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酒井左衛門尉について
酒井左衛門尉について詳しい方教えてくださいませ。 私の直系の先祖らしいですが(ほんとかどうか分かりませんが)、戦災で全て失い資料がありません。その末裔もしりたい。 手がかりがないもので・・・宜しくお願い致します。
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No3です。 「酒井左衛門尉という名前は、酒井忠次の直系の子孫しか名乗れない」となったのは、あくまでも江戸時代の話です。 No2の方が言われるように、仮に質問者様の先祖であるという「酒井左衛門尉」が、酒井忠次より前の時代の人なのであれば、そういう名前の武士は日本中に複数名いたと推定でき、その後裔を探すことはほぼ不可能です。 「戦災で全て失い資料がありません」 ということですと、真偽の判定のしようがありませんね。もしかすると、戦災を受ける前から証拠物品や史料がなかったのを、戦災のせいにしているのかもしれません。(笑) その場合、言い伝えは言い伝えのままそっとしておくのが良いでしょう。
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- buchi-dog
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「酒井左衛門尉」という姓と官途の組み合わせは、徳川家康の四天王の一人である酒井左衛門尉忠次の直系の子孫である庄内藩主酒井家のみに許されていました。 庄内藩主家歴代当主 http://www.asahi-net.or.jp/~ME4K-SKRI/han/mutudewa/shounai.html なお、左衛門尉という官途は本来は従六位下相当のあまり高くない官位なのですが、天下に武名を知られた酒井忠次が名乗ったので、酒井姓では庄内藩主家が独占することになり、庄内藩主は歴代従四位下に叙位され(国持大名と同等の待遇)、侍従に任じられつつ「酒井左衛門尉 」と呼ばれました。 で、No1さんが言われるとおり、庄内藩主酒井家の現在の当主は、山形県鶴岡市にある致道博物館の館長を務め、現在も庄内に居住する酒井忠久さんです。 下記リンクに、酒井忠久さんが庄内藩主酒井家=酒井左衛門尉家の歴史を詳しく書いておられます。 http://www.semishigure.jp/html/history.html で、 「私の直系の先祖らしいですが(ほんとかどうか分かりませんが)、戦災で全て失い資料がありません」 とのことですが、仮に質問者様の家系が「本当に」庄内藩主家の分家であるなら、質問者様の家系に係る資料を揃えて山形県鶴岡市に行き、庄内藩に係る史料を集めた「致道博物館」を訪ねることをお勧めします。 「戦災で全て失った」と言っても、行政書士に頼めば、遡れるだけの戸籍謄本の写しを取ることが出来、家系を明治まで遡れる筈です。戸籍謄本の写しを持って致道博物館を訪ねて下さい。なお、事前に博物館に連絡してアポイントメントを取ることを忘れずに。博物館に伺う際は、謝礼(2万円くらい)も忘れずに持参して下さい。 財団法人致道博物館 http://www7.ocn.ne.jp/~chido/ なお、遡れる限りの戸籍謄本の写しを集めるのは、プロである行政書士に頼まないと難しいでしょう。 日本行政書士会連合会 http://www.gyosei.or.jp/ でお住まいの地域の行政書士会を探し、行政書士を紹介して貰って下さい。恐らく十万円単位の報酬を支払わねばなりませんのでそれは覚悟してください。 また、自分で(行政書士に費用を払って依頼して)戸籍謄本の写しを集めもせずに「私は酒井左衛門尉の直系の子孫らしいのですが」と致道博物館に問い合わせても、博物館も判断する材料がない以上何も答えられません。博物館に迷惑ですので、その点は気をつけてください。
お礼
ありがとうございます。 丁寧な御回答、恐縮しております。 こんな大変な話になるとはおもいませんでした。(回答があると思いませんでした) 歴史の事は全くわかりませんが、これをきっかけに少し勉強致します。 ありがとうございました。
- kjr1390
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中世の地頭酒井氏とは極めて密接な関係があった者です。(酒井氏ではありません) 姓氏百科大事典に酒井氏が沢山載ってますが、この数十年、いづれの家系と何も行き来がなかったのでしょうか。? 「左衛門尉」はポピュラーな官職ですので、これだけで推測するのは困難です。 地頭酒井氏の関係だとすれば、大体わかってます。しかし、本系に近い家筋は地元ではっきりしていますので、これらの家と何等行き来がなかったのなら、仮に一族の流れを引いておられるとしても、既にその縁は切れてしまっているでしょう。 (一族としての義務を継承していなければ、同族とは看なさいのが普通です) 私の場合、「同姓だから一族かもれない」と尋ねてこられても、「判っている一族には該当しない」としか答え様がありません。どこまで判っているかは別問題です。 家系というのは伝承する者にとっては「極秘」ですので、(県史に中世史料は掲載されていますが)、もう少し具体的に何か判らないと、私が知る中世酒井氏について、此処でのお答えは出来かねます。 戸籍謄本で可能な限り調査し、ご親戚からの聞き取りもされ、貴方の家の墓所が何処こにあるのか、菩提寺の宗旨は何か、菩提寺の歴史はどうなのか、寺の過去帳でどの時代まで遡れるか、など、出来る限りの調査をされてから、再度ご質問頂けますでしょうか。 「中世酒井氏の流れかも知れない」と感じられれば、何らかのヒントを差し上げることは出来るかと思います。(近世の徳川四天王酒井氏は中世酒井氏と違います)
お礼
ありがとうございます。 もう少ししらべてから質問致します。
- dogsiva
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調べてみました。 徳川四天王の一人、酒井忠次の家系が「左衛門尉家」の家系のようです。(本当はもっとさかのぼるようですが、有名どころの名前で) 酒井氏はその後いろいろ紆余曲折があったようですが、本家は山形県の鶴岡に落ち着き、 いまは第18代当主の忠久さんがご健在だそうです。 致道博物館という博物館の館長を勤めていらっしゃるようです。
お礼
ありがとうございました。
お礼
ありがとうございます。 御回答いただいたとおり、ただの言い伝えかもしれませんね(でしょう)。 もう少し調べてまた質問致します。 早とちりしました。 ありがとうございました。