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光が空間を伝わることに関して
よく光はエーテルを伝わっているのではなく 空間を伝わっているとか聞きますが 結局はなんかを伝わっているわけですよね? エーテルに光が伝わることと、空間に光が伝わることの大きな違いはなんでしょうか? またなぜ当時の科学者はエーテルを否定したあと、空間を伝わることをすんなり受け入れられたのですか? そもそもエーテルと空間の違いはなんでしょうか? 以上の3つの回答をわかりやすくお願いします
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- apple-man
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>またなぜ当時の科学者はエーテルを否定したあと、空間を伝わることをすんなり受け入れられたのですか? 光は電磁波の一種だと言いますよね。 ご質問者の方、大学生なら電磁波を表すマッスウェル方程式を 思い出してみて下さい。 X、Y、Zの3つの方向を持つ、ベクトル表示になって います。空間内で振動し、一定速度(光速)で進んで 行くという内容になっているわけです。
- shiara
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光は量子であって波ではありませんので、媒体は必要ありませんし、何かを伝わっているのでもありません。 「光が空間を伝わる」という表現は正しくはありませんし、空間が、何か物質のように伸びたり縮んだりするような誤ったイメージを与えるおそれがありますから、表現としては不適切ですが、媒体を必要としないことを言いたいのではないかと思います。
>光速の実験から、「宇宙を満たしている一つのエーテル」は否定されます。 この点は物理学者は正しいです。 この前は、そもそもエーテルを否定したのが間違いだと言い続けんぞ。 (主観の記憶は5年以上続く人間より。)^_^;
- moby_dick
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アインシュタインの(特殊)相対性理論は、全くナンセンスです。 >よく光はエーテルを伝わっているのではなく 空間を伝わっているとか聞きますが 結局はなんかを伝わっているわけですよね? エーテルを伝わります。 >エーテルに光が伝わることと、空間に光が伝わることの大きな違いはなんでしょうか? 波は何にもない空間を伝われないです。 波は振動が隣の媒体部分に伝わり、進んでいきます。 真空空間について、隣の真空部分というものは決まらない。 (座標系の取り方は任意で、隣の真空部分は何でもあり。) 「隣部分」が定まらない言うことで、光は何にもない空間を伝われない。 (もし神秘的なことで伝われても、座標系の取り方で、「隣部分」が定まらないので、矛盾が出る。) >またなぜ当時の科学者はエーテルを否定したあと、空間を伝わることをすんなり受け入れられたのですか? すんなりではないです。 他になかったからです。 光弾丸説、エーテル波動説を否定し、他になかったから。 >そもそもエーテルと空間の違いはなんでしょうか? エーテルは光の波を伝える一種の物体で、空間自体は波を伝えない。 さて、真実は、 光速の実験から、「宇宙を満たしている一つのエーテル」は否定されます。 この点は物理学者は正しいです。 しかし、 それぞれの光に、「それぞれのエーテル」はある。 その実験装置のそこにエーテルは静止してある。(厳密には光源に対して静止) 物理学者は気づいていない。 物理学者は、「エーテルは宇宙を満たしている一つのもの」と固定観念を持っているから。
- tetsumyi
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私の偏見ですが空間を伝わると言う考え方が本当に正しいかどうか疑問を持っています。 電磁気や重力はその効果が離れた位置に影響を及ぼすことに時間差(相対論では空間との関数)が生じると考えることはできないでしょうか? 広がりを持った影響が波として観測され、鋭い方向性を持った影響が粒子として観測されると言う見方はどうでしょうか?
暗黒物質とは、光と干渉しない物質を指します。 光と干渉しなければ見る事が出来ません。 ヒッグス粒子の物理的な「位置」を良く勉強しておくと良いかもしれません。 真空の対象性がある場合、クオークは、「光速です。」 これが、ヒッグス場の抵抗に合い、光速より遅くなっているとすると、 クオークは、ヒッグス粒子と干渉する。 光子だけは、ヒッグス粒子と干渉出来ない。「光速で移動できる」 故に、見えない。となります。 #2様同様、次元が光子(全ての粒子を)を伝播する事になります。 光の伝達の媒体があれば、光に干渉する(出来る)事になります。 光が干渉すると言う事は、見えると言う事になってしまいます。 しかし、発見されていません。 つまり、今の所、無いと見るのが普通でしょう。 >空間を伝わることをすんなり受け入れられたのですか? エーテルを発見しようと試み、これが否定する結果になったからです。 物質があれば、光の干渉縞が出来るはずが、出来ない。 つまり、結果が無であったからです。 光の干渉縞が出来ない限り、何も無いと言う事実は認めるしか無かったのでしょう。 エーテル場と空間(ヒッグス)の違いは、現在では、他の粒子が光速より遅い理由をすんなり説明しようとしている点です。 見つかるかどうかはまだわかりません。^^; ヒッグスが、空間そのものの持つエネルギーだった可能性もあります。 が、暗黒物質/エネルギーも解決しなければならないので、 更に大きな発見も期待できます。
- masa2211
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>エーテルに光が伝わることと、空間に光が伝わることの大きな違いはなんでしょうか? 古典力学上は、この2つは明白に異なります。 光を粒子だと考えた場合、粒子は真空でも伝わります。 光を波だと考えた場合、波は真空では伝わらず、必ず何かの媒質を伝わります。 (たとえば、音は真空では伝わらない。) したがって、エーテルがあって光を伝えるなら、光は波であり、エーテルなしでも光が伝わるなら 光は粒子であるということです。 >当時の科学者はエーテルを否定したあと、空間を伝わることをすんなり受け入れられたのですか? 光は粒子か波か、というと、はじめは波が大優勢でした。 理由:粒子と考えると、回折や干渉といった現象が説明できない。 そして、電磁波理論が出て、電波はどう見ても波で粒子でないから決着がつきそうだったのですが、 マイケルソン=モーリーの実験により、ローレンツ変換を使わないとマズイ現象が発覚しややトーンダウン、 アインシュタインが光電効果を光の粒子説で説明したことで形勢は振り出しとなり、 「波と粒子の両方の性質を持つ」 という折衷案的な決着に。 エーテルを否定するまでに、波動説を採る科学者は徹底抗戦しました。 エーテルの否定は、「光は波ではない」ことを認めるのに等しいのです。 古典力学的にはそうなります。
- ringouri
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エーテルは空間の中に存在する「ある物質」であり、空間はそれ自体で存在していますが、エーテルは空間が無ければ存在できません。 ただ、空間が光の媒質であるという意味では、空間それ自体がエーテルとも言えます。アインシュタインなども、そのような言葉使いをしている場合があるようです。 当時の科学者は、エーテルという あるモノが否定されたといっても、実質的な電磁波の状態を表す式は媒質が空間になっても変わらないので解析方法としての混乱はなかったのです。(特殊相対性理論の主なインパクトは空間や時間の概念について) もともとエーテルは、固体の性質を持つにも拘らず運動物体に対して抵抗を示さない奇妙な物質であり、仮想的な(ある意味ウサンクサイ)代物でした。従って、否定したとしても心理的には逆にすっきりした気持ちになったのかも知れません。 光(電磁波)が空間を伝わるということが理解できずに「相対論は間違っている」と主張する人達がいますが、それらの人達のほとんどがエーテル中を光が伝播するモデルを暗黙のうちに仮定しています。 エーテルで光が伝わることと、空間で光が伝わることの大きな違いは、特殊相対性原理を認めるかどうか、空間の中に充満する別の媒質を想定するかどうか、ということであり、もし、「エーテルとは現在において空間と呼ばれているモノの性質を全て有するもの」と定義すれば、解析上の違いはありません。 何も(電磁場が)無いように見える空間を別の慣性系から見ると電磁場があるという事実は、空間とは別に存在するエーテルを仮定した場合、たちまち矛盾が生じることになります。
- mrsara
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(1)エーテルに光が伝わることと、空間に伝わることの違いはありません。光を伝える媒体としてエーテルを仮定していましたが、現在は空間が光を伝える媒体であることがわかっています。 (2)エーテルに物質としての特性が見つからなかったからでしょう。要はエーテルの存在を確認できず、空間自体に媒体としての性質を見出せることが説明できたからではないでしょうか? (3)エーテルは物質として仮定されています。空間は物質そのものせはなく、物質が存在する場所とでも言えばいいでしょうか?あるいは光を伝える媒体といして考えれば、極めて薄い水素ガスなどのガスなのですかね。
- Scull
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エーテルと空間の最大の違いは「固有の物質であるか否か」です。 エーテル中を光が伝搬するということは、光速は「エーテルの速度に左右される」ということになります。これは大気中や物質中の「音速」を見てみれば理解出来ます。 「空間」を光が伝搬する時は、光速は媒質の影響を受けません。何故なら「空間には固有の座標も速度もない(相対的な座標や速度はあり得ます)」ので。 そして、実際の観測は後者を支持しました。即ち、光速は特定の速度を持たず、観測者に対して一定だったのです。