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経済史とは
お世話になっております。 さて、「経済史」と言う分野が最近一体どういうものなのか分からなくなってきました。 当方、文化史的な立場に立つものですが、何かの手違いで経済史学科に在籍する羽目になり、全くどうしていいものか分かりません。 経済史を学ぶことで、確かに自分の本来勉強したいことにも役に立つというのはわかりますが、一方で学部レベルならともかく、院レベルになると他人の倍の予習量が必要です。(教授に相談したところ「何かの縁だからまぁ頑張って」という答えでした。頑張ってもどうしようもなくなったから相談したんですが・・・) そこで、ポジティブに考える上でも「経済史」とは何か?「経済史」と「文化史」をうまく融合することは可能か?が疑問です。ちなみに文化史は幅が広いですが、主に「心性史」という分野が私の本来の領域です。
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- tyr134
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補足をされているようなので、それに対して補強してみますね。 >アナールの例を出すなら、フェルナン・ブローデルが『地中海』の中でしたように、政治や経済など変動の激しい(その時の必要に応じて変化する)ものよりは、生活様式・文化・社会(ここでは慣習も含めて)のような長期持続の歴史が第二概念として、来るのではないでしょうか? すみません、言葉足らずだったかもしれませんね。アナールを出したのは歴史学史的に、「経済史」「文化史」「ファッション史」etc,,,といった、社会科学的観点で歴史を見ようとする動きの先鞭を付けたという意図からでした。(もちろん、アナール以前にも経済的観点からはマルクスが、精神的観念からはヘーゲルがいますけど) ブローデルの分析は確かに有用ですが、私個人としてはそれだけでないと思っています。(とは言っても、彼の論理を全て認識しているワケではないので、学術的に批判出来るほど詳しくはありませんが) 参考に私の歴史観を。 歴史というのは、前に進んだり、後ろに戻ったり、時には突発的な横からの力に流されたりしながら、複雑な動きを見せるモノであると思っています。 その複雑な動きを捉えるには、ある程度整理しなければならない。 そのときの整理の方法の一つが、アナールに代表されるような社会科学を導入した方法を取り入れたり、マルクス主義やヘーゲル史観を取り入れたり、あるいは実証主義やウィッグ史観を取り入れたりetc,,, 色々な歴史分析方法があるわけで、どれにも一長一短があると言えると思います。 「経済史」や「文化史」といったように、個々のテーマに注目して分析することで、明らかになった歴史もあるでしょうし有益だと思います。 しかし、個々バラバラのテーマに固執するあまり、歴史の大きな流れを見落としては、「歴史の罠」に陥りかねません。(その逆もまた然り) 例えば、政治・経済と文化・風習とどちらが先かという事で言えば、結局は鶏が先か卵が先かという議論に陥りかねないと思います。 先にも述べたとおり、歴史というのは複雑で相互作用し合っていますし、どの時点でどっちが先でどっちが後というのは中々困難な気がします。 ヴェネツィアとドブロブニクは確かに似た海洋都市国家ですが、地政学的には別々な文化圏に属しているとも言えます。(ヴェネツィアはラテン・カトリック、ドブロブニクは正教会) その違いが、オスマン・トルコに対する対応の差にも見られるように思います。(カトリックはオスマンを許せず、正教会はローマ教皇の三重冠(カトリック)に屈するよりはターバン(オスマン・トルコ)に屈した方がマシという考えがそれぞれ影響を与えた。文化・風習→政治という流れ) また、ヴェネツィアの元老議員の格好は黒の長衣ですが、これは草創期にヴィザンティン帝国との関係上(政治的には従属国という立場)から生まれた文化です。(政治→文化という流れ) このように、ケース・バイ・ケースだと思います。 このような積み重ねが、国民性を生むこともあれば、逆に国民性が政治・経済や文化を規程することもあるかもしれません。 >経済史」と「文化史」をうまく融合することは可能か? 構造に捕らわれるのではなく、「経済史」「文化史」など個々別々に分析されたモノをもう一度分析し直して統合するのもありかもしれませんね。 まぁ、一つの歴史哲学として参考になれば幸いです。
- tyr134
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連続投稿になって、すいません。 編集確認中、間違って送信してしまいました。 以下に続きです。 >自然環境を考察し、次に生活様式、文化、社会などを考察、そして政治・経済を分析し「日本人とは」と言う問いに答えられると思います。 これをヴェネチア共和国史に当てはめて考えると、、、 >自然環境 ヴェネチアというのは、潟に作られた国家です。 小さな島々の集まりであり、周りが潟なので、産するモノといえば塩と魚しかありません。 塩と魚では生きていけませんから、小麦などの生活必需品は交易で手に入れなくてはなりません。 しかし陸上は(蛮族侵入期のイタリアでしたので)、危険で危なかったので海上に乗り出した。 そこから、海洋国家ヴェネチアの歴史が始まります。 >生活様式、文化、社会などを考察、そして政治・経済を分析 これは、私の場合は逆なのですが、、、。 上記の自然環境からくる制限のもと、ヴェネチアの政治は経済を中心に据えることになった。 そこで、種々の政体や法律が作られていき、「商人の国」になる下地が作られていった。 そして、経済的にはヨーロッパより東(オリエント・イスラム圏)とヨーロッパの間の中継貿易の役割を果たしていった。 結果、ヨーロッパ文化とイスラムやオリエントの文化が出会うことになった。 こうした、政治・経済状況がヴェネチア人の生活様式や文化活動を支える下地となっていった。 こんな感じでどうでしょうか? これらは、少し囓った程度のヴェネチア史から私なりにたてた仮説にすぎません。 一次史料や先人達の研究成果を元に裏付けていかなければなりません。 (先人達の研究成果は、経済史なら経済史、文化史なら文化史と個々バラバラなのが現状だったりします。もちろん探せばあるかもしれませんが、その先輩の研究をもっと深く突っ込むとかできるかもしれません。) それが、「私の研究」となっていくんです。 もちろん、仮定の上での一例ですが参考になれば幸いです。
お礼
>(例えば、ヴェネチアの商人はイスラム圏の人々と商売する関係で髭を>生やしているのが特徴だったりします。立派な髭文化が根付いたのは>、経済的必要性からだったんですね) 非常に興味深い例でした。ありがとうございます。
補足
>生活様式、文化、社会などを考察、そして政治・経済を分析 >これは、私の場合は逆なのですが、、、。 アナールの例を出すなら、フェルナン・ブローデルが『地中海』の中でしたように、政治や経済など変動の激しい(その時の必要に応じて変化する)ものよりは、生活様式・文化・社会(ここでは慣習も含めて)のような長期持続の歴史が第二概念として、来るのではないでしょうか? 例を出すと、16世紀スペインとオランダなんてどうでしょうか?フェリペ2世下にあった両国は、その後の繁栄が大きく異なります。なぜオランダは経済的繁栄し、スペインは没落したのでしょうか? ここには地政学上の違いはもちろん、国民の生活様式、宗教、慣習、その他(広義においての文化)が関係しているのではないでしょうか?今風に言えば「国民性の違い」ともいえます。それが経済的・政治的方向性に影響を与え結果両国の繁栄に差を出した。と考えられなくはありませんか?美術史家の言う文化史(狭義においての文化史)とは更にこの上に来ます。 イングランドとスコットランドの関係でも同じことが言えるかもしれません。 また、ヴェネツィアと同じく東方貿易で栄えた、ドブロブニク(ラグーザ)はどうでしょう?自然環境の制約の上繁栄した都市であります。よって経済活動に活路を見出し、様々な法律を作ったもの同じです。 ですがこの両国家の法律や経済活動は同じでしょうか?法律や経済活動は、その両都市民の思想・慣習・生活様式などを繁栄しているので、同じではないはずです。 そしてもし経済・政治が第二概念で、文化がそれよりも上部の概念であるなら、当然同じ文化が出来ると思いますが・・・
- tyr134
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本来、歴史というのは、政治・経済・文化・社会、全てを含んだものです。 それが、近現代以降、特にフランスのアナール学派の台頭移行、他の社会科学分野と同様細分化していった傾向があります。 経済史も文化史もその一つにしかすぎません。 で、一部にはこの細切れになった歴史を、もう一度一つに纏めようとする動きも出てきています。 経済史というのは、経済的な観点から歴史を明らかにしようという部門ですね。 文化史は、文化的な面からアプローチしようとする事です。 ただ、これらはバラバラではなくて一体となってるのが「社会」というモノです。 例えば、ヴェネチア共和国史というのは良い例かもしれません。 この国は、日本ではルネサンスやヴェネツィア・ビエンナーレの関係から文化面・芸術面に光が当てられがちです。 しかし、この国家は中世~近世にかけてヨーロッパにおける経済大国であり続けました。 そして、その経済活動(東地中海貿易)によって、文化交流のヨーロッパ側の前線基地の一つでもありました。 その結果、ゲーテが「独特な街」だと嘆賞したほど、異国情緒に満ちた国へとなっていきました。 経済面と文化面が密接に結びついた一つの例証だと思います。 (例えば、ヴェネチアの商人はイスラム圏の人々と商売する関係で髭を生やしているのが特徴だったりします。立派な髭文化が根付いたのは、経済的必要性からだったんですね) 経済状況の推移と、文化の変遷とを結びつけて考察するのも一興かと思います。
- a-koshino
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衣食足りて礼節を知る、という言葉がありますけれど、飢えてたら文化活動は、普通できませんわね。 自分の範疇では、経済史は食い物やお金をいかにして手に入れているか、が重要なテーマになりますので、文化活動が可能だった史的背景、あるいはその文化活動が価値化された理由など、テーマにできるような気がします。つまり藝術家本人が何をして食ってたか、なぜ食っていけたか、ですね。 価値が需要と供給の原則に基づいて決定される、との大原則は動きませんから、どんな需要があって、なぜ売り物として成立したか。商品としての文化活動について考察すると、心性史においても、人間の欲求に対する理解が深まるかもしれません。 抽象的すぎる文章だ・・・がんばってください。面白い研究ができる可能性はありますよ。
補足
>自分の範疇では、経済史は食い物やお金をいかにして手に入れている>か、が重要なテーマになりますので、文化活動が可能だった史的背>>景、あるいはその文化活動が価値化された理由など、テーマにできる>ような気がします。つまり藝術家本人が何をして食ってたか、なぜ食>っていけたか、ですね 早速の回答、ありがとうございます。しかしながら、私が「心性史」と付け足したのは、普段我々一般が言う“文化”ではないからです。国民の精神性、アイデンティティ、宗教、言語又は日常生活、遊びそのようなことを指す文化であり、絵画・音楽・彫刻・文学・・・そのような表象の文化ではないのです(ただし、そこに現れる思想を重要ですが・・・)。そして、私の言う“文化”が多少ならず経済の影響を受けているのは分かりますが、それが全てではない。よって経済に特化したことを院で勉強するのに抵抗と労力がいるので、経済史とは?経済と“文化”を融合するのが可能か?という質問をしたわけです。 >抽象的すぎる文章だ・・・ 具体的な例を挙げると、「日本人とは何か?」という問いに対して、どのようにアプローチしていくか。まずは自然環境を考察し、次に生活様式、文化、社会などを考察、そして政治・経済を分析し「日本人とは」と言う問いに答えられると思います。そこで第二段階である文化と第三段階にある経済の関係性をどのように持たせていくかが問題なのです。
お礼
補足に対する、回答ありがとうございます。 これ以上、質問すると議論になってしまうのでここでとめさせていただきます。