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司馬史観について
現在、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでいるのですが、疑問に思ったので質問させていただきます。 この本は明治期の日本について日露双方の立場から書かれてあり、現代にはありえない明治日本人の精神的気質も描かれていて、結構おもしろいのですが、作者の視点に偏りがあるのではないかと思うのです。 事実、私が購読している新聞には司馬史観について疑問を投げかける記事も載っていました。 司馬史観がどのように戦後日本に影響を与えたのか、また司馬遼太郎の本は歴史資料として価値はあるのかお聞きしたいと思います。
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司馬遼太郎の小説や紀行文は彼が知りえた資料や興味をもった資料を参考にしながら書かれています。通常の人は入手不可能な希少本を買い入れ独自の解説を加えているので非常に参考になります。しかし、読者が彼自身の歴史観を持たず事実も知らなければ一種の偏った情報をインプットされる危険性はあります。小説や紀行文はいくら名作でも歴史資料にはなりえません。優れた文学者が独自の観点から歴史を分析し料理するから面白いのです。
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- whitepepper
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そも、歴史観から偏りを全く排除できるものなのでしょうか。まして「坂の上の雲」は小説です。スポーツ観戦するのに応援するチームがなければつまらないのと同様に、偏りのない小説なんて無味乾燥です。 》司馬遼太郎の本は歴史資料として価値はあるのか 歴史資料というのは、もっぱら当時に記された書物、および遺物です。いくら司馬遼太郎が偉大でも、彼の著作が歴史資料になるはずありません。したがって無価値です。
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回答ありがとうございました。 偏りのない小説なんて無味乾燥…、なるほど、それも一つの意見ですね。スポーツ観戦も必ずどちらか応援しますもんね。 歴史資料については私は研究者じゃないので、素人のちょっとした疑問と思ってください。 ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですよね。 言われてみれば小説を事実と混同していたように思われます。歴史小説を読むときの基本的スタンスが自分の中で定まっていなかったようです。小説は小説として歴史の事実とは分けて考えると。こんな肝心なことを忘れていました。そのことを気づかせてくれたmartinbuhoさんに多謝。 ありがとうございました。