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応仁の乱の旗印
応仁の乱の東軍、西軍の旗印を教えていただけますか?
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質問者が選んだベストアンサー
山名氏の紋は二つ引両紋といいますが、山名氏は新田氏流なので、大中黒の中黒の真ん中を横に細く白線を入れたものです。それに、桐紋の右下、左下にに笹を配した紋があります。 細川氏は九耀紋を使っていますが、後の熊本藩主家が戦国時代に使い始めたとの説がありますので、応仁の乱までさかのぼれるかは不明です。室町管領家の細川氏は松笠菱が家紋ですが、もともと足利氏流ですので、二引両もしくはその変形紋を用いた可能性はあります。ただ、鎌倉時代の細川氏は、足利氏流の中では家格の低い方でしたので、可能性は低いかも知れません。 以上参考までに。
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- fumkum
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回答No.2
NO1です。直接の回答にはならないのですが、気がついたことがありますので。 建武の新政ご足利尊氏と新田義貞が総大将となって戦ったいくさ(中先代の乱の後か、京都の市街戦のときか記憶があいまいですが)の時に、負けた足利方の千葉氏などが新田氏に降伏し、足利の二引両の旗印の真ん中を墨で塗りつぶし、新田の大中黒の旗印に変えたとの記述をみた記憶がありますから、総大将の旗印を使う習慣はあったように思います。 ちなみに、足利の二引両は○の中に「二」を書いたようなもので、大中黒は○の中に「一」を太く書いたようなものです。ですから「二」の中を塗るつぶすと、「一」の太いもの、つまり大中黒になるということです。なお、千葉氏の紋は妙見紋(三日月に星)なので違います。
- fumkum
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回答No.1
細川勝元が将軍足利義政に要請し、将軍の象徴である「牙旗」をかかげたとの記述を見ましたが、東軍・西軍の旗印は解りません。
質問者
補足
山名は九曜紋をつかっていたでしょうか?
お礼
ありがとうございます。 マンガの依頼でしたが応仁の乱の両軍をかかねばならなかったため、ここでストップしていました。