかわってきます。 厳正に客観的に作品の優劣をつけるためにはやはりそれなりに技術を正確に身につけさせ生徒自身でも自分の作品について客観的な評価が出来るようにならなくてはいけないということに気がつきました。 それに、生徒は意外にも「上手な絵が描ける様になりたい」と願っていることにも気づきました。 それは大事な発見だったんですが、それ以来あまりやりたくないと思っていたデッサンや写真の模写などを取り入れるようになりました。生徒の作品の質を向上してあげたいと思うことから、作品に対する意見が厳しくなり批評やテクニックを教えてしまい、おおらかな気持ちで生徒の作品を見ることが出来なくなってしまいました。 それでは美術教師としてやはり失格ですよねえ。 美術教育に関わった事がある方なら誰でも乗り越えなければならない葛藤だとは思うのですが皆さんの意見を伺いたいと思います。 もちろん、美術教育を受けている側の人からもこういうことがしたいなあ。という 素直な意見を聞かせてもらえると幸いです。

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回答No.8

私立高校で美術の非常勤講師をこの4月から勤務しています。 私現在『美術教育』ということに関して疑問を感じています。 私の一学期の成績のつけ方を書きます。 ●出欠席(美術も何も、社会に出て集団生活を営む上で遅刻はタブーですから) ●課題((1)作品の私は『厳正に客観的に作品の優劣』それほどはこだわりません。手がおぼつかないながらにも懸命に作品に打ち込んだ痕跡は作品にあわられます。私の諸注意を飲み込めているかどうかも作品で評価します。) ((2)感想文。記述式マメテスト。技術的に劣ったからといって、美術を愛好する心があり、絶対的に美術を嫌いにならなければ何時か、その子なりの成果が出るとおもうので。) 具体的には私も自分自身で客観的判断を下す自身がなかったので、学校外での公募に授業作品を応募しました。 鑑賞に関しては、世間一般の評価を教え込むのではなく、『夏休みに美術館にいってくる』と、いうものにしました。 私は美術の良いところは、相手を言葉や習慣にとらわれず、感覚という人間本来のもっているものでコミュニケーションを図るための技術の習得だとおもっている部分がおおききのですが。。。 私の学校は生徒の学習習熟度、授業に対する姿勢、向上心が、各コースでまるで違うので戸惑うことが多いです。 先日も私の授業を抜け出した生徒(ふらーっといなくなる)が多いクラスで盗難があり、もう、美術もなにもそれ以前の指導にかかる時間が多く、自己主張ばかり強く、他人を思いやらない生徒に人間不信に陥ります。 私は美術が本当に好きでしたが、無力感がどーっと最近は押し寄せてきます。 成績の為に絵を書いてほしくないという思いは私もありました。 成績が創作のモチベーションっていうのは悲しいですよね。。。 でも、私もお金のためにが100%ではないですが、お金もらえなかったらこの仕事しません。 推薦のための一学期の成績がつけ終わったとたん、授業中に漫画を読み始める生徒もいますが、ほかの科目の事も考えると、疲れているのかなとおもって、うるさくは言わないようにしています。 受験希望の生徒には、私もお世話になった受験予備校を進めています。 でも、私が高校のころのことを考えると 『すぐ忘れてた』ということが多いので、私が落ち込むのは悪循環なので、なるべく展覧会に足を運んだりしています。 あら、本題とかなりはずれましたが。がんばりましょう!!

ikumi40
質問者

お礼

ありがとうございます。 私の学校は進学校なのでとても授業がやりやすいです。とても苦労されてるようで・・・私も新任の頃は理想が高くかなり落ち込みましたが最近は生徒のそんなわがままなところがかわいいなあと思えるようになりました。多分そちらの学校とは比べ物にはならないと思うのですが。何年かして密に接するようになると色んなところが見えてきたりしてますますかわいいなあと思います。 お互いがんばりましょう。

その他の回答 (7)

回答No.7

こんにちは。普通の会社員です。 私が受けた美術教育の中で、思い出深いことがあります。 高校時代の美術教員は、あなたと同じように、アカデミックを専門とされ高度な技術を持ちつつも、生徒の様々な個性を重んじる方でした。当時、時代の流れとともにパソコンを使った美術スタイルも必要になってきたりで、悩みは尽きなかったそうです。デッサンの授業を進めるにあたって、「自分の描きたいもの」を家から持ってこさせ、描かせる授業がありました。その物に加えて、空想や遠近法や教科書内のありとあらゆる技法を好きに盛込ませるやり方でしたが・・できあがった生徒の作品は想像に富んだものでした。被写体がそれぞれなので、教員としてはデッサン法のアドバイスには苦労されたそうですが(^^;美術の中では「好き」「美しい」と感じる感情が大きいかと思います。何かしら、生徒の納得する一点があれば、多少厳しい指導でも、くっついていくと思います。私は、人生を通して美術の授業に多く助けられました。免許はありますが、断った人ですので、ご参考まで(^^ ・・・ >美術教師としてやはり失格ですよねえ。 そんなことは全然ないと思います。現に教師をされていますから。頑張ってください!!

ikumi40
質問者

お礼

私は生徒を傷つけてはいけないと思って言葉を選んでいたのですが 最近は主観で1センチ右にずらして、とか手前をもっと描き込んでとか 細かく注文をつけるようになりました。 もちろんよいところは褒めます。 そうするとかなり聞いてくれることが分かりました。 色んな場面でスタイルは変えなければいけないけど今はこれで良いのかなあと思います。

  • terupe
  • ベストアンサー率42% (25/59)
回答No.6

昨年まで高校の美術教師でした。15年やっていて思ったのは、まず美術において客観的な評価など不可能だということです。自分の中にきちんとした評価基準があって、それにそった、つまり自分自身にとって客観的な(それを主観的というのかな)評価であればいいのです。  例えば最近の「新しい教育観」などでは、制作過程や、前作に対する進歩の具合を評価せよ、という流れがありましたが、私の場合は「完成した作品に対する評価」と決めていました。また、上手い奴がさらさら描いた絵と、不器用な生徒が、ネチっこく味をだした作品では、後者の方を評価しました。デッサンのしっかりした作品をつくらせようとしましたが、構成や、色彩がこちらの琴線に触れれば、こんな絵もありだぞといって、生徒に示しました。  いずれにせよ、生徒に評価について質問されれば、胸をはって答えられる自信を持っていましたし、それにそった授業や評価ならば、なんら問題はないのではありませんか?  それから、あなた自身の中にも、アカデミックなデッサンは楽しくないとか、美術は楽しくあるべきで、厳しい批評はさけるべきだとかいった思い込みはありませんか?  中堅の進学校ではなく、いわゆる底辺校にいけば、いかにして生徒を座らせておくか、といったことが授業の主眼になってしまいます。生徒に向上心のある、恵まれた環境にいるのですから、あなたの考える「良い作品」をつくらせるべく、がんがんやればいいのです。  その中で必ずあなたの考えた以外のタイプの作品もでてきます。それも良いと思ったらどんどん評価してやって下さい。そうすることであなた自身の幅も広がると思います。  その辺りの柔軟性があれば、何も悩むことはないと考えます。 何だか、偉そうになってしまいましたが、元先輩として、すごくわかる悩みだったので、何かの参考にして下さい。

ikumi40
質問者

お礼

ありがとうございます。 明らかにやる気が無い生徒の作品以外は 時折覗かせる意外な才能にただただ感心します。 時間をかけてまた変わりながら色んな課題を試したいと思います。

  • riripon
  • ベストアンサー率28% (8/28)
回答No.5

自分は美大を卒業しました。高校の美術の教師になるという選択肢もありましたが、そうなりませんでした。なぜかといえば、美術は果たして、学校で先生が教えられるものなのか、という疑問が少なからずあったからです。自分も小、中、高と美術が得意だったので、美術の時間が待ち遠しく、大好きでした。好きではない授業の合間の素敵な時間という意味合いが強かったので、成績自体は、気にしたことはなかったですけれど。学校は、一生懸命勉強してよい成績をとることを目指すところでしょうが、美術で成績を上げるとは、いったいどういうことなのでしょう。たとえば、美術史ということだったら、暗記して、もしテストがあったら、いい点数をとって・・・・と分かりますが、絵や彫刻を実際つくることだったら・・・何も写実的なものばかりが素晴らしい、よい作品であるとは限らないのではないでしょうか。デッサンのテクニックなどは、美大を受験するときには、必要になるのかもしれませんが、もっと、必要なのは、人と違った、発想や個性ではないか、とこの頃身にしみて、感じます。昨今では、昔では考えらなかったようなものが、アートとして認められるようになってきましたし、しかし、それって、学校が与えて上げられるものではないのではないでしょうか。むしろ、普段の暮らし身の回りの環境から、自然と身に付くものだと思います。親や先生から、こんなものくだらないからやめなさい、といわれるものほど、感性を育て、ひとつのチャンスにつながっていくもののような気がします。と、いうことを考えているような自分では、学校の先生にはなれないというわけです。  しかし、逆に考えれば、美術の先生の役目とは、なるべく、アカデミックなことを教えて、それに反発、逆らう心から、今まで、誰も見たことのないような発想や個性を発現させること、といえなくもありません。  きっと、文部科学省の指導要領なんかがあって、もっと、自由な授業がしたくても、なかなかできないのでしょうね?  一番よいのは、美術や音楽の点数が、受験に関係なくなるか、あるいは、それが得意な子なら、そのことが+としてみてもらえるように、変わるのがよいのでしょう。必ず、世間の価値観は変わっていくものだと信じています。  生徒に対しては、悪いところを厳しく言うよりも、よいところを褒めて育てる方が、いいのではないでしょうか。テクニックや、超技術は、美大受験予備校にお任せするのがよいでしょう。あちらは、うまさ、を教えるプロなので・・・

ikumi40
質問者

お礼

私も現代アートに触れさせたいと思っていたのですが そのことで楽になる生徒もいるし逆に苦しくなる生徒もいるので いつも課題が終わったあと落ち込んでいました。 最近ではそういった作品から心理を読み取っていくのも面白いなあと感じています。 受験指導はとにかく受からせたいので紙にびっしり厳しいことを書いていたのですがそれが助かるとも言われて安心しています。 いつの時代も不平不満はあるのでしょうが自分の中でうまく消化していこうと思います。ありがとうございました。

noname#12387
noname#12387
回答No.4

例えば美術史なんかを授業中に触れて、実技とは別の簡単なペーパーテストだってできます。 また、教科書の中からなにかについて自由に論述させても良いんじゃないでしょうか。 技術力のみが美的センスに繋がるわけじゃないし、そこから理解度を探れますよね。

ikumi40
質問者

お礼

それも考えて美術部の生徒を対象に試みてみたりしたのですが 時間数が限られているのと、 やはり手作業のほうが私の様な高校では魅力的なようです。 少々言い訳がましいですが。難しいですねえ。

noname#3116
noname#3116
回答No.3

美術系の学校に行ってたものです。(昔々の話ですが) 学校を卒業する頃に先生の言ったことで今でも覚えている言葉があるんですが 「(個性的な)絵の書き方を教えている訳ではない。それは自分で思考錯誤して見つけるもの。 学校で教える事が出来るのは、精々物の見方ぐらい」とサラリと言われたことです。 (数年学んだからってコレがオレの絵だ!って出来る分けないぢゃん、とも言われました(^^;) それともうひとつ、これは子供の頃に言われたことですが 私は授業で舗装道路のある風景を書いていて、道路を紺色でべったり塗っていました。 それを見て先生が「よくみてごらん。道路って紺色だけじゃないでしょ? 小石の有るところは白っぽいし、良く見たら、緑にみえるところも、 土のついているところは赤っぽくもみえるでしょう?」といわれたことです。 どちらのセリフもたぶん同じ事を言っているのです。 子供はりんごと言われたら、たぶん赤い丸を書くでしょう。 でも、実は一色でもまん丸でもないんだよ、と言う事に気付くのが 美術の授業の意味なのかなーと(^^; よく授業で静物の練習で牛頭骨を書かせるのがありますよね。 あれは「骨は白」って思ってる人に書かせて、実は白いところグレーのところ 影になって黒いところを「見る」練習をさせるものだと思います。 生徒さんが上手な絵が書けるようになりたいと思っている気持ちもよっくわかります。 私も牛頭骨がうまくかけた時は大変誇らしく嬉しかったのを覚えています。 これがあなたの質問の回答になっているのか段々わからなくなって来ました(^^; (何言ってんだ>ぢぶん?) 何かの参考になればと思います。(なるのかしら??(^^;)

ikumi40
質問者

お礼

ありがとうございます。 やはりそういうことになるのでしょうね。 一人一人細かくものの見方を教えていくと 「なーるほど」っていう感じにもなります。 やはり一度は自分も他人も「うまい!」って褒めてくれる絵を描いてみたいですよねえ。

  • halfmoon
  • ベストアンサー率33% (55/165)
回答No.2

こんにちは。現在小学校教師ですが、4年前に高校の美術の非常勤講師をしていた者です。 私も先に回答された方と同じ意見です。美術系大学に進学したい生徒さんでもないようですし、まず作品を作ることが好きだったり、絵をみて「なんだかこの絵はいいなぁ・・・」と感じる気持ちだとかが大事ではないでしょうか・・・勿論、皆上手になりたいとは思うでしょうが。ただ、上手下手だけじゃないと思うんですよね・・・ 私は教育学部出身ですので、芸大・美大レベルの絵は、恥ずかしながら描ける自信はないです。でも、子供が絵や工作を大好きにさせる自信は少なからず持って指導しています。また、そのように学んできたからです☆ たとえば、よくある教材ではモナリザの絵を使って、コラージュしたり、ムンクの絵を使って、周囲に色んな世界を描いていく・・・などやりました。高校生くらいだと、自分の思いひゃあるものの、なかなか表現するのにためらいもありますよね。そういった自分の中のイメージを開放できる場が美術であってほしいなぁとも思い、私は指導してきた気がします。 なかなか評価が難しい科目ですが、評価するためには自分の作品についてのカードを書かせてみるとか、自己評価させていくのもいいと思いますよ。デッサンなどでは、露骨に上手下手が出てしまうのも事実です。下手なコでも、すごいイメージや発想を持つ子はいっぱいいますよね。色んな生徒が美術の時間、楽しめることができたらいいなぁと願っています。頑張ってくださいね!!

noname#5645
noname#5645
回答No.1

>美術を教えるということについて価値観が揺らぎ 美術がただ絵を描くための技術を教えるためだけにあるわけではないということに気が付いてますか? まあそんなのすべての生徒が気が付くわけではないですが。 でも将来教え子たちが、大学に入ったりしてルネッサンスとか勉強した時に、遠近法の誕生とか習ったりしたならば、あなたの美術の時間にデッサンしたことが何かしらためになるかもしれません。 あるいは哲学を専攻し、認識問題に興味を持った時などもそういうことがあるかもしれません。 それに気が付くことが出来る可能性のある生徒が一人でもいるならば、あなたの教育は上手くいったということも出来るかもしれません。 こうなると美術という教科だけの問題ではないですが。

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