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何で日本はアメリカに負けたのか
太平洋戦争の緒戦では、日本は陸上でも海でも連戦連勝でしたよね。何で最後の方はボロ負けだったんでしょう?
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- Vwiyoonn
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戦争を政治の道具として考えたとき、開戦時に戦争の勝ち負けというより、戦争終結時の落としどころというものが設定されるはずです。「ここまで侵攻したけど、領土としては二歩手前くらいまでで勘弁したるわ、ま、アンさんの面子ってモンもあるんでっしゃろ?」とか、「負けや負けェ。でもな、ここまでは勘弁してェな、な、な」なんて具合ですね。もちろん、都合よくそういった目論見が叶うかどうかは別ですけれど。 と、考えたところ、太平洋戦争の際、日本の政府にとっての落としどころとはどこだったのでしょうか? どうも、落としどころを想定しない戦争というなんとも奇妙な、というか矢鱈とヒロイックな(だからこそロマンチストたちはあの戦争を好きなのでしょうね)戦争をあのとき日本は始めてしまったようなのです。自衛のための、という理屈もありますが自衛のためならば余計にしっかりとした落としどころを想定しておかなければ元も子もなくなるはずです。 ですから、文民統制をぶっちぎった戦争はある種の祝祭となってしまったのです。 それ故に、虎の子のエニグマ暗号機の設定をいつまでも変えないまま使用して機密のただ漏れを招いたり、設計者の意見を無視して乗員の生命(と、育成コスト)を軽視した戦闘機を飛ばしたり、真珠湾作戦で自ら戦争を新たな形に変えてしまったことを自覚していなかったとか、指揮官の面子を守るためだけの玉砕命令とか、理性を持った人間が考えた──そもそも考える能力があったのかと疑いたくなるようなドタワケかましまくった挙句の敗戦です。 実際、真実湾奇襲について米国首脳は知っていたという説が濃厚ですが、いくら切羽詰ってても政治的落としどころの見えない戦争を始めるバカなんていねーだろ、と考えていたが故にバカが戦車で…じゃなかった、奇襲に蹂躙されたというところではないでしょうか。 ──相手がまともと思ってたらバカだったんで相手は面食らったけど、結局バカの喧嘩だったんで無駄に暴れすぎて半ば勝手に負けた、といったところでしょうか。 また、日本に限らず、古今東西「短期決戦でちゃちやーっと終わりまっせ、旦那。それならこっちの損害は最小限でホンマのボロ儲けだっせ」なんて目論みで始められた戦争はおおよそ泥沼化して、政権の弱体化を招くようです。 ──人類って学習しませんねぇ。 バカどものバカ作戦やバカ戦略に殺された人々に冥福を祈りつつ。
- harepanda
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日本は石油の取れない国ですから、戦争を優位に進めるには、南方へ進出し、石油を確保することが当初の戦略だったわけです。ところが、日本軍全体としては南方進撃のための軍事力が足りず、満州国の警備兵を横流しして、南に行かせる必要がありました。南方には、敵国はたいした戦力を置いておらず、そこに奇襲をかけたのですから、勝てて当たり前です。 第2次世界大戦全体の大きな構図の中で、ドイツは日本が東からソ連を攻めてくれることを期待し、何度も日独間で議論が行われました。しかし、日本はソ連と戦争をする国力はないし、シベリアなど支配しても得るものがないという理由で、日ソ中立条約を結んでしまいました。これが、結局、日独伊側にとって大きな痛手となる、ドイツ軍の東部戦線での敗北につながったわけです。 戦況が大きく日本不利に傾いたのは、日本軍の暗号が完全に解読されていたことも理由にあげられるほか、航空機時代に戦艦大和のような過去の思想で出来た巨大戦艦を作っていたこともあるでしょう。また、そもそもの国力が米国とは違うのだから、最初の奇襲での勝利のうちに、外交で戦争を有利に終わらせてしまうべきだという国際派の海軍の意向が無視され、世界情勢にうとい陸軍が内閣の中で力を持っていたため、正しい判断が出来なくなっていた事情もあります。 アメリカが総力をあげて日本を攻めてきたのには、背景があります。日本軍は安上がりな米国本土攻撃方法として、風船爆弾という、しょぼいものを空に放っていたのですが、これがかなり、アメリカに到達していたのです。ほとんどは山林地帯に落ち、都市部に落ちたものは少なかったのですが、アメリカ人の頭の中では、「日本は中国で生物兵器を使った国だ。早く叩きのめさないと、いつ、風船爆弾に生物兵器を載せてくるか分からない」という恐怖心があったのです。 なお、アメリカでは原爆投下によって戦争が終わったのだから、原爆投下は正しいことで、他の無駄な死者を減らる効果があったと考えている人が多いのですが、これには根本的な過ちがあります。日本軍は、原爆がふたつおとされ、すぐに「これは原爆だ。日本も研究してたから分かる」と認識しても、まだ本土決戦をやるつもりでいたのです。日本軍が白旗を揚げたのは、ソ連が日ソ中立条約を破棄して、満州国になだれ込んできたことがきっかけです。これについては、ぜひ、アメリカ人に正しい認識を持ってもらいたいものです。
- j_nishiz
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最初から勝ち目も目論見もない戦争でしたからね。 緒戦といってもミッドウェーまでですから、1年立ってませんよ。 奇襲で始めたわけですし、東南アジア諸国は開戦時点でほぼ制圧していたわけですから、1年で敗走に転じたとすれば、その時点で勝敗は決してます。 しかも現場の司令官も、大本営も負けを認めず、敗戦の分析を行いませんでした。 なぜ負けたかを分析せず、同じ戦いを続けたんですから、アメリカからしてみたらお客さん状態です。 目論見があれば、ここまで行けば勝ち、こうなれば負け、という想定に従って行動すれば良いわけです。 ところが「いざとなったら神風が吹いて」等としか考えられなかった軍首脳の無能さが以降のボロ負け、大量の死者を招いたのです。
- zoe_falken
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以下、あくまで私の私見です 根本的に物資がありません。また、人員も不足気味です。 日本の防衛線は拠点同士を結んだ「点と線」です。 拠点を一つずつ潰されて行けば自ずと敗北です。 つまり旧日本軍が勝つためにはアメリカの体制が整う前に、首都を制圧する必要があったわけです。 また、一気に劣勢となった最大の要因は零戦の性能がばれてしまったことです。 当時、日本の航空技術は世界最高レベルでした。 しかし、偶然にも零戦がほぼ無傷のままアメリカに渡りました。 アメリカはこれを解析し、零戦の弱点を見つけました。 零戦は旋回性能はずば抜けていましたが、強度が不足しており急降下などを行うと空中分解するのです。 この辺の弱点をつけるような戦法を取ったわけです。 で、零戦は撃墜され、最終的に制空権を奪われたわけです さらに、B-29という爆撃機は「空飛ぶ要塞」の二つ名をもち、撃墜は非常に困難でした。 これに本土を空襲され、国力をじっくりそがれたわけです また、末期において旧日本海軍は「大和級」と呼ばれる超弩級戦艦の製造に着手しています。 この時期には戦闘機の有用性が示されており、戦艦は時代遅れの兵器でした。 この辺も、貴重な資源の無駄遣いでしょうね
太平洋戦争の場合、 「真珠湾奇襲」に始まる「初戦」の頃は、アメリカ軍(連合軍)は、戦争の準備が遅れていたと考えられます。 日本軍は、初戦の連戦連勝に奢ってしまったのですね。 陸海軍の連携も悪く、太平洋と言う広くなり過ぎた戦線を守りきれなくなったのです。 しかし、アメリカ軍は圧倒的な物量に加えて、戦闘機ひとつを例に挙げても、初戦の頃と終戦の頃では格段に性能を向上させています。 他にも、レーダーや暗号解読など、「情報戦」に関しても日本を圧倒するようになり、日本軍は「動きを読まれる」ようになって行ったのです。 「敵に動きを読まれる」ようになると、勝ち目はありませんね。
- mat983
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一言で言えば国力の差と資源があるかないかです。 1941年12月の真珠湾の奇襲攻撃でアメリカの太平洋艦隊に大打撃を与えたため、序盤でアメリカは出遅れただけです。 43年1月のガダルカナルの戦い以降、日本は制空権を奪われ、敗走することになります。 軍部は早い段階で講和条約を結ぶ勝ち逃げを狙っていましたが、それもできませんでした。 ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を事前に知ってながら、知らせず、日本憎しの感情を国民に植え、戦争に突入を図る理由にしたとの説もあるほどで、アメリカの圧倒的な国力の前になす術がなかったのです。 沖縄戦の火炎放射器をはじめ、自動操縦、上陸用舟艇など日本にはない武器で圧倒しました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89 真珠湾攻撃によりアメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊をほぼ壊滅させたものの、アメリカ空母機動部隊は出払っていたため損傷を免れ、これが原因でこの後の戦況に大きな影響を与えることになる。完全に撃沈したと思われた艦艇も後に引き上げられて戦線に投入された。
- AVENGER
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兵士の練度の差。 物量の差。 通商破壊による、物資の欠乏。
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