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The approaching woman,,, これは文語的ではないでしょうか?
The approaching woman,,,... これは「文語的」ではないでしょうか?つまり、名詞の前で分詞修飾する、「現在の動作を描写する」用法は、口語的にはあまり使われない、と思いましたがいかがでしょうか?
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- fwkk8769
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「The approaching woman,,,... これは「文語的」ではないでしょうか?つまり、名詞の前で分詞修飾する、「現在の動作を描写する」用法は、口語的にはあまり使われない、と思いましたがいかがでしょうか?」 ⇒ そうでもなさそうですよ。 次のサイトが興味深かったです。 http://forum.wordreference.com/showthread.php?t=706355&highlight=the+approaching+train vooraadさんのもう一つのご質問(http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3465533.html)の文のyawnが「純粋な自動詞」であるのに対して、今回の文にあるapproachが後に説明する「擬似自動詞」であることがvooraadさんのご関心のありかなのだろうと推測いたします。 この点も後で出ますが、「擬似自動詞」が原則的には現在分詞形を名詞の前位修飾要素として用いることができないとされていながら、一定の文脈に支えられればOKであるらしい点が面白いですね。 ● さて、googoo1956さんとtaked4700さんのお二人の議論を興味深く読ませていただきました。残念ながら、どこかで行き違ってしまったようですが、お二人に敬意を払いつつ、さらに考察を深めるためにひとこと述べさせていただきたいと思います。 (1) この議論の中で登場した2組の例文、 ・例文(1):I watched the match because I knew some of the playing people.(×) ・例文(2):I watched the match because I knew some of the people playing.(○) (以上、Michael Swan著 ”Practical English Usage”より) ・例文(3):The people singing were students.(○) ・例文(4):The singing people were students.(×) (以上、安藤貞雄著『現代英文法講義』より) にある分詞は、そのもとの動詞がそれぞれplayとsingであり、共に一見「純粋な自動詞」(pure intransitive)のように見えながら、その実はいわゆる「擬似自動詞」(pseudo-intransitive verb)ですので、分詞の (a) 一時的/恒常的(分類的)性質の区別 (b) 名詞前置/後置の区別 の議論に用いるには不適当と考えます。 (2) 結論から先に言えば、cry、die、fall、rise、sleep、waitなどそもそも名詞前置も後置も共に可能な「純粋な自動詞」を用いて、文脈との関係(例えば、定冠詞と不定冠詞との親和度、新情報としてセンテンスの主語位置にどの程度こられるかなど)で比較すべきであろうと思います。 (「純粋な自動詞」yawnに関しては、前に挙げたサイトの回答#5で私の考えの一端を述べています。) 荒木一雄・安井稔編『現代英文法辞典』(三省堂、p.1179)によれば、擬似自動詞とは、「目的語のない他動詞」(transitive verb without an object)とも呼ばれるもので、次のようなものです。(括弧内に省略されていると考えられている語を示します。) read (book)、eat (food)、wave (one’s hand(s))、smoke (cigarette)、さらにanswer, borrow, change, gain, washなど。 R. Quirkらの”CGEL”(1985:p1169)によれば、他に approach, drive, help, pass, win, drink, enter, leave. play, write (approachやplayがここに挙げられていることにご留意ください。きっとsingもsing (song)ですから擬似自動詞と私は考えています。) そもそも、純粋な自動詞はその現在分詞形を名詞の前位修飾要素として用いることができるのに対して、「擬似自動詞」には原則的にはこの用法がないのですから。 (例) ・[純粋な自動詞] The baby is sleeping. > a sleeping baby (眠っている赤ん坊) ・[擬似自動詞] The man is eating. > *an eating man(* 食事中の男) (3) 以上のことを前提とした上で、このご質問にあるapproachなどのように「擬似自動詞」が原則的には現在分詞形を名詞の前位修飾要素として用いることができないとされていながら、一定の文脈に支えられればOKであるらしいとすると、そこにはどのような条件があるのかを探っていく必要があるのではないでしょうか。もちろんこれは私自身の課題でもあります。
- googoo1956
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○ さらなる補足です。taked4700さんに対しての投稿ではありませんので、ご容赦願います。 これまで私が拠り所にしてきた、M.Swan氏の形容詞に関する説明です。 Most adjectives can go to two places in a sentence: before a noun ('attributive position') after be, seem, look and other copular verbes ('predicatable position') 結局、Nativeの感覚の中に「attributive use(名詞の特質を表す用法)」の場合は『名詞の前』に、「predicative use(名詞の今の状態が事実であることを示す用法)」の場合は『名詞の後』に置くという原則がしっかりと根付いていることがうかがえます。 特に「predicative use」の場合には、無意識のうちに「who is, whish is」などを補って「一時的」なイメージを抱くのでしょう。それが似たような働きを持つ「分詞」でも生きていると考えられます。 私は、実はフィーリングで理解することは苦手なのですが、次のような例はなんとなく違和感を感じます。というか、英語に何年も取り組んでいる人物であるならば、違和感を感じなければいけないのだろうと思います。(もちろん、特定の条件や環境設定がない場合のことです。特に説明がなければ、このような理解をすることが普通でしょう。) (1) the present people (出席者)・・・× (2) the reading girl (読書をしている少女)・・・× (3) the playing boys (遊んでいる男子)・・・× (4) the approaching woman (近づいてくる女性)・・・× それぞれ次のように書き換えると自然な感じを受けます。 (1) the people ( who are ) present (2) the girl ( who is ) reading ( a book, in the room, etc.) (3) the boys ( who are ) playing ( in the park, etc.) (4) the woman ( who is ) approaching ( us, now, etc.) ※ 分詞の後の語(句)はなくても良いのですが、あったほうがより理解しやすくなります。 ※ もう十分でしょう。
- googoo1956
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>○ 形容詞の「限定用法(名詞の前に置く用法)」を英語では「attributive use」と言います。「叙述用法(名詞の後に置く用法)」を「predicative use」と言います。それぞれの元になっている語の意味を添えておきます。 >【attribute】<noun>:a quality or feature of sb/sth: (from Oxford Learner's Dictionary) >【predicate】<verb>: to state that sth is true (from Oxford Learner's Dictionary) ○ 前回「これで最後!」と言いながら、申し訳ありません。上記の内容の補足です。 日本語の「限定用法」や「叙述用法」という言葉は、元の英語の持つ本来の意味を正確に伝えていないようです。「限定用法( attributive use )」は、正確には「修飾する名詞の特徴的なことを示す用法」となります。「叙述用法(=predicative use)」は、「修飾する名詞の今の状態が事実であることを示す用法」と理解すべきでしょう。ぎこちない日本語ですが、より形容詞の本質をついた日本語訳になります。 少々大げさな言い方になりますが、言語の用法を歴史的な面から推察すると、おそらく上記の2つの内容を区別するための効果的な方法として利用されてきたたものが、形容詞の位置だったのでしょう。 同じ考え方が、似たような働きを持つ分詞にも生かされていると考えることは極めて自然なことです。その意味においては、Swan氏や安東教授の主張はまさに正鵠をついていると言っても良いのでしょう。 今回の問題を考えながら、改めて認識したことがあります。---それは「英語を学習したり研究したりしようとする者にとって、Native Speakerの意見に耳を傾けることは極めて重要なことであり、そのためには可能なかぎりの努力をしなければならない。」ということです。--- 今後も文法好きの自己満足にならないように気をつけなければなりません。(自戒の念を込めています。) ※ パソコンの突然の不調を恐れて「入力ミス」の確認がおろそかになった部分がありました。読みにくかった点があったことをご容赦下さい。
- googoo1956
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>残念ながら、ここでの議論は、そう言った認知言語学的なものにはならないようです。 ○ 「論理的に破綻した者が議論を終わらせるためには、議論の内容を深めるよりも議論のテーマに対する考え方の相違を利用することが有効な手段である。」ことは分かっています。私のNo.23の問いかけにお答えいただけないことは残念ですが、taked4700さんの「発言を控えたい。」というお考えを尊重したいと思います。下記の書き込みを最後にします。 ○ 形容詞の「限定用法(名詞の前に置く用法)」を英語では「attributive use」と言います。「叙述用法(名詞の後に置く用法)」を「predicative use」と言います。それぞれの元になっている語の意味を添えておきます。 【attribute】<noun>:a quality or feature of sb/sth: (from Oxford Learner's Dictionary) 【predicate】<verb>: to state that sth is true (from Oxford Learner's Dictionary) そして分詞の持つ働きの中には、Swan氏の言葉を借りると次のようなものがあります。 「Participles can be like adjectives.」 ( from Practical English Usage by Michael Swan) 上記のことからも、「なぜ『恒常的』なものが名詞の前に、『一時的』なものが名詞の後に置かれるか」という原則的な考え方についての本質的な理由がお分かりになるのではないでしょうか。枝葉の部分がともかく、問題の核心は、まさにここに存在しているように思います。 ○ 分詞の位置についての、私の最終的な結論です。 【The dancing girl】 (1) 通常は「踊り子/踊りを職業としている女性」 (2) 「(今)踊っている女性」という意味を出したい場合には、 「The girl dancing (now, here, etc.)」とする。 (3) ただし、特定の状況が設定されている場合には、 この形で「踊っている女性」という意味になることもある。 ※ 「The approacing woman」についても、上記の考えをそのまま当てはめて良いと思います。ただし、(1)に該当する概念は、日欧の双方において存在しないと思われますが・・・。質問者のvoorraadさんには、長期間に亘ってこの場を提供していただいたことを感謝いたします。有難うございました。
- taked4700
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こんにちは、googoo1956さん。ずいぶんがんばって、書いていただきました。 でも、taked4700の意図していたものとはずいぶん違ってきてしまっています。 taked4700の投稿の意図は、次のようなものでした。 1.(07/11/18 00:17に、http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3524271.html へ、No.22として投稿したものの引用です。) taked4700が申し上げているのは、分詞が前置するか後置するかはいろいろな決定要素があり、「分詞が単独の場合、一時的な意味を表す場合には名詞の【後ろ】に、恒常的なものや特徴的なことを表す場合には名詞の【前】に置く」ということになります。」と言うような簡単な規則で説明できないし、誤解を与える可能性があるということです。 さらに、「分詞が単独の場合、一時的な意味を表す場合には名詞の【後ろ】に、恒常的なものや特徴的なことを表す場合には名詞の【前】に置く」ということになります。」と言う規則を正しいと考えるべきだと言う意味で、「自分の英語力に自信がある(と思っている)方の中でも、この問題に関してはよく分かっておられない方が意外なほど多いことに驚きます」と書かれたのは、撤回された方が良いですよと申し上げています。 2.上と同じことは、この”QNo.3486334 The approaching woman,,, これは文語的ではないでしょうか?”でも、同様に述べてあります。No.5とNo.7です。特に、No.7では、a crying babyとyour crying baby について、いわゆるauthenticな例を示して、「分詞が単独の場合、一時的な意味を表す場合には名詞の【後ろ】に、恒常的なものや特徴的なことを表す場合には名詞の【前】に置く」ということになります。」と言うような簡単な規則で説明できないし、誤解を与える可能性があるということを説明しています。 3.さらに、googoo1956さんは、前提条件がある場合「一時的な状態」を示す分詞を前置できると主張されていますが、googoo1956さんご自身も、No.8において、 >○ 私が引用した英文は、一部を除いてほとんど言語学者(Michael Swanなど)の書いた文法書か、海外の辞書からのものです。先行説明がなされていない例文は、特別な前提条件はないものとしてそのまま理解するしかないのではないでしょうか。 と述べられ、その上で、No.10で、次のように述べられています。 >また、日本のある辞書には「Do you know the dancing girl?」で「踊っている少女」と「踊り子」の両方の意味を表せる、と書かれています。 その辞書には、何か、前提条件が述べられていたのでしょうか。自分としては、そのような前提条件を説明しているとは思えません。ですから、その辞書の記載を、「(『前者には前提条件が満たされればOK。』としている安藤教授の主張と重なりますね。)」と解釈することは、あまりに都合が良すぎると感じます。つまり、その辞書でも、「特別な前提条件はないもの」として、the dancing girl を「踊っている少女」の意味で使うこともあると言っているわけです。 4.taked4700は、No.16において、名詞を分詞が前置・後置修飾する場合の使い分けについて、具体例を示して、その考え方を説明しています。 それについてのgoogoo1956さんのお言葉は、「この意見の内容の拠り所となっているものは何でしょうか。 taked4700さんの経験と知識に基づいた『個人的な推論』であると考えてよろしいのでしょうか。」と言うものです。これでは、まったく議論になりません。taked4700の主張、つまり、「名詞についての前置か後置かの差は、そのものだけを見て分かる特徴は前置になるという規則」について、たとえば、スワン氏や安東氏がこう言う規則を上げていて、そちらの方が適用範囲がこれこれの理由で広いと言う形でのご発言なら、議論になるのです。 5.googoo1956さんのご回答に対して、taked4700が、「論理的でない」と申し上げた理由も、No.18で申し上げてあります。 6.taked4700がスワン氏の「学説」を読みたいと思わないと書いたことの理由は、すでに、No.19で、次のように述べてあります。 >>>Michael Swan は次の英文を文法的ではないと明確に否定しています。 >I watched the match because I knew some of the playing people. >と書かれていますが、その理由は多分、スワン氏自身も述べていないのでしょうから。 そして、実際、その後のgoogoo1956さんのご発言でも「その理由」は述べられていません。 7.現在はかなり変わってきていると感じますが、以前は、文法規則はアプリオリに決まっているものされてきました。多分、スワン氏も安東教授も、そういうアプリオリなものとして文法を研究されてきたのでしょう。しかし、現実には、かなりの程度、言語活動の背後にある「意識」とか「気持ちの動き」が、文法規則を決めているわけです。そう言った、多分、現在では認知言語学と言う形で理論構築がされつつあるものとして英文法を捕らえていきたいというのが、taked4700の立場です。残念ながら、ここでの議論は、そう言った認知言語学的なものにはならないようです。 以上、1から7で述べた理由で、taked4700 は、ここでの発言をやめようと思います。 もともとの質問者のvoorraadさんには、だいぶ本来の趣旨から外れてしまい、申し訳ないことをしました。
- googoo1956
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>さて、taked4700さんは、どのような手段で真理に迫ろうとしているのでしょうか。ひょっとして、上記の選択肢の中には適当な答がないことも考えられますが・・・。 ○ taked4700さんが(4)のタイプではないことを願っています。万一そうであれば、議論の相手としてふさわしいかどうかが疑問になってくるからです。 しかし、たとえそうであっても、この質問に関心を抱いている方もいらっしゃるかもしれませんので、私の意見の根拠をもう少し説明いたします。 分詞の位置を考えるには、まず形容詞を考えなければなりません。形容詞には、なぜ「限定用法」と「叙述用法」があるのでしょう。 「限定用法」表す内容は「恒常的・特徴的・分類的」なものです。そして「叙述用法」が表すものは「一時的」なことです。両方で使用できるものもありますが、どちらか一方でしか使用できないものがあるのはそのためです。 A-(1): He is ill.(○) A-(2): He is an ill boy.(×) A-(2)がいけないのは、「ill」という形容詞が「一時的な状態」を示す形容詞だからです。 B-(1): Tom is elder.(×)/ B-(2): Tomis an elder brother.(○) B-(1)がいけないのは、「elder」が「恒常的」なことを示す形容詞だからです。また、同じ形容詞でも、その位置で意味が変わってきます。 C-(1): She is happy.(○) ・・・「今幸せである」 (一時的) C-(2): She is a happy girl.(○) ・・・「(他人と比べて)幸せな生活を過ごす少女」 (特徴的・分類的) D-(1): I like hot coffee.(○) ・・・「(アイス・コーヒー)ではなくホット・コーヒー」 (特徴的・分類的) D-(2): I like my coffee hot.(○) ・・・「(熱い状態で)コーヒーを飲むこと」 (一時的) いかがでしょうか。名詞の前に置かれた形容詞は「恒常的・特徴的・分類的」なものを、名詞の後に置かれた形容詞は「一時的」なものを表すことがお分かりになると思います。 ここまで読まれたら、この説明に当てはまらない形容詞を必死に探す方もいらっしゃるかもしれません。しかし、すべてのことにおいて、特に英文法において、例外はつきものです。私がここで述べているのは、あくまでも考え方の原則であることをご承知おきくださると幸いです。 さて、話を戻しますと、このような原則が分詞にも影響を与えていると考えられます。 E-(1): She is a dancing girl.(○) ・・・「彼女は踊り子である。」 (恒常的・特徴的) E-(2): The girl dancing (here) is Tom's isister.(○) ・・・「(ここで)今踊っている少女はトムの妹だ。」 (一時的) ※「here」がある方が理解しやすい。 ※しかし「here」はなくても構わない。 ○ いかがでしょうか、taked4700さん。お読みになったら、ぜひ感想をお寄せ下さい。(ただし、以前のように何日も経った後にご返事をいただいた場合には、またご返事が出せるかどうかは定かではありません。その後で「返事が来ない。」と言われてもまた困ってしまいますが・・・。)
- googoo1956
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>○ taked4700さんの「No.19」のご意見です。 >>また、自分は、「安東教授やSwan氏の主張」そのものを知りませんし、知りたいとも思いません。 ○ どうしても上記の、taked4700さんのご発言が気になります。Swan氏は、純粋なNative Speakerです。私たちは、自分の英語の使用についての疑問があれば、実際のNative Speakerはどのような使い方をしているのだろう、と思います。故小西友七さんは、ジーニャス英和辞典(大修館)の編纂のために数多くのNativeの意見を聞き取る努力をしていたそうです。taked4700さんが、疑問を確認するための絶好の相手であるはずのSwan氏の主張に耳を傾けることを拒否するのはなぜでなのしょうか。 ○ Swan氏が言語学者だからでしょうか。生の英語を話す、庶民の使う英語がの方が、生きた英語なのだという持論でもお持ちなのでしょうか。普段から英語に触れる環境にして自分の周りではSwan氏の主張するような英語を聞いたことはない、ということなのでしょうか。 ○ たとえ、そのような場合でも、彼の主張を知ることが無駄であるとは思えませんが・・・。いや、無駄だと感じるケースがひとつだけあります。それは「Swan氏の主張が自分の考えと異なっていることを認めたくない、すなわち自分の考えは間違いのないものなのだ。」と思いたい場合です。(taked4700さんの場合がそうだと思いたくはありませんが。) ○ 言語への知識を深める手段はいくつかあります。 (1)現地で触れた生の英語に基づいて真理を求める (2)Nativeの文法書(辞書)に真理を求める (3)日本人の学者の文法書(辞書)に真理を求める (4)自分の頭の中で構成した考えに基づいて真理を求める (5)日本にいるNativeに聞いて真理を求める すべてを融合できると理想的ではないかと思います。残念ながら、私自身は(1)がなくて、(2)(3)(4)を融合したタイプだと自覚しています。 最悪なものは(4)だけの場合でしょう。現実の世界を見ずに、いわば仮想現実の世界に入り込んでいることになってしまいます。 さて、taked4700さんは、どのような手段で真理に迫ろうとしているのでしょうか。ひょっとして、上記の選択肢の中には適当な答がないことも考えられますが・・・。
- googoo1956
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○ taked4700さんの「No.14」の要望です。 >最後にお願いがあります。「安藤教授やSwan氏の主張によると」と書かれていますが、具体的な出展を示していただけますか。 ○ taked4700さんの「No.19」のご意見です。 >また、自分は、「安東教授やSwan氏の主張」そのものを知りませんし、知りたいとも思いません。 ○ 「出典を示せ」と言いながら、「その主張は知りたくもない。」と言う。---「出典を示せ」の目的は何だったのでしょうか。まさか、「出典を示すことのできない、いい加減な例文ではないか。」などと思われたわけではないのでしょうね。まさか、きちんとした出典であることを示されて対処に苦慮されているのではないでしょうね。(「知りたくもない。」という言葉からは、そのような空気を感じざるを得ませんが・・・。} ○ そもそも、taked4700さんの議論の目的は何なのでしょうか。私の議論の目的は「お互いの意見のぶつかり合いを経て真実に迫る」ことです。「その結果、自分の主張が間違いであると判断すれば相手の主張を認める」ことになるのだろうと思います。 ○ 特に言葉という、あいまいで解明されていない部分の多いもの、そして同じ言葉でも、時代によって、使われる場所によって、また何より使用する人間によって理解の仕方が異なる可能性を持っている言語を議論する際には、相手の主張やその根拠を吟味することは最低限必要なことだろうと思います。 ○ それなのに、相手の示した根拠の内容を知りもせず、いや知ろうともせずに、「真実に迫る」という困難な作業を、taked4700さんはどのようにして行なうつもりなのでしょうか。 ○ 議論の目的は「相手を言い負かす」ことではありません。具体的な説明や根拠を示さずに、ただ声高に「自分には自信がある。」とか「(あなたは)論理的ではない。」と言い張ることが「真実に迫る」ための手段ではないと、私は確信します。 ○ これまでにtaked4700さんが紹介された「過去のご発言」を拝読すると、英語に関するかなりの知識をお持ちの方ではないかと推察します。しかし、完璧な人間がいないことは説明するまでもないことです。もちろん、いかに高名な学者であっても同じです。辞書なども定期的に修正されています。私たち一般人はなおさらです。だからこそ、真実に迫るためには相手の主張の根拠に耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。 ○ 私は胸の中は、「議論の相手を誤ったのではないか」という自責の念でいっぱいです。
- googoo1956
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>1.まず、「おっと、でも、『心配している』は、ある意味、『一時的』な特徴とも取れますね。何が『特徴的』で何が『一時的』なのか、その判断が示されている出展だといいのですが。」とお願いしたことに対するご回答がないと思いますが、どこにあるのですか? >まず、上記1と2に、明確にお答えください。 ○ 何とも困りましたね。上記のお尋ねの中にある「回答要求」の投稿は、taked4700さんの「No.16」ですね。その前に投稿した私の「No.8~13」に対するご返事がないのに「まず~お答え下さい。」はないのではないでしょうか・・・。 ご自分の発言と私の発言の前後関係が混乱しているのでしょうか。まさか、答えにくい質問や反論できない答が出された場合に、新たな質問を重ねて視点をぼかしてしまうという高等(?)戦術ではないとは思いますが・・・。 >そして、googoo1956さんの上記のような回答に対して、taked4700は、「論理的でない」と申し上げています。 ○ これも同じです。前後関係を無視した要求です。上記の回答は、私の「No.16」ですね。ところが「論理的でない」という言葉が出てきたのは、taked4700さんの「No.14」です。 まずtaed4700さんが指摘したNo.8~12「の中の論理的でない」点の解説を聞きたいところですね。(例えば、twinkling waveやdancing girlについての私の説明に対する反論はどうなったのでしょうか・・・?) ○ 私はtaked4700さんの要求のひとつひとつに対して、できるだけ誠実にお答えたいと思っています。議論のルール(マナー)違反にはある程度は目をつぶりお答えしましょう。 次の2つの文言のうちのどちらが基本的要求を表しているのでしょうか。私はひとつ目だと思います。二つ目は、あくまでも「できれば」という希望のように思います。 ですから、ひとつ目の文章(正当な要求)に対してお答えしました。それに対して、ふたつ目の文章(希望)に対する回答がないと憤る(ふりをする)のも困りものです。 >最後にお願いがあります。「安藤教授やSwan氏の主張によると」と書かれていますが、具体的な出展を示していただけますか。 >おっと、でも、「心配している」は、ある意味、「一時的」な特徴とも取れますね。何が「特徴的」で何が「一時的」なのか、その判断が示されている出展だといいのですが。 ○ もちろん、ふたつ目の希望に対する回答をすることはできます。安東教授のお考えです。しかしtaked4700さんは、「No.19]」の投稿で、私が示したSwan氏の例文や安東氏の文法書の内容を知りたくもないと、おっしゃっています。 一方で「出典」を明記せよと言いながら、それを示せば、他方で「内容は知りたくもない」と言う。そして新たな疑問をぶつけてくる。何か「困った人」に出会ってしまった感じです。最新の「No.19」では次のように言われています。 >taked4700は、少なくとも、上記英文が多少不自然に響く理由を述べることが出来ます。 >また、ご提示の文を多少変えて、I watched the match.I knew some of the playing people.としたら、自然な文章になりますか?なりませんか?その理由を説明できますか?少なくとも、taked4700はそれができます。 ○ 以前に指摘したように、taed4700さんは具体的な説明をしたり根拠を示さずに「私にはできる。」とか「(あなたは)論理的ではない」と主張する。やはり「とりあえずハッタリをかます」タイプのお方なのでしょうか。 議論をきちんと進めたいのであれば、まず相手が先に出した質問に答え、相手の反論のひとつひとつに誠実に答えてから、あらたな疑問を呈するという「議論のルール(マナー)」を守ってほしいですね。でなければ、単なる「クレーマー」だと判断せざるを得なくなります。なにか寂しい気持ちがしています。
- taked4700
- ベストアンサー率37% (777/2050)
もう一つ申し上げておきます。 >(1) I watched the match because I knew some of the playing people.(×) >(2) I watched the match because I knew some of the people playing.(○) >(3) The questioned people gave very different opinions.(×) >(4) The people questioned gave very different opinions.(○) >これまでお聞きした、taked4700さんのお考えによると、例文(1)は○で、例文(2)は×になるはずですね。 と書かれていますが、taked4700は、「これまでお聞きした、taked4700さんのお考えによると、例文(1)は○で、例文(2)は×になるはずですね。 」と言われるようなことは書いていません。taked400の書いたもののどこにそういう主張があるのでしょうか。 taked4700が、「安東教授やSwan氏の主張によると」とgoogoo1956さんが書かれている点で少なくとも誤解を招くとご指摘申し上げているのは「現在分詞でも過去分詞でも、名詞の前に置かれている場合には、その名詞の「恒常的特徴」を表していると考えるのが原則です。」についてです。その他については、自分は、意識の内部化という観点から前置修飾について理解をしてきています。また、自分は、「安東教授やSwan氏の主張」そのものを知りませんし、知りたいとも思いません。 その理由は以下のとうりです。 >Michael Swan は次の英文を文法的ではないと明確に否定しています。 >I watched the match because I knew some of the playing people. と書かれていますが、その理由は多分、スワン氏自身も述べていないのでしょうから。taked4700は、少なくとも、上記英文が多少不自然に響く理由を述べることが出来ます。 また、ご提示の文を多少変えて、I watched the match.I knew some of the playing people.としたら、自然な文章になりますか?なりませんか?その理由を説明できますか?少なくとも、taked4700はそれができます。
お礼
まず、皆様にお礼したいです。まだ途中の議論は読めていませんが、これから読もうと思います。まずfwkk さんのこの回答を熟読させてもらいました。 目からうろことはこのことです。 曖昧さを避けたい心理が言語の用法にも影響します。これがその一例ではないでしょうか。つまり、「他動詞」や「擬似自動詞」を、分詞の前置修飾として使うと、修飾された名詞がその動詞の「目的語」と捉えられてしまうおそれがあり、紛らわしい。それを避けたいがために、「他動詞」や「擬似自動詞」は分詞の前置修飾としては避けられる。それがfwkk さんがおっしゃりたいことなのでしょう?納得しました。そうに違いありません。 ただ、fwkkさんもご指摘のように、approaching が他動詞でありながらそれでも前置修飾型の分詞として使える、というのが、その考えと衝突する例です。 たぶん、「他動詞」や「擬似自動詞」は分詞の前置修飾としては避けられる「傾向」にあるのだが、絶対ではない。あたりが真実なのでしょうか。