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生きれば生きるほど虚無感がつのるんです。。。
25歳の会社員です。 とりあえず仕事もしていて、実家も出て一人暮らしをしています。収入的にもさしむき生きていくのに困ることはありません。 ですが、毎日毎日働く、食う、寝るだけの生活がなんだかむなしいんです・・・趣味もないし、友人もいません。休みになればビデオを見るか寝てるかくらいです。 趣味を見つけろとよく言われますけど本屋で趣味のコーナーみたり、習い事とか探してみますが全く興味がわきません。 知人には「人生を楽しく生きられないなら、ただただ消化試合のように生きるしかないんじゃないか」と言われます。 正直、今自分が生きてる事に理由も見当たらないし、死ぬことが恐怖の為、生きてるだけってかんじです。 今を生きることも必死な人もいるのに贅沢な悩みなのは承知しております。でも自分より大変な人がいるから自分が幸せとは思えないんです。 甘ったれてるとは思いますが、こんな私に叱責でもいいので頂ければありがたいです。
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質問者が選んだベストアンサー
私も遠い昔に同じ経験がアリです。なのでその贅沢な辛さがよく分かります。当時「それはお前の甘え。」と指摘され、偶然?にも幸運?にも吹っ切れてました。だからという訳ではないのですが、ここはひとつ、貴方に良い変化が生じる事を願いつつ・・・敢えて言わせて頂きます。 「それは、あなたの ”甘え” です」
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- ikiruimi
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私もそのような悩みを抱えていた人間の一人です。 生きる意味や、何のために生きているのかといった「人生の根本問題」は、 宇宙の第一原因者たる神について知らなければ解くことができません。 本来人間は、神が人間に与えた祝福、すなわち喜びを実現するために生まれてきます。 しかし、人間始祖の「堕落」によって、人々は、神が分からなくなり、 人生の意味も価値も分からなくなってしまったのです。
- cynonym
- ベストアンサー率20% (2/10)
沢山書かれた後なので、他の人が書いていたらすいません。 まず、何か打ち込むものを探すのは良いことです。人によっては「働く、食う、寝る」で「時間なし」と言う人もいると思うので、「甘え」になるのかも知れません。 では、この趣味を探す作業も楽しめるよう、改めて心がけてみたら如何でしょうか? もし、淡々と、日常作業のつもりで真剣に興味の持てるものを探す心意気があれば、普段「それはしないでしょう‥」と思うことにトライ出来ると思うのです。そして「そんなことをしている自分は想像出来ない」と言うことをしている時は、慣れていないことなので、必ずそれに没頭してしまいます。何か滑稽なことをしてしまったら、少しは自分を面白がるのも良いのではないかと思います(ニヤッとして周りに怪しまれたりしない程度に)。 簡単なところでは短時間期限を決めて「目に付いたものを積極的に楽しもうと意識を高める」と言うのも有ると思います。 興味が持てないことを辛く感じないようにと思いました。そう思うと、趣味もどこかからの贈り物のようです。でも、きっと時間が有れば見つかると思いますよ。 さてもう一つ、虚しさ解消方法として、多くの女性と一部の男性が自然と嗜好を傾けているように思うのですが、「働く、食う、寝る」だけの単調な毎日(‥実際にはもう少しいろいろ作業をして毎日過ごしている筈と思います)。そんな身の回りのことを、目いっぱいこだわり、楽しむ、のも良いと思います。衣・食・住、を楽しんでいる落ち着いた男性はなかなか魅力的です。(お金が無い場合は、如何に華麗な節約生活が出来るかの追及) でも、一旦打ち込むものが出来ると、何も無い毎日が一変「没頭生活」になったりするのではないか?とも思います。好きな人が出来たりとか‥ 何か”依存”ぽいものを薦めるべき状況か、とも思いましたが(‥酒、タバコ、賭け等‥)私の印象だと”依存”に該当する嗜好は、大抵複数重ねてもまだ枯渇感が残ってしまう、と言う印象が有ります。なので止めておきました。 ちなみに、私は「時間が無い」口です。やらなければならないことの合間にふと質問を見て、自分の息抜きに回答してます。(そんな表現でスイマセン(^^;)
- eienn
- ベストアンサー率16% (77/462)
自分のある人に出会うには、本、インターネット、など、間接的な方法はいくらでもあります。 この人はこう考えている。私は、それを違うと思う・・ そんなことを繰り返しているうちに、自分の意志、が出来上がっていきます。 私は、つまらない時間をすごしたくなかったので、高校を辞めました。 今高認資格を取るために頑張っています。 東京の専門学校にいって、スキルを身につけ、自分の望む人生を送るため、頑張っています。 人生がむなしく、遺書を書き、家出をしたり、ビルの屋上に上ったり、しましたが、怖くて死ねず、何回かそれを繰り返すうち、疲れたのです。死のうと思うことに疲れました。 もう考えないようにしようと思いました。 自分は生きようと思いました。 もちろん不安もあります。 頭もそんな良くないし、才能もない。それにまだ16歳じゃ、将来に不安ばかりです。ニュースを見れば、汚い大人もいるし、バイトをしてても、厭なこともあるし。 そういうことをこれから全部乗り越えていかなくてはならないのかと思うと、不安だし、厭になりますが、死のうと思わなくなったのです。 自分がなぜ生きているのか、何故ここにいるのか、朝起きるとき、夜眠るとき、分からなくなるときが有りました。 別に楽しいこともない、働きたくないのに、勉強もしたくないのに、友達もいない、恋人もいない。なんのために生きているのだろう。 そう思っていました。 でもね、ほんとうに、それを考えること自体、無駄無駄無駄、なんですよ。 虚しいからなんなのか。苦しい?苦しいならそれは、虚しさじゃない。 虚しさは本来、苦しくないものだよ。 よく考えてみて。あなたは本当に、「虚しさ」を感じているのか。 虚しい人は、そっと死んでいくよ。 逆に今、私は自由だから幸せなのです。 私は、私の生き方を選択できてよかったと思います。 あなたには生まれ変わりが必要なんですよ。 催眠療法とかどうです? 変化を恐れているから、虚しいままなんですよ。 それこそ犠牲が必要ですよ。 今のままの生活がむなしいなら、今の生活を変えればいいだけのこと。 惰性で生きるか、そうしないか、それだけのことですよ。
お礼
回答ありがとうございます。 かなり深いですね・・・とても16歳の方の回答とは思えないです。 年齢では私のほうが上でも人生経験などを考えればeiennさんのほうが先輩かもしれませんね。 確かに何かを変えないといけないのはわかってるんですが、自然と変わってくれないかとか、誰かが変えてくれないかっていうのを待っているのかもしれません・・・きっと自分で変える度胸がないんです。 でもそんなの自分が動きださないとだめなんですよね。 頭では分かってるつもりなんですがどうにも動けないんです。 動けないということは即ち惰性で生きるしかない、それは仕方のないことなのかもしれませんね。
- micao
- ベストアンサー率33% (8/24)
私も若年の時に同じ様な悩みを持ちました。 単調な日々に感覚が麻痺し無感情になってしまっているのでしょうね。そこからは何も生まれないですよ。 この感覚を続けてはいけない、と思った時は自分を何らかの形で追い込み、普段の暮らしの有難さを実感しました。 質問者様は「蛇口をひねったら水がでる」とか「太陽の光はありがたい」「人の笑顔はすばらしい」という感覚を理解できますか?これを実感した後、単調なデスクワーク、単調な人間関係に活き活きと接することができたのです。 その後、虚無を感じる様になったときはいつも何か自分に課しました。なぜならば、虚無感を抱えて生きているよりも、感謝や感激をもって生きている方が何百何千倍すばらしいことを知ったからです。 自分自身をコントロールできる様になってからは感謝の意を物事に示す様になりました。その結果、自分を取り巻く様々なことが好転し、今では精神的に充実した毎日が送れています。 なんかインチキ宗教の様なのでやめますが、多くの方が回答されている様に「普段の暮らしに幸せがある。それに気づかないだけ」ということです。
お礼
回答ありがとうございます。 普通に生活できることは確かに幸せなのはわかってます・・・・ だけどそれが幸せだとおもえるようには今のところなれないんです。 甘えが抜けないんです、このままじゃダメだとわかっているんですけど。 早くmicaoさんのようになれればいいんですが・・・・
こんにちは。私は29歳独身男性です。 貴方が生きることに虚無感を感じることは、 当然のことなのかもしれません。 私自身も同じように虚無を感じている一人です。 人生というのは虚無そのものではないでしょうか。 人は遅かれ早かれ皆この世からいなくなるわけで、 必死にもがいて、偉大なことを成し遂げ、 人に勝って、巨額の富を築いたとしても、 どんなに美貌を持っていても、 何をやっても最終的に消えてしまう。 これは悲しい以外の何物でもない 虚無そのものではないでしょうか。 人はそれを知っているからこそ、この世に何かを残そうとする。 自分が生きた証を少しでも残したりする。 生きるにつれて本能的に、そうしようとする。 配偶者を残すのは、最もたる行為の一つで、 自分が果てても、自分の生きた証を刻むことで 自らの虚無から解放されようとする。 よって、仮に、趣味が充実して、 多くの友人に恵まれていたとしても 虚無から逃れることはできないと思います。 一時的な喜びや楽しみはあっても、 それは一時的なものでしかなく永遠ではない。 しかし、そういった虚無の世界の中で、 一時的な喜びが欲しいなら、 貴方の喜びを感じることに忠実に進むことがよいと思います。 例えば、ある食事をして、それが非常においしかった。 おいしいという喜びを感じたなら、それを追求してみる。 その追求こそが趣味であるわけで、 喜びに忠実であれば、それはなんでも趣味になり得る。 日常の中の小さな喜びを探すことが、 人生がまんざらでもないと思える 虚無からの脱却につながるのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに永遠に幸せなんて存在しないのでしょうね。間違いなく全てのもの終わりがあるのですから。 ただ、これはあくまで私の考えですが、何か喜びを得るためには、何かを失うとか、辛い思いをするかもしれないとか大なり小なりリスクを負う事になると思います。 例えば回答者様の例のように、食事に関して言えばおいしければ確かに満足ですが、おいしくない場合は時間と金を浪費したことになります。 でもそういう考えは多分一般の方から見れば「そんなこと言ったら何もできない」となると思います。この考え方をまずなんとかする必要がありそうですが・・・まだまだ問題は山積み状態です。
- yungqi
- ベストアンサー率31% (282/904)
こんにちは。 それはちょっと違います。人は生きているのではなくて、生かされているのだと思います。だから命有る限りは生きて行くしかないのですよ。良く自分の意思で生きていると思われる事が多いようですが、そうではなくて、生きたくても生きたくなくても生かされているのだから、精一杯天寿をまっとうするしかないのです。選択肢なんて有るようで無いのと同じなんです(もし自分の命を自分で止める勇気が有れば選択肢は有るのかもしれませんが、それは基本的にはルール違反と言う事になり、世間から攻められる事が多いです)理由なんて無くても最低限生きて行く事が私達に与えられた運命ですね。 死ぬ事が恐怖と感じられるのは、まだ生に何だかの未練が有るのだと思います。それが何なのかしっかり生きて見極めてみてはいかがですか?命ある事、幸せな事だといつか気付かれる日も有るかもしれません。あなたを生かせてくれている人達がいる事、けして独りで生きているのではないという事、気付かれる日が来ますように。きっといつかただ生きている事に感謝出来る時が来ると思います。単調な生活と平凡な日常が本当は一番幸せなのかもしれませんね。 甘ったれているとは思いません。若い人に希望を感じさせない世の中にも問題が全く無いとは言えません。でも今はただあなたらしく自由に生きてみて下さいね。それだけで充分です。
お礼
回答ありがとうございます。 生かされてるですか。確かに生きるのは試練という話もありますね。 単調な生活と平凡な日常、それは確かに安泰といえばそうなのでしょうけども、生きていくにはしんどいですね。 でも人間の欲求は果てないものなので仕方ないのかもしれませんね。 暇な人は忙しい人を見てこっちは暇つぶしするのも大変なのによくあんなにすることがあるなと。忙しい人は暇な人を見て、そんなに暇をもてあますほどゆっくりしたいものだと。 結局隣の芝は青いって言うように、私は人が楽しんでいるところばかりみて、実際抱えてる問題や苦しみを見ずにうらやましがってるだけなんです。もっとも世間の人は苦しみなど表に出さないので見えないだけかもしれませんが。 この状況を脱却するためになんらかリスク負いながらも何かをしようって気はないのに、単調じゃつまんないって自分でも矛盾してるなとおもいました。
>毎日毎日働く、食う、寝るだけの生活がなんだかむなしいんです・・・ 普通だと思います。それがサラリーマンなり公務員です。その中にちょっとした刺激を取り入れたい人は、男女の擦った揉んだとか趣味とかを取り入れてるでしょうが、本質はまったく変わりません。あなたも気づいているように消化試合です。 人生が充実していると感じることは、何かに挑戦している人にだけ与えられた特権みたいなもので、それには大抵リスクが伴っています。それも人生を大きく左右しかねないリスクです。 自分も今はただ生きているだけだ、ということを日々感じながら生きています。ですから、自分は趣味や資格勉強などで自分を誤魔化しています。
No5で回答した者です。 回答のお礼どうもありがとうございます。 >こうして聞いていると虚無感というか >やっぱり人生行き詰った経験してる方は結構いるんですね・・・ 挫折を味わう事なく、成功してばかりの人間ってそう多くないと思う。 努力しても報われない、努力できるだけの実力もない。 結果が全ての世であれば、どんな綺麗事でも打ち破られる。 その先にある虚しさから、何度ため息をついてしまったことか。 >DaysFightさんは経験した上で抜け出せましたか? 抜け出せてはいないですね。 虚無感というか先行きの不安が大きいと言いますか。 会社員で一人暮らしをしている質問者さんは凄いと思うよ。 その荒れた世の中で独立してるだけでも素晴らしいです。 私は諸事情により生涯フリーターの低収入なので、 下手に一人暮らしをすると貯金が残らない。 よって、実家で生活費を入れながら、 パラサイトシングルという世間的に蹴られる身分にいます。 趣味があっても老人になったら続けられるとは思えないし、 深く考えてしまうと、質問者さんと同じように虚無感に襲われます。 >自分はまだまだ抜けだす術が見当たりませんが、 >とりあえず一つ一つの皆さんの意見を >心にとめて少しでも前に進めるようにしてみます。 ネットサーフィンやネットゲーなどは依存症を思わせるほどに、 一度ハマッたらやめられないみたいです。 何か夢中になれるものがあれば、 虚無感を一時的に忘れることは出来るのは確かだと思う。 変に夢中になりすぎるとタバコみたいにやめられなくなるので、 その辺りの加減は難しいですが……。
- kadgan
- ベストアンサー率60% (3/5)
37歳です。 僕も、なぜ生きてるのかと言う事は長年考えて虚無感も浮いたり沈んだりしてます。 じゃあ死ぬかオマエ? などと言われると首を横に振ります。 興味ある事には首を突っ込んで楽しんでます。 その楽しみのために生きてるかな。 それましたが、 あなたに趣味が無くて欲求が無いようでも、同じ様に答えるでしょう。どんな人間も生きたいという欲求はある様です。 どうせ死ぬんです。事故等で若い内かも知れません。 なら生きてるうちに楽しめる事を見つけた方が得です。 この場に投稿している時点で「何かを楽しみたい」という 欲求の現れですから、あなたはまだ廃人ではなく希望を探しているのです。 が、矛盾しますが、趣味は持たなくてはいけないものじゃありません。 そう思った瞬間、それは義務になります。 誰にも強制されず心から楽しむ。 それが趣味です。 荒療治ですが、 そんなあなたにピッタリの特効薬は一人旅かなと思います。 できれば長期で海外。どこでもいい。守られてない環境へ身を置く。 バカンスじゃなく、放浪。 日本で仕事を持ち生活してると難しいかもしれませんが、 拝読していると、 何に対しても興味を持てない。 しかし生きている実感=何らかの刺激を感じたい。 だったらきついくらいの刺激を自分に与えてやればいい。 その時自分がどう感じるか体験してみればいい、と思ったものですから。 念のため言っときますが、犯罪はいけませんよ。 人に迷惑かける事も。 この2点押さえときゃぁ、何したっていいんじゃないかな。 別に旅でなくてもいいんです。 今までの自分が選択しなかったような事に挑戦してみるんです。 趣味なんてヌルイ考え方じゃなくて、 何かに挑戦する。 虚無感いっぱいの自分に戦いを挑むくらい。 いまのままじゃ駄目なんでしょう?ヤバいんでしょう? 自分をなんとかできるのは自分だけですよ。 いくら本を読もうが、 いくらこの場で沢山の言葉をもらおうが、 所詮は他人が他人に言ってる他人事でしかない。 動いて感じて考えるのは自分だけです。 重い腰を上げて何かやってみて下さい。 リスクを怖がっていては何も見えてきません。 できるだけ窮地に追い込んでやってはどうでしょう。自分を。
お礼
回答ありがとうございます。 確かどこかで一人旅をよくされてる方のHPでみたことあります、その方も目標がなく、元々他人とかかわるのもめんどうだと思ってる方でしたが、いざ知らないところへ行くとそれがたとえ国内でも一人ではどうにもならないことが結構起こるんだと。そのときに自分で解決することでどうにもならないとこからの脱出ができると自信がつくんだとか。 私も挑戦したいのですが、まだ車でいける程度でしか一人はありません、もう少しお金ができたらとりあえず国内からやってみたいとは思っています。 恋人も友達も失っても、お金がなくてもまあしょうがないやって諦めつくのに命だけはなかなか諦めつかないってのは不思議なもんですね。 まだ心や脳の奥底で「どこかに希望があるかもしれない」って潜在意識みたいなものが働いているから生きてるのかもしれませんね。 それがないなら生きてるはずないでしょうから。 もうすこしもがいてみます、打開策を見出せるか自信はありませんが。
- opsrms
- ベストアンサー率16% (12/73)
いい質問してもらったお蔭で、「皆同じことで虚無感を味わっている」ということが分かりました。私もその一人です。 平和になった日本で生きている自分には「これといった明確な生きる目標」が見当たらないのです。 平和であることがどれほど幸せなことなのかは分かっているつもりですが、平和になったからこそ「生きたい」という欲求の先にある「何の為に生きているのだろう」という疑問が浮上します。これは贅沢な悩みなのです。 しかし別の角度から見ると、「今から千年後、1万年後文明が進化していったら、人間は地球を飛び出してどこまでいくのだろう?」と考えると、検討も付きません。結局、目標(ゴール)がないので、どこまでいっても終わりにはならないで、延々と命の輪廻が意味もなく繰り返されていくだけなのです。 もし「前世」とか「霊」などのような科学的に認められていない分野が何かしらの実験で認められれば、魂の輪廻が実在していて、そこから得られる答えとして「人は○○をする為に、この世に生まれてくる」のような明確な回答が得られるのかもしれません。 例えば、「前世で○○をやり残して悔やんで、またこの世に舞い戻ってきた」のような類の内容です。 とすれば、今自分がなすべきことは前世で心残りがあった何かをするために生まれてきたことになります。 今の現代では超常現象を解明するほど、学問は進んでいませんが、近い将来解明される日が来るのかもしれません。相対性理論の時間と空間の歪みが立証されるような世の中ですから、それほど非現実的な内容だとは思いません。 それらが解明されれば、「人が生きる意味」が見出せる日が来るのかな?と私は思っています。今はやはり紛らわせるしかないですね。なんか難しいこと書いてすいません。理解できなかったらスルーでいいです。
お礼
回答ありがとうございます。 理解しにくい難しい話ではありますが、なんとなく把握しています。 自分自身がなんのために生きて行くかなんてきっと誰もわからないと思います、だけど、その中にも大きな夢や、小さくても希望を持って生きているんでしょうね。 学校でいい成績をとる、自分の会社を立ち上げる、莫大な資産を築く、悠々自適な老後を送る・・・そんな風に人生の生きがいを分割してここまで達成したら次はこう生きようとか考える人は回りにいます。 でも私はまだまだそれを指をくわえてみてるだけですw 何か見つかる日がいつか来るのかな・・・
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お礼
回答ありがとうございます。 甘えですね・・・・