- ベストアンサー
盲目的信仰
標題のことばは差別用語でしょうが、あるURLの名称ですので、どうか許容してください。 警視という階級の方の宗教団体とのかかわりが報道され、人間の心理の切っ掛けや状況など、まぁ人にもよるのでしょうが、考えさせられました。 そして偶々保存しているアドレスやネットの検索などもしてみました。 http://now.ohah.net/fp4/dharmaBlind.htmlというのもありました。 愛は盲目なりとかいいますし、いろんな方がいろんな信仰をしていられるのですが、突き詰めると、 1. 信仰はどうしても素朴な気持ちも、一つの必要事項ですよね。 ちがいましょうか? 素朴性は、盲目につながりましょうか。 2. そして信仰は、科学的確証を踏み越えますよね。 その時に、科学的確証に替わって何がものをいってくれるのでしょうね。 3. 例えば此のたびの警視の場合、何か(事情とか、心理とかについて)想像できるものはないでしょう。 私も拙い一精進者ですが、その立場での質問でして、科学や心理その他の面からの分析と教えは歓迎いたします。もちろんご信仰の方からのお教えは大歓迎いたします。 でも信仰について、あまり存在性をお認めになられない立場での、一刀の下(もと)の論断は、できればご遠慮申しあげたく存じます。 どうかよろしくお願いします。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
noname#80116
回答No.2
その他の回答 (4)
- at9_am
- ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.5
- adaypajimy
- ベストアンサー率20% (201/964)
回答No.4
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.3
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.1
お礼
bragelone さま有難う御座います。 オウム真理教(がどういうものかは存じないのですが)やいろんな宗教があり、それに入っていく契機、理由、心理状況、そしてその中でのありようなどでは、時に考えさせられ、気持ちがつまることもあります。 このたびの警視の年齢は、個人として、二番目の甥より二つほど下で、ある意味で人生のターニング・ポイントでもあり、職場でも、歩んできた人生でも思うこと、状況は多々あるのではないかと、その不安定な中で、免疫性の薄弱な方は、ともすれば、初出会いのような対象や状況に冒されるのかなと思いました。 巡査、巡査部長、部長、警部補、警部。その上の階級。 誰でもなれる立場ではありませんし、常識も弁え、慎重性もある筈なのに、そして決して生活に波風があるべき環境でもないはずだし。 何がそうさせたのだろう。上下の指揮の厳しい職場も、気持ちが揺れることがあったのだろうか? 盲目的信仰という言葉になんとなく対応していて、人口に膾炙している、《愛は盲目なり》などと、使い慣れない、むしろ自分としては避けてきているフレーズを、ちょいと出してみたのです。 この盲目は、理論演繹や、収支的計算、価値判断をしない、事情がどうのということを度外視する、というくらいかなと、思っていました。 ラートブルッフの正義の女神の目隠しにもほんの少し似ているのかな、くらいでした。愛するには仰せのようなきちんとした判断や冷静は必要でしょうし、自己を持する中での燃えるものがないと、無理ですね。エゴの欲するがごときに発している欲望は全く無関係でしょう。 意外に愛はものをみていますね。自分が無関心でも、愛は決して無関心ではない。面白いものですね。
補足
素朴さを見失うと━ (以下)は 洵に、貴兄の思索と実践の中のお言葉で、熟読し、思いを凝らす必要を感じております。 私も、観念的ではありますが、矢であり、力であり、存在自体であるという意味で、同感しております。