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日本語の不思議
日本語の「いる」と「ある」って、どういう風に使い分けるのでしょうか? 私が言っているのは、「~ている(進行)」と「~てある(完了」ではなく、「~がいる」と「~がある」の使い分けです。 一般的には、 ~がいる;生物の存在を示す(自発的に動くもの) ~がある;無生物の存在を示す(自発的には動かないもの) と言われていますが、「死人」と「死体」とを比べるとどうでしょうか。 死人がいる、死体がある 同義語にも関わらず、いるとあるを使い分けています。 どうしてこうなるの分かりません。 どなたか分かる方いらっしゃいますか? それよりも、自分自身、使い分けの根拠も分からないのに、しっかり使い分けているという事自体不思議に感じます。
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- nosutaruzi
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場の情景や展開があって、使い分けるんじゃないでしょうか。 居るには、死体をまだ、人間として見ている哀れみの情が作用しているようにも感じますが。 幽霊が居る~みたいに、死体に恐怖→なんか居る→死体が居る~とか。 使った際の状況でまた、意味が変わるかなって思います。 死体を押入れに隠した→死体を知っている→死体が有る。とか。
NO.2です。 たしかに「死人がいる」という言い方は、あんまり聞いたことがありません。 しかし、「死人がある」という言い方は、もっと聞いたことがありません。 今、問題にしているのは、死人について「いる」と「ある」のどっちが適当かということです。「死人がある」というのは「死人がいる」よりも明らかにヘンだと思います。 なお、私は学校で「生物=いる」、「無生物=ある」ということについては習っていません。でも、まあこれまで間違えずにやってこれました。日本人であれば、この程度のことについては、学校で習わずとも、日常の会話や読み物で身についているはずです。 NO.2でも申しましたが、無生物でも自発的に動くもの、例えば自動車などについては『いる』を使った方がいい場合が多いですよ。
- toatouto
- ベストアンサー率31% (60/190)
#1の方もおっしゃっていますが、 「死人」は、「いない」んじゃないでしょうか…? 基本的に、亡くなった人はそこに「いない」ですから。 「そこに死人がいます」 という発言にはかなり抵抗があります。 ですので、生き物は「いる」それ以外は「ある」と小学校で習った通りで良いかと。 習っている筈です。 だから使い分けられるのだと思います。 意図的に擬人化することなどに関しては、言うまでも無いかと。 私見です。 ご参考まで。
- asamikan
- ベストアンサー率51% (78/151)
おっしゃるように、基本的には 生物=いる 無生物=ある なのだと思いますが、例えば同じ「人形」でも、それが生きているように感じたり捉えたりする場合は、「人形がいる」といった言い方になるでしょうし、単なる物として捉えた場合は「人形がある」となるのだと思います。 愛着のある・なしでも変化するように感じます。 また、既に他の方の回答にもありますように、無生物でも動くもの(車やロボット等)に関しては「いる」と表現することがあるとおもいます。 要するに、意思をもって動くもの・動きそうなもの・動かなくても意思がありそうなもの・こちらにはたらきかけてくるもの等に対して、「いる」と表現するように思います。 また全く同じものでも、それを言葉にする本人がどう捉えているか、どう表現したいかで、言葉が変わってくるということではないでしょうか。 日本語って面白いですね。
>一般的には、 ~がいる;生物の存在を示す(自発的に動くもの) ~がある;無生物の存在を示す(自発的には動かないもの ・・・私も原則的にはそうだと思います。ただ例外があるんじゃないでしょうか。 無生物でも自発的に動くやつについては「いる」をつかうこともあります。 「真夜中だったので、右折禁止のところを右へ曲がったら、丁度パトカーがいてね。」・・・この場合パトカーは無生物ですが「いる」の方が適当でしょう。 >死人がいる、死体がある・・・これはそれぞれ正解だと思います。死人が無生物で、動かないものであるのになぜ「いる」なのかですが、これは「死人」というのは(「死者」も同じですが)、あくまでも「人」であり「者」だと思うんです。 一方、「死体」「遺体」「死骸」は物体です。 「死人」は死んではいるんだけれども、「死人が出た」などというように、死んだばかりの人を表しており、生きている人に準じて扱ったほうが通りがいいからなんじゃないでしょうか。 死人の場合は、死んだ人を悼む感情が、少しは入っているように思います。 石仏(地蔵様)という動かない物体に対しても、信仰心のある人と無い人では表現の仕方が違ってくると思います。 「そこに石の地蔵があった」、「そこに石の地蔵様がいらっしゃった」 >自分自身、使い分けの根拠も分からないのに、しっかり使い分けているという事自体不思議に感じます。 ・・・まあ、日本語に限らず、言語というものは、文法や用法が先にあって、それに肉付けをして出来上がったものではありません。 何万年前か知りませんが、猿から人間になりかけのときに、みんなが文法なんか全く無関係に勝手にしゃべり出し、お互いの意志が通じるようになって、言語というものが成立したわけです。そして、しゃべっている言葉を分析したら、一定の法則性が見られた・・・それが文法や用法です、文法や用法は、後から整理してできたものなんですね。 赤ん坊が言葉を覚えるのも同じです。理屈抜きで、沢山の用例を聞かされて覚えていったんです。 大人になって英語を覚えるのは、文法から入った方が効率的かも知れません。 しかしネイティヴはみんな理屈抜きで覚えた口で、文法や用法は、あとから勉強して、『あっそうか、そういうことなんだ』と納得しているんだと思います。 なにせ後付けですから、少数の例外はどうしても出てくるでしょうね。
「死人=死んだ人」 「死体=死んだ人の体」 と考えればよいのでしょうか。 ただし、「死人がいる」という表現はあまり聞きません。