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三島由紀夫 『白鳥』の最後の一文
三島由紀夫の短編『白鳥』の最後の一文にこう書かれています。 恋人同士というものはいつでも栗毛の馬の存在を忘れてしまうものなのである。 これは作者がどのような意味を込めたのでしょうか?
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新潮文庫版でも7ページほどのきわめて短い小説ですから、 いま一度読み返してみましょう。 きゅんと身がひきしまる雪の降りしきる朝、若い男女が純白な出会いをします。 お互いが好感を持ちあい、わずかのあいだに親密になるさまが おもに女性の目を通し心理を通して、しかも余分なところをいっさい省いて簡潔に描かれていますね。 どれほど親密になったかは、いあわせた会員たちが一つ馬に相乗りしていたのかといぶかるほどだったことからうかがえます。 そしてその心の弾みは、この朝恋人となったお互いにとっては、白い馬が二頭いたような心持ちであったと。 恋愛というものはきっと、相手を自分の理想に近づけることからはじまるのでしょうか。 そうしたことに不都合なことや似つかわしくないことは、 はじめからなかったか、あってもなかったこととして忘れ去られる。 ふたりの出会いにとって「白鳥」という白い馬は、 「その白い背からは大きな白い翼がみるみる生え」(本文からの引用) 天を駆けるペガサスのように象徴的にもなりうる。 けれどもそのほかのこと、たとえば「栗毛の馬」は代替可能であり、 なかった、いなかったとしてもかまわない。 そうしたいささか身勝手な恋人たちらしい心境にふたりがなったことをはっきり印象づけ、一つの小説が終る。 短編小説にふさわしい、そしていかにも三島らしさにあふれた、粋で洒落た締めくくりではないかと私は思います。 以上を回答とします。 以下は贅言です。 「若い女性というものは誰かに見られていると知ってから窮屈になるのではない。ふいに体が固くなるので、誰かに見詰められていることがわかるのだが。」(本文から) ここ、エスプリのきいた言いまわしですね。フランス心理小説の系譜を思わせます。 この女性。きびきびしていて、おきゃんで、物怖じしなくて、切り口上でものを言う、ちょいと高慢な女性はきっとすこぶる三島好みです。 三島はまた、雪が大好き。『仮面の告白』に出てくる雪景色の朝、『春の雪』の降りしきる雪、 など印象的なシーンが思い出されます。 それにしても、白一色の雪の日に、白い馬に乗るのを思いつかせるのはまあいいとしても、 白づくめの衣装とまでなると、かえっていささかダサいのではないか、とも思うのですが、いかがですか? 個人的には、どちらかというと三島は嫌いな作家なんで、それで点数がカラくなるのかな。 でも、戯曲や短編はさすが、やっぱりいいものが多いですね。
お礼
すばらしいご回答、ありがとうございます。 大変参考になりました。 私(18歳)が初めて読んだ三島の本は小説ではなく「美と共同体と東大闘争」という、1970(69?)年に行われた三島と東大全共闘との対談の本でした(笑) 小説はまだ2,3冊ほどしか読んでいませんが、私は三島の独特な世界観がけっこう好きですね。 話を元に戻して白ずくめの衣装ですが、邦子の性格が表れていますよね。 確かに衣装まで白となるとダサいですが、お転婆でややナルシストとさえ読み取れる彼女の性格からすると、なんだか彼女の気持ちが分かる気もします。 どうもありがとうございました。