- ベストアンサー
史観・・・・
戦後、幾度となく繰り返され続けている「歴史問題」ですが、それらの論争の明け暮れに、結局歴史認識に「客観性」「普遍性」を望むのはナンセンスなのかという思いに暗澹とした気持になります。 つまり「歴史」というものは、「哲学」と同義であり、 それを認識するものの主観によって全く異なった歴史解釈が成り立つ・・・・ ヒロシマ、ながさきに原爆が投下されたことは紛れもなく事実です。ナチスのホロコーストや、南京の大虐殺についてはすでに「偽りだ」という声があります。 歴史とは所詮「解釈」の歴史であるとすれば、 我々は、結局どういう立場(ポリティカルなスタンス)を選択するかということが限界で、客観的な歴史認識というようなものは永遠に不可能なのでしょうか? だからこそこのような言葉が生まれるのでしょうか? 『人間が歴史から学ぶこと、それは人は歴史からなにも学ばない。ということだけだ』
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
お礼
重ねて長文のお答えありがとうございました。 もっといろいろ教えていただきたかったのですが、 この度一身上の都合により退会することになりました。 いろいろおせわになりました。 中途半端になってしまい申し訳ありません。 さようなら。