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「難しくて泣ける」「思わず笑える」の文法的説明
学生の会話ではよく「数学の授業が難しくて泣ける」と言うことがあると思いますが、一見「自発」の意味と思えるこの表現を文法的に(どんな品詞をどんなふうに使っているかなど)説明して下さい。 同様に「思わず笑える」についても、ご説明ください。 確か、自発の意味を持つ助動詞は「れる」「られる」のみだと思っていますが、他にもあるのでしょうか。あるいは古語文法なのでしょうか。また、これらの文は「自発」とは言わないのでしょうか。 私も普段何気なく使っている表現ですが、文法的な根拠を追及されると返事ができなくなってしまい、またもや日本語に弱いことを痛感させられてしまいました。
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○五段活用の動詞にはそれぞれの動詞に対応する「可能動詞」があります。「泣く」には「泣ける」、「笑う」には「笑える」がそうです。その「泣ける」、「笑える」は下一段活用になります。 ○それとは別に可能・自発・受身・尊敬の助動詞「れる・られる」があります。「泣く」「笑う」には「れ」の方がついて「泣かれる」「笑われる」となり、「~ことができる」(可能)・「(自然に)~される」(自発)・「(ひとから)~される」(受身)・「お~になる」(尊敬)などの意味を持つことはご存じでしょう。 可能動詞は名前のとおり「可能」を表しますが、同時に「自発」をも表すのです。その結果、「泣かれる」と「泣ける」とは同じに使うことができます。(可能動詞は受身・尊敬には関係ありません) 現代では「自発」(可能も)の時には「泣ける」「笑える」という(可能動詞)の形が普通に使われるようになっています。 上記の話は「五段活用」限定で、上一段・下一段・カ変・サ変では違ってきますのでご注意ください。
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- OKAT
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> 「泣かれる」と「泣ける」とは同じに使うことができます ということは、「数学の授業が難しくて泣かれる」も自発の意味で使える(少なくとも、かつては使っていた)ということなのでしょうか。 確かに現代では「自発」(可能も)の時には「泣ける」「笑える」という(可能動詞)の形が普通に使われるようになっていると思うので、その説には違和感を覚えています。 「五段活用」の代表として「泣く」「笑う」をあげていたため、そのような言い方になりました。「可能動詞」は 「大辞林」などの辞書は必ず「可能動詞」というのを記載しています。勿論五段動詞に限ります。問題の「自発」の意味で最初から「可能動詞」を使っていたわけではありません。実はこれは動詞によるのです。 例えば「思う」ですが、「故郷のことが思える」のようには普通言わないでしょう。(そう言う人がいたらしようありませんが)「故郷のことが思われる」でしょう。「思い出す」もそうです。「昔のことが思出せる」ではなく、「昔のことが思い出される」と言いませんか。もともと「自発」の意味で使われる動詞の数はそう多くはありません。論文などの結論で、「~と思われる」というのは自発です。「と思える」と言って悪いわけではありませんが。 《参考》 自発に属するとされる形態の意味。 1.「感情がある事物に志向する」という意味特徴を持った動詞(他動詞)例 思い出される・案じられる・しのばれる・待たれる・くやまれる・うらまれる 2.「知る」「想像する」「推定する」等、「ある事物についての認識を得る」という意味特徴を持った動詞 例 知られる・想像される・推定される・説明される 3.「思う」「考える」等、「思考・判断」表す動詞 例 思われる・考えられる・見られる・判断される 4.「外的な動作」(心理的な動作でないもの)を表す動詞 例 眺められる・<泣けてくる>←可能動詞 (この部分には五段以外のものが多く含まれます)
お礼
追加のご説明、ありがとうございました。
- hakobulu
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最初に、ちょっと長いのですが、下記サイトの記述をご紹介させていただきます。 【このように個人の意思では制御できない動作を表す動詞の場合、形の上で可能動詞を作ることはできても、「自発(=自然とそうなる)」の意味になることがあります。たとえば「笑える」「泣ける」というのは、「笑う能力がある・笑ってもいい状況だ」「泣く能力がある・泣いてもいい状況だ」ということよりも、多くの場合には「自然と笑ってしまう」「自然と涙が出てしまう」ということを示します。】 http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/153.html つまり、可能動詞の形ではあるが、動詞の属性によって自発の意味として使うことも可能、ということではないかと思います。 むろん、可能動詞としての機能も併せ持っていますから、シチュエーション次第で使い分けます。 「どうしても涙が出ないときは玉ねぎを切ると泣けるよ」などと監督が女優に言ったりする。 下記サイトでも、 【「私自身が泣くことができる歌」という解釈も可能ですが、泣くは自動詞ですので、自分の意志で泣くというよりも、「何かに泣かせられる」「何かが私を泣かせる」の裏返しである「自発」ととらえるのが正解だと思います。】といった記述があります。 http://fuji-san.txt-nifty.com/osusume/2009/02/post-81b7.html 知恵袋の下記ベストアンサーを解釈すると、 「泣かれる」も「泣ける」も自発になり得るが、後発の「泣ける」型の普及に伴って、「泣かれる」型は次第に使われる頻度が少なくなっていった、と言えそうです。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1498813814 また、ウィキには、 【語尾を「~える」とした「見える」「聞こえる」は、「見る」「聞く」に「れる」の古形「ゆ」を付けた形で、自発的な意味を持っている。自発の助動詞の場合と同様、経験者を「に」で表すことができる。ただし現在では「見られる」「聞かれる」とは意味的に使い分けられている。】といった記述がありました。ご参考まで。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%99%BA_(%E6%96%87%E6%B3%95)
お礼
No.1さんへのお礼に記した疑問にまで詳しく立ち入ったご回答、ありがとうございました。
- fxq11011
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自発か可能かは、前後の関係で決まると認識しています。 自発=自然とそういう状況になる 可能=意思を持ってすればそういう状況になる >「数学の授業が難しくて泣ける 泣きたい意思はないはず・・・自発 思わず笑える・・・・思わずだから、笑う意思にかかわらず・・自発 例、(落語の)あそこは笑える・・・可能・・笑いを得たくて落語を聞く 自発・可能・受け身・・・最初から独立していたものではなく、実際に使用されている言葉を文法として整理体系づけた時にできた名前です。 >自発の意味を持つ助動詞は「れる」「られる」のみだと思っていますが 自発という定義が先ではなく、言葉のほうが先にありきです
お礼
ご回答、ありがとうございました。 本来、文法とはそのようなものですよね。
お礼
明快なるご回答、ありがとうございました。 > 「泣かれる」と「泣ける」とは同じに使うことができます ということは、「数学の授業が難しくて泣かれる」も自発の意味で使える(少なくとも、かつては使っていた)ということなのでしょうか。 確かに現代では「自発」(可能も)の時には「泣ける」「笑える」という(可能動詞)の形が普通に使われるようになっていると思うので、その説には違和感を覚えています。