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史記について

史記の 於是、乃解其宝剣、繋之徐君・・・始吾心已許之。 とあるのですが、徐君の気持に気がついたとはいえ、なぜ自分の宝剣を与える気になったんですか? 教えてください。

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回答No.2

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3546925.html  この文ですね。  季札は人望厚く、たびたび王位に就くことを望まれたが、そのたびに辞退したことで有名な人物です。堯帝がその人柄の素晴らしさを聞いて帝位を譲ろうとしても、耳が汚れたと言って川の水で耳を洗った許由のような人です。  (「Wikipedia」の「季札」の項などを参考にしてください。)  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A3%E6%9C%AD  この宝剣の話も、季札の人格の高さを示すエピソードとしてよく知られています。  宝剣をほしがった徐君については、私は全く知識がありませんし、ネットの検索でも情報は得られませんでした。(検索の仕方がまずいのかもしれませんが。)  したがって、史記の該当の話には(他の部分には書かれているのかもしれませんが)徐君の人柄などには触れられていないので、推測するしかないわけですが、私は、季札が宝剣を与えようと思うほどの高潔な人格の持ち主であったから、と考えます。  あの有名な季子が来た、ということで徐君は大いに歓待したのだと思います。  季札のことですから、その時の食事がとても豪華だったから、というような世俗的な評価に基づいて、それじゃあお礼に、という気持ちになったのではないでしょう。  もてなしの端々に感じられる徐君の心遣い、宴での徐君の言動に心動かされるものがあり、この人なら、この宝剣の持ち主としてふさわしいと感じたのではないでしょうか。  たとえば、このサイトでのやりとりでも、質問者のお礼から、回答をとても喜んでくださっている様子が感じられれば、「またこの人の質問があれば、ぜひ力を尽くして回答してさしあげよう」という気持ちになりますし、締め切りもしない、締め切ってもお礼の一言も書かない、補足要求があっても対応しない、というような人には、「もう絶対答えてやるものか」という気持ちになるのが人情ではないでしょうか。  徐君には、季札に、この人のためなら宝剣を手放してもよいと思わせるだけの人間的な魅力があったと、私は考えます。

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  • banzaiA
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回答No.1

>於是、乃解其宝剣、繋之徐君・・・始吾心已許之。 の・・・のところを明らかにして下さい。 思い出すのに時間がかかるので。