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獣医師になるとき
ふとした疑問なのですが、知っている方がいたら回答くださるとうれしいです。 医師になる時に、解剖をするようです。生きたままラットを解剖したりもするそうです。 獣医師になる方は、動物を愛している方が多いと思いますが、解剖も避けては通れないと思います。そういう方にとって、生きている動物を殺してしまうときの辛さはものすごいと思ったのですが、実際にはどうなのでしょうか。 実情を教えていただければうれしいです。 動物実験の是非についてはいろいろ思う方も多いでしょうが、否定だけの回答はご遠慮ください。
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もうかれこれ15年以上、獣医師をやってます。 臨床系つまり"治す獣医"ではなく"調べる獣医"なので、解剖は学生時代より今の方がよほど日常的にやってますね。 動物の解剖といっても別に"獣医になるための儀式"などではなく、技術や知識の習得が目的なので、大学を卒業するまでにはずいぶんやりました。 こればかりは"馴れる"しかないですね。元々獣医学科に入ってくるような学生は、普通に獣医という職業や獣医学科という専門課程を調べれば、「動物が好き」という綺麗事だけでなれるものではないことは判りますから、それを覚悟の上で受験しているわけです。 危険だったり汚かったりする仕事も山ほどありますから、"治す獣医"にしても"調べる獣医"にしても、動物が嫌いな人はまず絶対にできない仕事なのは間違いないでしょう。 でも、動物が好きなだけでは卒業するまで続かないでしょうね。 また、獣医学は単に動物の病気を治す学問というだけではなく、食糧の安定供給のために畜産という産業を守る学問だったり、有害な病原体が動物からヒトに感染するのを防ぐ公衆衛生上の学問だったりするわけです。つまり獣医学とは根本的には「動物のための学問」ではなく「人間のための学問」です。 大学に入学する時、これらの現実をどこまで理解しているかは学生によるのですが、いずれにしろ在学中にはこうした現実を飲み込まなければなりません。 解剖も「多くの動物を救うために」するのではなく、結局は「人間の都合をも守るために」しているのだということです。 まあ、とどのつまりは、動物が好きな人もそうでない人も、牛や豚や鶏の肉は食べるわけです。食べている人は、その動物がどこでどうやって生きてどうやって殺されて食卓に並んでいるのか、考えなくても生きていけるわけですが、そういう"現実"とちゃんと向き合えば良い、ということです。 なので飼っているペットが死んだ時にはいい歳こいたオヤジのくせにヘロヘロ涙ぐんだりする自分と、手際よく平然と動物を解剖して貴重な症例だったりすると「おもしろ~い」と目を輝かせる自分とは、別に矛盾なく両立できているつもりです。
お礼
わかりやすく丁寧な回答をありがとうございます。 研究をされているのですね。獣医師=動物のお医者さんのような漠然としたイメージがあったので、研究をされている方のこと考えていなかった自分が少し恥ずかしいです。 また、獣医学は人のための学問であるということばにも、なんとなく、自分の傲慢さに気づかされた気がしました。 もうすぐ、生きているラットを解剖します。その話を先輩から聞いたとき、すごく怖くなりました。生命を絶つことへの恐怖です。ご遺体の解剖のほうがどれだけいいかと思ったかしれません。だから、獣医師の方はどうかとおもったわけです。 しかし、私も、獣医師の方も、解剖をひとつの大きな壁としているのですね。 ただ怖い、かわいそう、でもやらなければいけない。そういうだけの感情ではなく、おっしゃったように「"現実"とちゃんと向き合えば良い」ということなのでしょうね。 とても難しいことですが。 それでも、そのきっかけのひとつを与えてくださってありがとうございました。 回答者様の回答に、未熟な私がどれだけの感謝を伝えられるかわかりませんが、私の中で何かが少し変わったような気がします。 ありがとうございました。