補足をされているようなので、それに対して補強してみますね。
>アナールの例を出すなら、フェルナン・ブローデルが『地中海』の中でしたように、政治や経済など変動の激しい(その時の必要に応じて変化する)ものよりは、生活様式・文化・社会(ここでは慣習も含めて)のような長期持続の歴史が第二概念として、来るのではないでしょうか?
すみません、言葉足らずだったかもしれませんね。アナールを出したのは歴史学史的に、「経済史」「文化史」「ファッション史」etc,,,といった、社会科学的観点で歴史を見ようとする動きの先鞭を付けたという意図からでした。(もちろん、アナール以前にも経済的観点からはマルクスが、精神的観念からはヘーゲルがいますけど)
ブローデルの分析は確かに有用ですが、私個人としてはそれだけでないと思っています。(とは言っても、彼の論理を全て認識しているワケではないので、学術的に批判出来るほど詳しくはありませんが)
参考に私の歴史観を。
歴史というのは、前に進んだり、後ろに戻ったり、時には突発的な横からの力に流されたりしながら、複雑な動きを見せるモノであると思っています。
その複雑な動きを捉えるには、ある程度整理しなければならない。
そのときの整理の方法の一つが、アナールに代表されるような社会科学を導入した方法を取り入れたり、マルクス主義やヘーゲル史観を取り入れたり、あるいは実証主義やウィッグ史観を取り入れたりetc,,,
色々な歴史分析方法があるわけで、どれにも一長一短があると言えると思います。
「経済史」や「文化史」といったように、個々のテーマに注目して分析することで、明らかになった歴史もあるでしょうし有益だと思います。
しかし、個々バラバラのテーマに固執するあまり、歴史の大きな流れを見落としては、「歴史の罠」に陥りかねません。(その逆もまた然り)
例えば、政治・経済と文化・風習とどちらが先かという事で言えば、結局は鶏が先か卵が先かという議論に陥りかねないと思います。
先にも述べたとおり、歴史というのは複雑で相互作用し合っていますし、どの時点でどっちが先でどっちが後というのは中々困難な気がします。
ヴェネツィアとドブロブニクは確かに似た海洋都市国家ですが、地政学的には別々な文化圏に属しているとも言えます。(ヴェネツィアはラテン・カトリック、ドブロブニクは正教会)
その違いが、オスマン・トルコに対する対応の差にも見られるように思います。(カトリックはオスマンを許せず、正教会はローマ教皇の三重冠(カトリック)に屈するよりはターバン(オスマン・トルコ)に屈した方がマシという考えがそれぞれ影響を与えた。文化・風習→政治という流れ)
また、ヴェネツィアの元老議員の格好は黒の長衣ですが、これは草創期にヴィザンティン帝国との関係上(政治的には従属国という立場)から生まれた文化です。(政治→文化という流れ)
このように、ケース・バイ・ケースだと思います。
このような積み重ねが、国民性を生むこともあれば、逆に国民性が政治・経済や文化を規程することもあるかもしれません。
>経済史」と「文化史」をうまく融合することは可能か?
構造に捕らわれるのではなく、「経済史」「文化史」など個々別々に分析されたモノをもう一度分析し直して統合するのもありかもしれませんね。
まぁ、一つの歴史哲学として参考になれば幸いです。
お礼
補足に対する、回答ありがとうございます。 これ以上、質問すると議論になってしまうのでここでとめさせていただきます。