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「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」は“文学”か?
『ソドムの市』(そどむのいち)を3年ほど前にビデオレンタルしました。 マルキ・ド・サドの『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』を原作にし、 舞台を第二次大戦下に置き換えて映画化したと聞きました。 人によっては、最近ではもっと刺激的な映像も有るとおっしゃいますが、 当方には、この上なく後味の悪い映像として脳裏に焼きつきました。 (この映画の監督の死に様も、当時は話題になったようですが、それはさておき・・・) あいにく原作を読破しておりません。 日本語訳のものでしたが、どうにも映画の“トラウマ”が強すぎて、途中で止めました。 恥かしながら、サドの他の作品も幾つか手に取ってみましたが、どうにも身体に馴染めず、読破できずじまいです。 マルキ・ド・サドの名は「サディズム」の語源だとも聞いた覚えがあります。 文学とは?・・・過去質問によれば・・・と、言うより、さまざまな解釈が有るようです。 http://okwave.jp/qa2576584.html この例になぞらえれば、サドの他の小説も“文学”足りえるようですが、 日頃“文学”に馴染みの無い輩としましては、昨今の“大衆官能小説”にも劣るような書物には、 “文学”の称号を与えたくも有りません。 「サド」の書物は“文学”足りえるか? このジャンルにお詳しいかたがたのご意見をぜひ拝聴させていただきたく思います。 なにぶん、当方、文章力に乏しく、表現性の無いお礼に終始せざるを得ません。 どうぞ、宜しくお願い致します。
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お礼
有意義なご解説を有難うございました。