adaypajimyさんが枠組み的な話をしてくださったので、わたしは歴史的な話をしようと思います。
西洋と東洋の最初の接触は、ギリシャ世界とペルシャ世界の接触とされています。本当の東洋である中国を含む地域は、まだ、西洋と接触していません。ギリシャは多神教の世界をつくり、ペルシャには勝ちましたが、マケドニア王アレクサンダーに征服されます。そして、アレクサンダーがインドまで到達したことにより、初めて、真の東西接触が始まったのです。
ギリシャで多数の哲学者が出たのと同じように、中国にも諸子百家と言われる多彩な哲学者がいました。まだ、相互関係はありません。
アレクサンダーはギリシャの写実的彫刻の文化を、中央アジアにもたらしました。仏教はもともとは仏像をつくらない宗教だったのですが、仏像を作る習慣は、ずばり、東西の文明の融合です(数年前、タリバーンのアフォが破壊したバーミヤン遺跡等が有名ですね)。また、ギリシャの建築様式で、円柱のまん中をわざと太めにしておくエンタシスというものがあるのですが、日本の古代の建物にも同じ形のものであり、これがずばりギリシャからの影響のものなのか、単なる平行進化にすぎないのか、議論はつきません。
やがてアレクサンダーが死ぬと西洋社会はまたバラバラになりますが、今度はギリシャに変わってローマの出番です。ローマは最初は一都市だったのが、属州を増やして地中海をすべて支配する大国になります。ローマには多数の属州がありましたが、ここで重要な役割を演ずるのがユダヤ人。ユダヤ教はキリスト教やイスラム教の元となった宗教で、一神教だと思われていますが、ユダヤ教はまだ純粋な一神教になりきっていません。アダムとイブが林檎を食べた時、神々(複数)が出てきて言うわけです。みよ、彼らは実を食べた、と。ユダヤ教というのは一神教というよりむしろ、どの民族にもそれぞれの神がついているが、ユダヤ人についた神はユダヤを勝利に導いてくれるだろうという考え方です。これがいわゆる選民思想で、選民思想を払拭したキリスト教やイスラム教のように、世界宗教になることができなかったわけです。
さてローマは一時期はキリスト教徒を弾圧していましたが、キリスト教は勢いを増し、ついにはローマの国教にまでのしあがります。ローマはまた、漢とのコンタクトをおこなうようになり、本格的にシルクロードが動き出します。シルクロードを支配していたのは、最初はイラン(ペルシャ)系の人々。しかし、ローマは東西に分裂し、西ローマは早い段階で滅亡してしまいます。ギリシャ・ローマの技術や哲学を引き継いだのは、ヨーロッパ人ではなく、イスラム教徒でした。ルネサンスの時期になると、イスラムの進んだ文明に、ようやくヨーロッパが追いつくようになります。ガラス製造、天文学、数学などは、完全にイスラムのほうが上でした。
シルクロードは当初はイラン人の地域でしたが、やがてモンゴル人が大帝国を作ったり、トルコ人が東アジアから移動を開始したりして、地域のトルコ化が進むことになります。この頃になると、紙や陶磁器などの中国製品が西欧にも届くようになります。興味深いのは食文化で、レモン(インド原産)、きゅうり(ペルシャ原産)、レタス(ギリシャ原産)などが、あらゆる地域で食されるようになるのです。また、日本やトルコを含めたシルクロードの国には、ありとあらゆるところに餃子があり、それぞれの地域で違った味がします。
宗教と科学の発展について言えば、近代科学を生んだのが西洋文明であったことは、だれも否定できません。しかし、なぜ西洋から生まれたのか、説明は困難です。当初はペルシャや中国のほうが、文化水準が高かったのですから。ただ、一神教の世界(イスラム教、キリスト教)では、自然を人間の道具と割り切って操作したり分析したりする傾向が強く、人間を自然の一部ととらえる仏教、ヒンズー教の地域よりも、近代科学が生まれ易い環境があったとは言えるでしょう。
補足
ご回答ありがとうございます。さらに質問があるのですが… 西洋では、一つの神によって万物が創られたと考える一神教のキリスト教と、この宇宙が一つの法則によってできていると考える科学とは、自然を一つのもの(ここでは神・法則)で規定していると言う点で同じ立場に立っている。だから科学の誕生と宗教(キリスト教)とは関係が深いと考えるのは正しいでしょうか?