- ベストアンサー
サルが なぜ「エテ公」?
猿は「去る」に通じ、商家や博徒は朝に この言葉を使うのを忌んで(←これもドウ読むかわかりません!)、「得手(えて)」と言い換えたらしいのですが、なぜ「エテ」なのでしょう? 過去問の回答に 「得手は他人に勝るということ。勝る→真サル…で、サルの忌み言葉としてエテを使った」 とありますが、全く納得できません。 たとえば、当事、商家や博徒が「サル」を含んだ語を話す場合、どんな言い回しをしたのでしょう? 「エテ」を活用して話したとしても、不自然極まりない会話になると思います。 なので、「去る」を忌み言葉とした時、「得手」を当てるのはとてもムリがあると思います。 「猿」=「エテ、エテ公」の本当のワケが知りたいです。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>もしかして、会話の中に 本来の「猿」を言おうとした時だけ、「エテ」と言い換えたのではないでしょうか? そうです、本来の猿を言うときだけ「エテ公」と言い換えていたいうことでしょう。 動詞の「去る」は別に忌み言葉ではないでしょう。 「猿が去った」なら「エテ公が去った」と言っていたはず。 まあ、終止形の「去る」はできるかぎり言わないようにしたかもしれません。その場合にも別に決まった言い換えが決めれていたわけではないでしょう。 今でも、受験生がいる家庭で、「すべる」とか言わないようにしたりするのと同じで、できるだけ使わないようにしたのかも。終止形以外の「去らず」とか「去れ」とかは普通に使われていたはずです(言い換えはまったくなかった)。
その他の回答 (2)
- ringouri
- ベストアンサー率37% (76/201)
忌言葉(いみことば)は商売やギャンブル関係で生き残っていますね。 飲み屋などに行って、メニュウに「アタリメ」と書かれているのを見たことはないですか?これも「スルメ」と言うのを避けて「アタリメ」と言い直したもので、「する」が利益を逸する、賭けに負ける、に通じるので「当たる」と言い換えていたものが、イカにまで及んだのですね。 去る→ 帰る、いぬ[関西だけ?去るの意]、行く 台風が去る → 過ぎる(台風一過)、逃げる、行く かたじけのうござる → ....ござそうろう などと言い換えていたので、別に困らなかったのです。 自動翻訳機みたいに「さる」→「えて」としていた訳ではありません。 どうしても「さる」が避けられない場合にのみ「えて」と言い換えていたので頻度は多くなかったはずです。
お礼
ありがとうございます。 やはり頻度は低かったんでしょうね・・・。 わたしが疑問に思ったのは、動詞の「去る」を忌み言葉とした時、 名詞の「得手」を、どう会話に使ったのか見当がつかなかったからです。 「得手る」なんて不自然きわまりなく(まあ、使っていたと言い切られれば退散しますが)、どんなフウに使うのか興味あるところです。
補足
会話の中に「去る」「さる」と言う言葉が含まれる時の言い換え方は理解しました。 とくに「エテ」を使わなくてもいいと。 もしかして、会話の中に 本来の「猿」を言おうとした時だけ、「エテ」と言い換えたのではないでしょうか? なんか自分で帰結してしまった感ありますが、皆さん、いかがお考えですか?
- hagehageha
- ベストアンサー率30% (43/139)
質問者様が、納得されなくても、大方の意見は質問者様の調べた「いわれ」が多いようですね。
お礼
ありがとうございます。 「台風が去って・・・」は 「台風がエテ、」 「かたじけのう ござる。」は 「かたじけのう ごエテ。」 なあんて、ホントに言ったんでしょうかねえ? それで この疑問が湧いたんです。
お礼
ありがとうございます! それにしても、「猿」→「得手」はヒネリすぎだとおもいます。 「する(するめ)」→「あたる(あたりめ)」 「悪し(葦)」→「良し(葦)」 ぐらいにとどめといてほしいもんです。