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イスラム教徒の信仰心が強い理由は?
アフガンで、コーランを燃やされた報復に殺害するなどの事件が起きています。 イスラム教徒は現代においてどうしてこんなにも信心深いのでしょうか。 他の宗教であれば、科学の発展とともに信仰心は薄らいでいく傾向があるように思えます。 科学や文明が発達した社会に対する宗教的嫌悪感というものがあるのでしょうか? それは西洋文明に対する反発心でしょうか、それともキリスト教に対する反発心でしょうか。 よろしくお願いします。
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私たち日本人が考える神様と、イスラムの神様は異なります。 多神教の文化では、食べ物の神様、動物の神様、人格を持ち個性の強い神様が多数登場します。 ギリシャ神話やヒンズー教では神様が不倫や浮気をしたりします。 少しのいたずらなら許してくれそうな雰囲気があります。 対して、イスラム教の神様は ただ唯一絶対の存在で、姿を描くことも許されません。 ご存知とは思いますがアッラーは旧約聖書でモーゼに神事を下した神様と同じで、 旧約聖書の中に登場しますが、この神様は、非常に厳しい神様で、戒律を破ったり、言うことを聞かない人間を残酷に殺したりします。 多神教の神様は、農業や狩猟などの生活の中で生まれてきたのに対し、 アッラーのような一神教の神様は国家を形成する上で生まれてきた神様と考えるのがわかりやすいのだと思います。 イスラムの教えでは、強い戒律、相互の連帯、商業の推奨、決められた時間の礼拝、断食などの特徴がありますが、 これらは大きな組織の求心力を高める方向に働きます。 実際、イスラム文化圏に行ってみると、商売はシビアですが、友人としての信頼関係が生まれると非常に親切にしてくれます。仕事を休んで観光地を案内してくれたり、自宅に招いて歓待してくれることもあります。私たちの社会に比べると社会保障や福祉制度では遅れている場面もありますが、イスラムの教え:相互扶助が機能しています。また中東の市場:バザールへ行くと迷路のように入り組んでいますが、非常に機能的に動いています。バザール自体が大きな生命体のような感覚です。 イスラムの教えが生活の全てに浸透し連帯感を高めているのがわかります。 大学や高校の運動部、警察組織、軍隊などの組織が、合宿や厳しい規律で連帯感を高めているのと同じです。 このような組織が、外部からの攻撃を受けると、すぐに団結し攻撃を排除する方向へ動きます。 そのためアフガニスタンで、ムジャヒディンは貧弱な装備でソ連軍と戦い、国際手配されたビンラディンはパキスタンで保護されていました。 そのような相互扶助や、強い戒律がなければ、盛衰栄枯を繰り返してきた中東の歴史の中で生きていけない側面もあるでしょう。 コーランはイスラム教徒にとって特別な存在です。 神の言葉が書かれたもので、自己と神をつなぐ重要な存在です。 モスクの中では装飾を施したコーランがメッカの方向を示す場所に鎮座しています。 日本語略のコーランもありますが、これは神の言葉を翻訳したものなので価値がぐっと下がります。 日本人の感覚で言えば、神社の御神体のようなものです。 したがって、コーランを破ったり破壊する行為は、穏やかなイスラム教徒にとっても許しがたい行為なのです。
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- masazai
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他の回答者さんも書かれているようですが、「信仰心」という大きなトピックで話をすると、ムスリム(イスラーム教徒)の中にもいろんな人がいます。見た目も言動も全くムスリムに見えない人から、ムスリムの模範のような信仰生活を送っている人まで多種多様(?)です。 しかし、「コーランを燃やされた報復」に関して、あるいはこれに近い感情である「アッラーや預言者に対する風刺や嘲笑を赦せない感情」について説明するなら、もう少し分かりやすいかもしれません。 例えば江戸時代にあった、隠れクリスチャンを炙り出す方法であった「踏み絵」。あれはキリスト教的考えからいうと「信仰は心の問題なので、固い信仰心があるならば、踏んでも一向に構わなかった筈」なのだそうです(学者の意見に差があるかもしれませんが)。 それでも当時の隠れクリスチャンの多くが踏まなかった理由は、「イエス様(あるいはマリア様)を踏むなんてそんな罰当たりな事は絶対できない」という感情からでしょう。 冠婚葬祭以外で宗教(仏教)が殆ど顔を見せない現代社会でも、仏像が壊された、落書きされたという報道があると、「何て酷い罰当たりな人がいるんだろう」と多くの人が思うでしょう。 「仏像・宗教画」と「コーラン(クルアーン)」「神や預言者」は全く違うものですが、それが汚された、嘲笑された時に起こる「怒り」「悲しみ」の感情は似ているものがあると思います。 そしてこういう「破壊」「落書き」「嘲笑」というものは、大概他の宗教を信奉する人あるいは信仰心のない名ばかりの信徒がしますよね。 そうするとやはり「宗教に対しての攻撃・宣戦布告」と感じるでしょう。前述の壊されたり落書きされる仏像同様。 先程も書きましたが、個々人の信仰心は他の宗教同様、いろんなレベルのムスリムがいます。 しかし、自分の宗教の象徴的なものが「『他』宗教徒」に攻撃されたら日常的に信心深くない人でも怒りを感じるでしょう。 逆のケースで。 アフガニスタンのバーミヤン遺跡の仏像が破壊された時、多くの人がアフガニスタン(当時はタリバン政権)に怒りを覚えたのではないでしょうか。 ちなみに。 あの仏像破壊は「イスラームでは偶像禁止」のために「見せしめ」のために破壊された、という見解が強いようですが。他にも、当時飢饉で困窮していたアフガニスタンが食糧援助を世界に要請したにも拘わらず、以前同様世界が無視し続けたために破壊した、という見解もあるそうです。 「遺跡のためなら何でもするくせに、飢餓で死にそうな人の命はどうなっても構わないのか」と。
燃やしたのはいまだに進化論を否定する人がたくさんいる「科学や文明が発達した社会」の軍人でしたね。
イスラム圏と言って国に寄ると思いますけどね トルコなんかは地理的にヨーロッパの影響を受けてるので 若い女性ではベールをかぶる人がいないようですし (それでも西洋に比べたら 男女交際についてかなり保守的だとは思いますが) しかしあなたの言うようにイスラム圏の人は 信仰に厚いというか保守的だとは言われますね イスラム圏(アラブ)は元々気候的に厳しい場所なので 家族、一族の結びつきが強くなければ生きられない歴史があり その分今でも一族の結びつきが強く保守的な考え方が 消えにくいんだと思います また消す気もないみたいですし よく言えば身内が仲がよい、悪く言えばコネ社会です 日本も地域で農耕をしていた歴史から 地域コミュニティーの結びつきがつよかったんですが 高度経済成長からこっち 今はだいぶほころびましたね 余談ですが、新興宗教はそういう田舎を離れた人たちの 新しいコミュニティーとして発達したり (地域コミュニティーから離れた心のスキマをお埋めしてボロ儲け) ここらへんは社会学で扱う分野ですね
- hekiyu
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子供の頃からコーランを覚えさせられ 洗脳されているからだと思います。 で、どうしてそんなことをするのか、と 言えば、そうでもしないとイスラム社会の 秩序が保てないからです。 では、何故、そんなことまでしないと イスラム社会の秩序が保てないか、といえば 砂漠が多く、財が少なく争いが絶えなかったからです。 イスラムでは、嫁さんは4人までもらえますが これは闘争で男が少なくなったので、あぶれた 女性を救済しようとしたのが発端です。 ”他の宗教であれば、科学の発展とともに信仰心は薄らいでいく傾向があるように思えます。 科学や文明が発達した社会に対する宗教的嫌悪感というものがあるのでしょうか?” ↑ 先進国では、信者数は多いけど、宗教の力が落ちていることは 確かです。 しかし、科学の発達と信仰心とは関係がない、と言われています。 宗教の力が落ちたのは、宗教を信じても 報いられることが少ない、ということが判って来たからだ と言われています。
- atatataa
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仏教徒の一派であるとされる、創価学会を見て下さい。 他の宗派も仏教徒ですよ。 つまりは、信仰心にも様々な形があり、イスラム教徒などと非常におおざっぱな括りで考えるべきではありません。
- 1ga4tsu
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他の宗教が、信仰が薄らいでいる傾向がある根拠を示してください。 キリスト諸国のど真ん中で、聖書を燃やす事件があって、報復がゼロだったケースが沢山(一つや二つでは、たまたまの可能性があるので沢山)あるならともかく、そうでないならイスラム教が特殊とはいえません。 一昨年だったか、911テロの跡地近くにモスクを建てるはずだったのが、キリスト教徒の猛烈な抗議で、沙汰やみになりました。 他にも、もう40年前の話ですが、イギリスのど真ん中で、俺はキリストが大嫌いだ、イギリス女王も嫌いだ(イギリスでは、王様がキリスト教の教皇の地位についている)、といったセックスピストルズのボーカルは暴漢に襲われたり、警察に嫌がらせを受けたりしたため、今、イギリスにはいません。 私にはイスラム教に敬虔な人がいるようにキリスト教もいるとおもいます。
- toteccorp
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売られた喧嘩を買っただけではないでしょうか。 燃やすほうが悪い。 日本だって大切なものを燃やされたら人殺しする人もいるのではないでしょうか。 中国人だって朝鮮人だって喧嘩を売れば買うでしょう。