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サラエボ事件について
教えてください。サラエボ事件で皇位継承者フランツ・フェルディナンドが、サラエボへ行くのを危険なので止めようとした人物がいる・・・と聞きましたが、これについて知っている教えてください。
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- nacam
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1番です。 >この大使が、暗殺と関わっているのではないかと疑いをかけられた説はありますか? 聞いた事がありません。 前後の状況からしまして、暗殺を心配したというよりも、暴動や反乱、セルビアとの開戦を心配していたように思えます。 特に皇太子の駐在するサラエボで事が起きた場合、暴動に巻き込まれて皇太子が死亡する事を懸念したと思えます。 >その大使の名前を知っていたら教えてください。 私の読んだ本には、ただ註セルビア大使としかありませんでした。 >皇帝である伯父のフランツ・ヨーゼフが暗殺に関わっているという説はありますか? ありません。 皇帝と皇太子の対立の原点は、皇太子の妻ゾフィーの問題がほとんどですから、皇太子暗殺を企てるくらいであれば、離婚させたり、ゾフィーだけを暗殺するほうがはるかにリスクが無く、皇室にもキズがつきません。 離婚を断固皇太子が拒んだ場合、フランツ・フェルディナンドを皇太子の地位から降ろす事も可能でした。 またフランツ・ヨーゼフの性格からして考えられません。
- nacam
- ベストアンサー率36% (1238/3398)
皇帝である伯父のフランツ・ヨーゼフが、サラエボ行きを止めるように言っていますが、甥の皇太子フランツ・フェルディナンドは、サラエボ行きを強行しています。 また、ベオグラード駐在のオーストリア大使からも、不測の事態が起こる可能性が高いので、サラエボ行きを止めるように要請がありました。 これらは、皇太子暗殺を知っていたというよりも、暴動や反乱などを危惧しての忠告でした。 サラエボを含むボスニアは、民族的に複雑な状況にあり、特に大セルビア主義と大オーストリア主義との対立が極限まで高まっていました。 それに加え、オーストリア=ハンガリー帝国の主要民族であるドイツ系とハンガリー系の対立も目立っていました。 さらに皇帝は、オーストリアとハンガリーの融和派でしたが、フランツ・フェルディナンドは、スラブ系民族(特にチェコ人)との融和主義者で、皇帝と対立していました。 また皇帝と皇太子の間には、皇太子の妻ゾフィーの問題もありました。 ゾフィーは、皇太子の妻でありながら、身分の低い生まれであった(皇帝との面会も許されない下級貴族のチェコ人)ため、皇太子妃としては認められず、その子も皇位継承権を認められず、皇室行事などでも女官の扱いを受けていました。 皇太子は、サラエボに妻を同伴することで、妻の地位向上をはかる目的、オーストリア=ハンガリー帝国を、オーストリア=ハンガリー=スラブ帝国への改変を行う目的で、サラエボに行きました。 しかしそれは、オーストリアにしても、ハンガリーにしても、皇室にしても、ましてセルビアではなおさら許されざる行為でした。
補足
回答ありがとうございます。「ベオグラード駐在のオーストリア大使からも、不測の事態が起こる可能性が高いので、サラエボ行きを止めるように要請がありました。」とありますが、この大使が、暗殺と関わっているのではないかと疑いをかけられた説はありますか?また、その大使の名前を知っていたら教えてください。それから皇帝である伯父のフランツ・ヨーゼフが暗殺に関わっているという説はありますか?
お礼
詳しい回答ありがとうございました。勉強になりました! 実はフランツ・フェルディナンドに近しい人物で、サラエボ行きを止め、その行く末が精神を病んでしまった・・・という人物を探しているのですが、何を読んだらヒントをつかめるか教えていただきたいです。事件の原因や世界の情勢とはかけ離れている事なので、探すのは難しいですかね・・・・(T@T)
補足
なるほど。・・・そうですかありがとうございます。フランツ・フェルディナンドに近しい人物で、サラエボ行きを止め、その行く末が精神を病んでしまった・・・という人物を探しているのですが、何を読んだらヒントをつかめるか教えていただきたいです。事件の原因や世界の情勢とはかけ離れている事なので、探すのは難しいですかね・・・・(T@T)