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「春が来た」は明治の人間にとって翻訳調にきこえた?

「春が来た春が来たどこに来た」 これは安藤貞雄さんによると<スル的>な言語の発想(英語など)であって、日本語の伝統では<ナル的>な言語だそうです。それが証拠に「春になる」とふつう言います。 では、「春が来た」と言う表現は、いまでこそ違和感はまったくありませんが、明治のころの日本人にとって違和感のある、翻訳臭のある表現に聞こえたのでしょうか?

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  • Big-Baby
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回答No.2

すでに回答されているように、「春が来た」という表現は太古の昔から日本人になじみ深いものです。ただ、むかしは文語体で表現されていただけです。 『古今和歌集』春上・1。巻頭歌 年のうちに春は来にけり一年(ひととせ)を去年(こぞ)とやいはむ今年とやいはむ -在原元方 一茶 あつさりと 春は来にけり 浅黄空 (あさぎぞら)  「春が来た」の歌は明治43年(1910年)7月『尋常小学読本唱歌』に載ったものですね。明治の初期であれば口語体での表現には違和感を感じる人も多かったかもしれませんが、言文一致運動が力を持ってきていた明治末になると「春が来た」という歌詞に違和感を覚える人はほとんどいなかったのでは? 別に藤村の「春は来ぬ」の歌もありますね。こちらは文語体。

その他の回答 (1)

  • ANASTASIAK
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回答No.1

そういう分類で日本語を括るのは危険です。 「古今集」の有名な歌 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども・・・」 のように古来日本人は季節の到来を待ちわび、その気配にも 細やかなこころ配りをして来ました。季節の訪れを喜ぶ歌は 古今新古今にたくさんあります。

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