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人の価値観に合わせること
哲学でいいのか分かりませんが、とりあえず質問します。 先日、ある人にアドバイスする機会があって、そのときにどうしても自分だったらどういうのがいいと思うという基準でもってやってしまって、結果的に相手を苦しめることになったようです。もっと技術向上体力アップすれば楽しくなるよというようなことなんですが。努力というものに特に価値を置かない人にとっては、有害とまでは行かなくても、無益なアドバイスだったようです。 もっと一般化すると、どうも人は、自分の価値観を捨てられずに、相手にあったことをやろうということをどうもしません。それが正当なのか、あるいは自分を殺して相手にあったことをやるように努力すべきなのか、どうもよくわかりません。
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相手に合わせるのでもなく自分を殺して相手に合ったことをするのでもなく、その中間が求められるのではないかという気がしますけどね。 バランスと言っても良いでしょうし、相手に対する想像力と言っても良いかもしれません。 よく知らない相手やネットなどでは難しいことになると思います。 要はそれを目指そうとする気があるかどうかといったあたりが大事なのかもしれません。 >もっと一般化すると、どうも人は、自分の価値観を捨てられずに、相手にあったことをやろうということをどうもしません。 ;価値観を持たない人間が他者にアドバイスすることは難しいでしょうし、逆に考えるとアドバイスには価値観が少なからず混入することになると思われます。 逆の場合を考えるとわかりやすいかもしれませんが、自分の価値観を無条件に捨てて相手に合ったことをやろうとすれば、それは虚偽となってしまいます。 いずれにしてもバランスということになるように思われます。
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- adaypajimy
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>自分の価値観を捨てられずに、相手にあったことをやろうということをどうもしません。 それは質問者さまも同じだと思いますが。 アドバイスとは、相手が何を望んでいるか引き出して埋め合わせなければ成立しません。「努力しよう」と言われている本人としても「それはそうだけどさー…」と否定的に考えてしまうと思います。失礼かもしれませんが、ある意味、当たり前のアドバイスだからです。 もちろん、ただ楽をして生きようという性格の人も仕事などをしているとどうしても見受けられてしまうと思いますが、それでも、人を動かすには、その人の考えに共感し、悩みを掘り下げて聞いてあげる。その人の価値観の総否定と相手に捉えられないような、伝え方をしなければならないと思います。だからこそ、コミュニケーションに関係する勉強は大切なのだと思います。自分を殺すというよりは、自分の気持ちをうまく伝えるにはどうしたらいいか、相手が動く最善の自分の行動は何か?と、考えるとよいと思います。
お礼
そのとおりだと思います。 人間ができること、あるいは、最善を尽くさないことが相手のためであれば進んでそうするという、多面的価値観が必要です。
価値観というのを先にして行動を後にしていると普通考えますが、実は逆なのではないですか。あるひとまとまりの行動が行なわれた後それらの行動が是認される価値観を生む。しかし一旦価値基準ができあがってしまう今度はその価値基準で行動が選ばれる。独立した二人の人の価値基準が完全に一致することはありえません。価値基準を同じにしないでもそれぞれのひとの間で結果として利害が矛盾しないように行動することはいくらでも可能だと思います。自分を殺すのではなく両者の価値基準に受けいれられるような行動をとろうと工夫するということではないでしょうか。
お礼
鶏と卵を逆転してもいい考えですね。先ず行動ありきということは、健康的な感じがします。矛盾点相違点を、行動の中ですり合わせていく、理想的ですね。
- shift-2007
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アドバイスを受けた人は、それを鵜呑みにするのではなくて、自分なりに解釈して自分にいあったものを取捨選択しなければいけないのではないでしょうか。 良い結果を出すことが重要であって価値観がどうかはそれほど重要でしょうか。 価値観を合わせなければ良い結果が出ないならそうすればいい、という程度のようなきもします。
お礼
受けたほうの問題になりますかね?なかなか心構えを大きく取っていないと難しいですが、正論だと思います。
お礼
大変、的を得ていると思います。そして、アドヴァイスというものの限界とか、意味合いがよくわかります。価値観を捨ててはアドヴァイスできない、必然的な矛盾をはらんでいるものです。お互いの妥協点で動いていくというほかないようですね。