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反省、更正

日本の判決文ではいつもと言っていいほど「反省の色が見られない。」とか「更正の余地がある。」とか入っている気がします。 犯罪を犯したあとの態度によってその犯罪の軽重が左右されるというのは非常におかしく感じます。加害者の態度がいいから、と罪を軽減されたら被害者はやりきれないと思うのですが。 文化的なものでしょうか。それとも法的なバックグラウンドがあるのでしょうか。

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  • shoyosi
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回答No.2

 刑罰の目的として、応報と教育という考え方があります。応報に力点がおかれますと、殺人未遂は実害がないわけですから、実害がある殺人罪とは罪質が大きく違い、無罪でもいいわけです。しかし、教育の観点からは、たまたま、殺人の結果が生じなかっただけで、危険性は殺人罪とかわらないことになります。質問のケースでは応報主義の考え方(刑法理論では旧派と呼ばれています)では、減刑の対象にはなりませんが、新派(教育・目的刑主義・刑務所を一種の病院と考える)やその考え方を一部導入した現在の考え方では、減刑の要素となります。下のHPにわかりやすく説明されけています。

参考URL:
http://www.osu.ac.jp/~kuramoch/Hogaku/Hanzai.html
gunta
質問者

お礼

納得はいきませんが、こういうしくみだ、というのはよくわかりました。ありがとうございました。

その他の回答 (1)

noname#2970
noname#2970
回答No.1

>犯罪を犯したあとの態度によってその犯罪の軽重が左右されるというのは非常におかしく感じます。 僕はおかしいとは思いません。 犯罪後の反省を全然くまないなら、被害弁償に一生懸命になる奴も激減しそうで、よけい被害者に不利だと思います。 それに、裁判で誠心誠意謝る振りも見せない奴が続出しそうで、余計むかつくと思います。

gunta
質問者

お礼

被害弁償って日本でどれだけあるのでしょうか。むかつくうんぬんは同意しますが。たとえば死んだ人にとっては泣いてあやまってもらっても失った物は変わらないですよね。 ご意見ありがとうございました。

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