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更正する権利ってあるのですか?
近年の少年犯罪の増加とその残虐性を見ていていつも疑問に思っていることがあります。加害者のプライバシーが徹底的に保護される理由の一つが、「本人の更正の可能性」と言われていますが、そもそも何の罪もない人を残酷な仕方で殺害した少年少女に、「更正する機会」を与えてもらう権利がなぜあるのでしょうか?
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以前、加害者ではなく、被害者の人権擁護を問う質問があって、私なりの意見を述べた事があるのですが、参考にして下さい。 日本はいつの間にか、犯罪者の権利だけが確保できたらそれで良しとする、極めて異常な国になり下がりました。 おそらく、アムネスティなどの人権擁護団体や、日弁連、あるいはそれに同調するメディアの影響が強すぎるのかもしれません。 ですから、本当に残念なのですが、ご質問にあるように、どんなに被害者家族が苦しんでいても、どんな残虐な人殺しにも、 「更正する機会」 を与えるのが、近代民主主義国家と信じる人たちが多いですから、被害者家族はあきらめるより仕方がありません。 合法的に個人で報復できる方法もないし、被害者救済の道も、この日本では存在しません。 殺人者が少年法適用の年齢だという理由だけで、「子供だから、もう一度教育して社会に復帰させなくては ・・」 とか、「社会が悪いから犯罪を行なったのであって、本人には責任は無い」 というのが若年犯罪者をとりまく法的環境です。 そもそも少年法なる法律自体の存在が、本当にいかがわしいと思います。 だって、被害を受けた方にとっては、年齢が20歳以下であろうと、以上であろうと、何の関係も無いわけですからね。 いつの時代でも、根っからの犯罪者、生まれつきの殺人鬼というのは、人口の数パーセント存在します。 問題は、悪いヤツは、悪い、とハッキリ物が言えない風潮にあると思います。 一体、誰が日本をこんな国にしてしまったんでしょうねえ?
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- tbonesteak
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未成年者に罪を問えない場合、保護者がその責任を負うべきなのではないでしょうかねっていつも思います 30歳のおっさんに殺されようと、5歳の女の子に殺されようと、殺された人にとっては何の違いがあるんでしょう。死んだ人は戻りません なら、どこかに「責任」の所在がいくべきではないかと思います
お礼
ありがとうございました。確かに誰かが責任を負うべきですよね。
これは私の個人的な感情・考えですが、法律家と一般人の認識の違いということは説明できていると思いますので、書かせてください。 まず、私の一般人としての「感情」ですが、残虐な少年事件を見るに付け、子どもたちが無邪気に、何のためらいもなく自分たちと同じ年頃の人を殺してしまうことに、やりきれない心の痛みを覚えます。これは私の「一人の人として」の主観からくる感情でしょう(主観はたいてい感情的ですが)。 しかし、だからといって、その感情だけで全てを判断してはいけないと、私の法律を学ぶ者の端くれとしての思考回路がストップをかけます。ものごとの主観だけではなく客観を捉えて、その客観的評価を中心に、情状を加味して結論を導かねばならない、という近代法律学的思考です。 おそらく、「残虐な犯罪を犯した少年だから切り捨てても良い」という社会の暗黙のコンセンサスは、こういった人間の感情的側面から表れるものではないでしょうか。 逆に、法律家の「できる限り教育を施し、更生させ、社会復帰させる」という意見は、感情(主観)と客観を切り離して客観だけを評価しようとする法律学的思考の現れであると思います。 これらのどちらが正しいとは言えません。むしろ、どちらも正しいのでしょう。「法律の世界は常識とは違う」とは良くいったものですが、お互いが相手の考えを理解できないから、いつまでたってもギャップが埋まらないのではないかと思います。 今、司法の在り方が問われていますが、法律家は社会一般の考えを踏まえて、一般の人々も「法的思考」を踏まえて、これからの司法を考えていかねばならない時期なのかも知れません。
お礼
ありがとうございました。どちらも正しい、ですか・・・。やはり人が人を裁くことの限界なのでしょうか。少し考えてみます。
- fujishiro
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性善説がもとにあるからかもしれませんね。 犯罪は「過ち」であって、「悪」ではないというか、罪を憎んで人を憎まずっていうか…。 まちがった権利意識が肥大化してるんでしょうか。取り返しがつかないことがあるという意識が欠如してるんでしょう。 これらは人権があまりにも無視された時代の反動なのではないかと個人的に思っております。
お礼
ありがとうございました。「人権があまりにも無視された時代の反動」・・・そうなのかも知れませんね。
#2です。 犯罪被害者に対する国の補償制度として、犯罪被害者給付金があります。国は被害者の遺族、家族のケアを全く考えていませんが、金銭補償につき設けられたものです。 http://www.security-joho.com/qa/higaisyakyuufu.htm 確かに、犯罪被害の当事者と法曹関係者のギャップは埋まらないと思います。少年法についても制定時の社会状況と、運用中の現在では相当違うことも事実と思います。法律はその根底に性善説的な視点があって、反社会的行為を罰するとともに、原則的にその後の健全な状態での社会復帰を目標としています。 ハムラビ法典のように「目には目を…」の社会でも犯罪はゼロとならないだけに、法に完璧な犯罪抑止効果を求めるのが無理な話です。すると、厳罰主義の法制下でどのような社会ができるか?となる訳です。法に縛られて個人の自由や発想が制限され、国家権力の下で怯えながら生きることは幸せでしょうか…。犯罪には利己的な犯罪から、多分に情状を含むものまであります。凶悪で残忍卑劣なものが全てではなく、個々の事情があるんです。
お礼
ありがとうございました。犯罪被害者給付金というのがあるのですね。ほんの少しは救われます。
少年法の趣旨・理念ですから。 少年法は昭和23年7月15日制定の法律なので、当時の考え方である『少年が非行をするのは社会環境が悪いため、だから法で保護し、更正する』を受け継いでいると考えます。 (この法律の目的) 第一条 この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して正確の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。
補足
ありがとうございます。 >『少年が非行をするのは社会環境が悪いため、だから>法で保護し、更正する』を受け継いでいると考えます。 もしそうなら、少年事件の加害者に「更正の機会」を与えるのと同時に被害者に国家が賠償する事がバランス上良いようにも思えるのですが・・・。素人の考えでしょうか。
- norakuma
- ベストアンサー率29% (293/977)
未成年は、成熟した判断ができない…とされているからです。 したがって、成熟した判断ができるようになれば、こんな過ちは起こさないだろう…(つまりは更正)ということで、更正する機会を与えられるようなロジックです。 再犯する人もいれば、見事に心をいれかえて見違えるように社会に貢献する人もいます。 社会はそういう人を含んでいるわけです。
補足
ありがとうございます。そこがどうもしっくり来ないのです。犯罪者でも更正して社会に貢献する人がいることは解ります。ただ、更正する、しない、の前に、残虐な殺人者が「更正する機会を与えられる権利」を与えられるのが腑に落ちないのです。強盗とか傷害なら解るのですが・・・。
お礼
ありがとうございます。ladybegoodさんの答えを見て、私の感じている違和感は決して間違っているのではない、と感じることができました。それだけに、「更正する機会を与えられる権利」がある、という意見を尊重する法曹関係者に、納得できる答えを頂きたいですね。