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もうひとつの宇宙

宇宙の外に、もうひとつの宇宙が存在する可能性はありますか? 我々が居る(と思っている)宇宙は虚像ではないかと、取り留めの無いことを考えています。

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  • aster
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回答No.5

  >宇宙の外に、もうひとつの宇宙が存在する可能性はありますか? 哲学における、実在論的な見方と、認識論的というか観念論的な見方によって違って来ます。実在論と観念論は認識論上の二つの立場です。 実在論的には、「宇宙」とは「時間と空間を含む全世界」ということになっていますが、「現在認識され、実在だと考えられている現宇宙」は、これだけであるという明確な根拠はありません。 人間の認識の進展の歴史を考えると、「宇宙」の規模はどんどん大きく、考えられていたものを超えて、更にその外・上位に、包括的な宇宙の像が見出されて来ました。この歴史からすると、「宇宙の外」に更に高次の宇宙が存在する可能性は多いにあります。 ホーキングは、時空宇宙が無数にあるという仮設を立てましたが、ホーキングに限らず、色々な意味で、宇宙は、もっと巨大な構造の高次宇宙の一部だというモデルはあり、そうでないという否定の証拠はありません。「可能性」としては、色々あるということです。 他方、認識論の観念論的な立場からは、次の質問の回答に書いたことがあります: >No.348013 質問:観念論と実在論の論争について >http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=348013 >回 答 >…… > >ドイツ観念論哲学のなかでは、カントの主観的観念論がもっとも代表的で、カントは「物自体 Ding an sich」は、想定できるが認識できないとしました。つまり、客観的実在は、主観の認識にとって超越的で、すべての認識は、主観認識で、客観は認識できないのです。 > >従って、実在世界が本当はどうなっているのか、主観=我々には、ついに分からないということになります。しかし、分からないでは、世界がどうなっているのかまったく分からず、世界はこうだ、と考えて行動することも判断することも何もできなくなります。ところが、実際は、世界の客観的実在を、それぞれの主観があたかも一致して把握しているように、社会のなかでのできごとは、話が合って進行しています。 > >これを、統整的理念と呼び、「あたかも世界はかのごとくに」人は行動して、それで、みかけ上うまく行っているように見えるし、うまく行くのです。これは統整的理念があるからであるします。 我々が世界だと認識している世界は、主観的な「仮象 Schein」である可能性があります。というか、「もの自体」は認識できませんから、そもそも主観的世界であるということは間違いありません。 この主観的世界=宇宙の外に何かがあるかと言えば、「もの自体」があるということになります。 >我々が居る(と思っている)宇宙は虚像ではないかと 「虚像」というのを、どう受け取るかの問題ですが、哲学的な認識論では、「虚像」に対する「実像」は、主観が主観である限り、つまり、わたしがわたしである限り、「実像」には辿りつけません。 これは自我主体という哲学的認識主体の超越論的構造から出てくるもので、世界は我々の構想像だとも言えるのです。 しかし、認識主体である我々の存在の様態が異なれば、別の認識が可能でしょうし、「もの自体」の認識も、超越的に可能となる、主観の存在様態も構想できます。それは形而上学になりますが、聖トマスの至福直観などで、神の視点から一切を認識できれば、それは「客観」である「もの自体」を認識できることになるでしょう。 これはしかし、宗教か形而上学の話になります。「真の世界の姿」は、認識論を超えた、形而上学的啓示によって把握可能なのだとでも言うしかありません。 他者の魂を我々は認識できないのですが、それは主観存在である我々の宿命だとも言えます。しかし、実存主義のなかのヤスペルスは、「限界状況の愛」のなかで、自分の妻の魂を知ることができたとも言ってます。 これらは、「奇蹟」の類の話ですが、哲学者や科学者は忘れているのかも知れませんが、人の存在は、奇蹟における存在であり、奇蹟は、失われしまうことはない、というのが、人が人であることの神秘性・真実性なのです。 なお、「色即是空」というのは、「空即是色」という言葉と対になっており、色即是空とは、現象はすべて虚無だ、などという考えではありません。それでは「空即是色」とは何かが分からないからです。(色と空は、対等な名詞ではなく、「色」は名詞的実体ですが、「空」は、実体ではなく、形容詞的状態のことです。従って、色=空ということを、強調して言っているのではないのです)。 以下の質問の回答を見てください(なお、ここで、syunyata と書いているのは、sunyata と書くと、「スーニャタ」と読むので、近い音で、syunyata と書いたのであって、別に、サンスクリット語のローマ字転写では、sunyata で、「u」の上にアクセントがついているのが、正しい転写だということを忘れている訳ではありません。rsi という言葉があったと思いますが、この綴りでは、「ルシ」かと思います。これは「リシ」のような音で、「r」の下に、点が付きます。そういう点が書けない場合、rsi では「リシ」と読めないので、あえて、risi と書くようなことを、syunyata でも行っただけです)。 >No.275585 質問:色即是空? >http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=275585 >No.348013 質問:観念論と実在論の論争について >http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=348013  

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=348013,http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=275585

その他の回答 (8)

  • ngc7000
  • ベストアンサー率31% (18/57)
回答No.9

現代宇宙論では、ビッグバン以前のインフレーションにおいて無数の宇宙が誕生したとなっています。マルチバースといいます。日本語では平行宇宙とか、無量宇宙と呼んでいます。 沸騰した水の中の泡のようにいくつも誕生したが、すぐに消滅したものや、膨張にしたもの(その中のひとつが我々の宇宙だと考えられている)、収縮してしまったものなど、いろいろあったととらえている。 超ひもの1つの理論では、我々の宇宙が始まる以前に別の宇宙があったと捉えます。 またひも理論に変わるブレインワールド理論では、我々の宇宙は高次元空間に張り付いている膜だといいます。 虚像と関連するなら、素粒子物理学では、我々の世界の物質は主体ではなく、エネルギーのほうが主体だと捉えます。

noname#231898
質問者

補足

皆様、ありがとうございます。私の想像より遥かに壮大な宇宙観をお教え頂き、素晴らしさに驚嘆を禁じ得ません。

  • First_Noel
  • ベストアンサー率31% (508/1597)
回答No.8

Black_Tigerさま,大槻教授は宇宙人を否定してはいませんよ. 宇宙人が地球に来ていて誘拐やら実験やらしていると言っている人の言うことを 「証拠を見せろ」と主張しており,それ自体も否定ではありません. だから彼自身も,宇宙人はいると考えているし,もしかしたら地球にも来たかも と考えていると思います.(直接聞いてませんが.) ここで重要なのは,「外側」の定義です. 我々の言う「外側」の意味は通用しない(空間+時間=4次元)けれども, 某理論では10次元とか11次元とかの高次元(数学的に記述しての)で 記述されますから,その次元での「外側」は,我々にはなかなかイメージしにくい ものです. 同様に「ビッグバン以前」についても,時間の概念が異なるかも知れません, ホーキング?は虚数で記述していましたが,虚数時間で我々が実質的に意識を 働かせて思考することが可能か?・・・と言う,哲学的にもなりかねない命題を 更に生んでいきます.

回答No.7

こんにちは。 私も聞いた事あります。 宇宙は広がりつつあるんで、その“外側”も存在するでしょう。 だったら、他の宇宙が存在してもいいと思います。 O槻教授は宇宙人を否定しますが、火星人(仮として)から地球人を見れば、 立派な宇宙人です。宇宙人を否定するのは地球人を否定するのと同じ。 とまぁ、ここの“世界”もあるんだし、他にも“世界”があるのでは? そうそう、ブラックホールってご存知ですよね? そこに入ったら、ホワイトホールって所に行けるそうで(苦笑)。 しかも、そのホワイトホールは我々の宇宙とは別の宇宙らしいです。 という仮設も聞いた事があります。 私は信じますねぇ。 信じない、否定する人は“ビッグバン”の前に何があったのか? 広がる宇宙の外側を納得出来るように説明して欲しいです。

  • First_Noel
  • ベストアンサー率31% (508/1597)
回答No.6

現代物理学では,宇宙は無数にあるとされています. 時間軸を実数や虚数で表すこともあります. それぞれの宇宙の中?は,我々のこの宇宙と同じものもあれば, 全然異なるものもあります.(物質がない,ブラックホールだらけ,とか.) それらがワームホールで繋がっていると言う理論もあります. その場合,異なる宇宙同士で繋がっても,途中で因果律の成立しない点を 通るので大丈夫のようです. この辺については,雑誌Newtonを定期的に見ていると, きれいな絵で説明された号に当たると思います.分かりやすいですよ.

  • Conall
  • ベストアンサー率33% (7/21)
回答No.4

>我々が居る(と思っている)宇宙は虚像ではないか これが一番の疑問点のようですね。 これについては科学的な視点と、認識論という考え方の二つがあげられます。 科学的な宇宙は存在することは、学校で習ったとおりです。かくまでもありませんよね。物質と空間とその動きから構成される世界ですね。これが一般的にいいう宇宙です。大抵は神話なんかでもここ止まりがおおいですね。 次に認識論についてです。 マトリックスという映画、ご存知と思います。あれはまさにこのことを題材にした、かなりできのいいSF映画だと思っています。 われわれ人間の五感は、全て神経細胞を通して、脳で再現されたものです。ですから、たとえば足がなくなった人が足の先が痒いとかいうことがよくあるのは、その再現が上手くいっていないからなんですね。つまり、今目の前にしていると思っているものは、実は読んでらっしゃる方の脳で再現された、「疑似体験」なのです。 つまり、目の前の世界は全て虚像となってしまいます。これは仏教なんかではいわれています。般若心経の「色即是空」とはこのことをさします(色とは森羅万象のこと。意味は、物質界の森羅万象はこれすなはち虚無である) では、科学的宇宙にもう一つの宇宙があるかといえば、理論上、外宇宙という仮説が提唱されています。これは、地球から観測できる宇宙には限界があって、さらにその外がどうなっているかは分からない、ということなのですが…。また、概念だけならば次元も問題になってくるかもしれませんね。 どちらにしても、仮説にすぎず、検証はされていません。 次に、認識論的な考えに基づくと、われわれは全ての情報を五感を通してえています。逆にいえば、それ以外の方法で宇宙と接触する方法をもたないわけです。ですから、もう一つの宇宙が仮に存在しても、認識できません。認識できないということは、結局存在しないことになってしまいます(認識論では前提として認識によって世界が成立しているからです)。つまり、存在しえない。 科学史を紐解くと、実は認識論の矛盾を避けて、あるものはあるんだ、としてしまったことで、量子力学以外では実存に対する疑問自体が回避されてしまっています。ヨーロッパがキリスト教に基づいた学問体系を作ったのも理由の一つかもしれません。何せ中世以降の科学は、20世紀初頭まで神を知る一つの手段として解釈されていた節がありますから。ニュートンが錬金術をして、物理学をやっていても教会に熱心に通っていたのはそういうことなのです。また、アインシュタインも、著書や手記の中でなんども神という言葉を使っています。 つまり、答えは、「もう一つの宇宙はあるかもしれないけど、証明できないから分からない」です。 マトリックス、CGはまぁおいといて、こんなこと考えながら見直してみてください。感激しますよw

  • ginga3104
  • ベストアンサー率23% (510/2208)
回答No.3

宇宙をどう捉えるかによるのではないでしょうか? 宇宙=銀河系を含む大きな袋のような物(現在、拡散中) と、すれば、隣に別の袋が合ってもおかしくない。それこそ、もう一つといわずに無数に有ってもおかしくない。 宇宙=我々が辿り着く事が出来ない空間の総称 と、すれば、別の宇宙は無い事になります。 ただ、我々の居る宇宙は虚像ではないか?と、言うのはどうかしら。夢の中で夢を見る。合わせ鏡の中の自分。いずれにせよ、「我想う。故に我あり」 我々が居る(居ると思っている)以上この空間は存在していると思います。

回答No.2

現代の宇宙論だと子宇宙、孫宇宙までありますよね。

回答No.1

参考までに読んでください。。。 いつ聞いたか忘れたのですが・・・ 「世の中はすべて対になっている。右と左、上と下、前と後、北と南、東と西など・・・。だから宇宙も実は2つあるのではないかという人がいる。」 という話を学校の先生から聞いたことがあります。 そのときは、不思議に納得して聞いてしまいました。 どうなんでしょうねーー?