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本を読むことは精神力を必要とする。
勉強をする方法として 「本を読むこと、問題集を解くこと」 両方好きです。 しかし、前者より後者のほうが精神的に楽です。 本を読むこと、特に興味からではなくやらなければいけないこととして本を読むことは、確かに楽しいですが、精神力を使うと思うのですが、どう思いますか? 精神力というあいまいな表現ですが、意味を汲み取っていただけたらいいです。
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- ururai
- ベストアンサー率13% (89/674)
何でも主体的に取り組むことは大変です。資格受験予備校がはやっているのはその一番大変な部分を講義を聴いているだけで通過できるからです。昔は、司法試験受験生でも基本書を何度も読んで先輩の指導を受けることがあってもほとんど独学に近いものでした。でもこれによって自分自身を鍛えられた人も多かったと思います。もちろん挫折した人の方が多かったと思いますが。大学の授業もそうです。どうせ教科書から試験がでるからと講義に出ないで試験前に教科書を読むのは大変です。講義を聴いていたほうが簡単に教科書が読めますし、記憶に残り、理解力もついています。問題集ということなので資格試験のことでしょうか。資格試験なら受かることも重要ですが、受かってからも重要です。わかりやすい基本書や参考書、お金があれば有名な受験予備校の講座やテキストを利用して問題集演習をといて、自分のエネルギーはアウトプットに重点を置いたほうが効率的で、早く、確実でしょう。でも、難問に対していろんな文献を調べながら自分なりの結論を探していく作業も社会では必要です。それは機会のあるときに。
- lina
- ベストアンサー率38% (5/13)
そうですね、勉強する方法として本を読むことは精神的に疲れる(精神力が必要)のではないかと思います。 問題集を解くのは特に、その問題を解くことだけに力を費やせばいいのですが (わからなかったら答え見ればいいし)。 でも、本はそうはいきません。 私は基本的に本を読むことは好きですが、興味がないことに関しては、 読み進めること自体がきついことがあります。 わかりやすい本ならともかく、わかりにくい本は何度も読み返さなきゃいけないし、 書いてあることを理解しなければいけない。 理解するためには書いてあることを整理しなければいけないし、 わからない言葉があれば、そこからまた調べることが増えていく。 問題集より、余分な労力使ってると思います。 ですが、そのぶん、問題集より得る知識より多くのことがわかるという特典もあると思います。 それに、問題集と違って、本は何が問題なのか自分で考えなきゃいけない。 それとかんして、何をそこから読み取らなければいけないかというのも考えなきゃいけない。 まとめると 問題集は機械的にやればいいけど、本はそれができない。 だから問題集よりも色々なことを考えてやらなければいけなので本を読むほうが疲れる。 ・・・・・・ということです。 ・・・これってきちんと回答になってるでしょうか?
- toranputan
- ベストアンサー率18% (29/157)
こんにちは。私も本を読むの好きですよ。 たぶん、問題集だと「答えるべき答え」が決まってるから 楽な気がするんじゃないでしょうか?「正解」があるってことですよね。 本を読む方は自分で考えなくてはならないって言うか、 本から受け取る何かに「正解」ってないと思うんです。 同じ本を読んでも、何年か経って、自分が経験を積んでくると 違う面が見えてきたりしますよね。 だから、精神力が要るんじゃないでしょうか。 変な答えですみません~。
- kolobo314
- ベストアンサー率30% (3/10)
この『精神力を必要とする』というのは、私なりに『面倒くさい』という意味だと解釈します. 問題集を解くのは、自分の意志(解答)をノートなんかにしるしながら読みすすめていくことになるので、積極的に文章を読めるけれど、ただ参考書なんかの本を読み進めるのは、しっかり集中力を持っておかないと、すぐに、文章は読めても内容が読めなくなってしまうので、かなり難で、めんどくさいです。なので、私は本読むの嫌いです. でも、漫画は好きです。マンガは絵でもって世界が広げられていて、本の方がこちらに対して、積極的な感じがします.小説やエッセーなんかも同じ理由で読みやすいけど.「勉強しよう』と思って読む本は、その本の世界に入るのにそれこそ精神力を必要とすると思います. こうなってくると、本と自分との挌闘になってきます。 そういうとき私は武器として、鉛筆を使います. 鉛筆で、気になる部分に線を引きながら、読みすすめます. こうすると逆に、本を読む面倒臭さが、減ります. でも、『面倒くさいこと』に精神を注いで集中できたときというのが、一番『楽しいとき』なのかもしれません.