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主治医の治療方針が分からないので、精神医学の本を読むことは無意味なのでしょうか?
- 主治医の治療方針が分からないため、精神医学の本を読むことに疑問が生じます。
- 軽度の鬱状態が20年以上続き、主治医からは時間がかかると言われるばかりです。
- 「認知療法」に興味があり、主治医に確認したところ、不機嫌な返答をされました。
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はじめまして。 >「患者が主体的に治療する」ということに賛同できます。 >確かに主治医だけを責めることはできませんし、 >薬物は「助け」程度と思って、 貴方様は、順調に回復されてきていると感じました。 >薬物は「助け」程度と思って、 と言われていますので。 じゃ、後は「患者が主体的に治療する」ことの実践ですね。 斉藤茂太先生の本も読んでいるようですね。 私もモタ先生の本を読んでいます。精神医学物は読んでいませんが・・・ 落ち込んでどうにもならない時、 自分自身をどう考え、どう行動して良いかわからなくなった時、 モタ先生の本を読むと 気持ちが軽くなりますので愛読しています。 そして、物事の捉え方を変えるように 少しずつですが実践しているつもり・・・です。 私が何度も読んでいるのは、『心をリセットしたい時に読む本』です。 他の本でも、モタ先生の本には気持ちの持ち方が具体的に書かれています。 お手持ちの本を読み返してみてください。 その中で、自分にあてはまるものを 少しずつ実践していけば良いと思います。 ↑ これが、『主体的に治療する』ことにつながるかとも思います。 鬱は、物事の捉え方ひとつで改善する部分も多いと思います。 『認知療法』など難しいことはしなくても モタ先生の本を読み、貴方様の捉え方を変えればもっと楽になると思います。 貴方様が モタ先生の本を読まれているとのことで ちょっと口を挟んでしまいました。 お邪魔しました~♪ そして、お大事に♪♪
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- tumaritou1
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自分の心の不安を、他人任せにして、他人から何とかしもらおうとする事は、医師に任せていると言う事で良いとう風潮がありますが、本当の意味で言うなら不可能の事をしているように見えます。 何故なら、人に言われて不安が無くなる訳ではないからです。又教えてもらったからといって良くなるものでもないからです。本当に良くなるとは『自分自身が本当に体から納得』出来なければ、治らないと思うからです。不安の解消は『頭の知識』ではかなり無理があると思うからです。 不安の解消を学ぶとするなら、それは『禅』の中にこそ在ります。禅道場に行ったほうが良いと言うつもりはありません。不安の解消と言う事を禅と言うものを通じて、説明したいと思うからです。 昔は精神科医が存在していません、そういう昔の人の心の苦しみが生み出したものが『宗教文化の発展』です。お釈迦様で言うなら、王様の位さえも捨てなくてはならない『心の苦しみ』が在ったという事になります。 仏教の根本とは『一切皆苦』と言うものから出発しています。是は「精神疾患」と読み解いても良いと言えます。自我意識が圧迫されていると言う意味です。その圧迫感から『心が』苦しいと悲鳴を上げています。それは精神疾患といっても良いと言う意味です。 不安を抱えた人は、昔は宗教家の門を叩いた筈ですが、今はどういう訳か『精神科医』のところへ集まっています。ですが精神科医達も、{内因性精神疾患の本態が今日までわかっていないのは精神医学の恥辱である。}としながらも、『薬を出しておきます、治療をすれば治ります』と言っています 不安と言うものが、或いは心が、どうして苦しくなるのか、と言う原因を特定できていないように見受けられます。ですがこの答えは何千年も前の時代に判っています。それでこの解決方法とその原理を書いてみますので、参考にして下さい。 心を病む原因は簡単な原理からです。心を病むと言う事は『心の矛盾や対立や分裂』からです。それは人間には心が二つ在るためです。一つは自我意識です、心を病んでいると言う心です。ですが、判り難いですが人間にはもう一つ心が在ります。意識と言うほうが良いかも知れません。 その意識とは『無意識や潜在意識や生命活動を司っている者』です。人間は『自我意識』が絶対で自我意識のみで生きていると言う勘違いをしています。自我意識は分別脳の別名です。人生は『分別』のみでは成り立たないように出来ています。 分別脳で人生の問題全てを解こうとするところから、人間の悩みが始まっています。どういう事かと言いますと、人生には『割り切れない問題が』降り掛かってくるからです。割り切れない問題を、割り切る事しか出来ない『脳』で処理をしようとしてしまうからです。 人間の心は自我意識のみでは「正常」に働かないように出来ているからです。人間の行動全てに関わっている問題ですが、意識する、と言う事と、無意識でするという繰り返しで人間の行動は『正常に』保たれています。眠る時でさえ眠る事を『意識』した場合は眠れなくなります。自我意識が自我意識の力で眠ろうとする事が『不眠症』という事になります。 健常者と言う人は、眠る事を意識しないで、眠ろうとした場合には『意識は無くなって』自然と無意識の自分に切り替わっています。無意識の自分が深い眠りに誘っています。そうして目覚めの良い朝が来る事になります。 心が苦しくなる裏側の話です。心は圧迫を受けています。何処から来ているのか判らない感覚ですが、分けの分からない不安や罪悪感や漠然とした気持ちの悪い感覚の事です。この感覚はそうさせる者がいるためです。それがもう一つの意識の存在という事になります。 高い所に上がった時の感覚、納期が迫った時の切羽詰った感覚、恋人に会う前のあの感覚、スピードを出し過ぎてコーナーに入る時の感覚、急ブレーキを掛ける時には『思わず」足はブレーキペダルを踏んでいます。ところでこのブレーキを踏んだのは『誰ですか?』と言う事がカギになります。 或いはオリンピック等でのメダルに近い演技等です。或いは一流歌手や、一流の俳優などの動きです。或いは優勝が掛かった時の『一打を』打つ時の事です。 今言った事全てが『自我意識』が出ないようにしていると言う事実です。自我意識が出て引っ込めなくなった時が神経症や精神疾患です。自我意識が引っ込んでいる状態とは『没我』の時です。 自我意識ではない『われ』に、体と心を預けた時が健常者という事になります。自我意識が体と心の心配をしない時の事です。『意識が、心や体のことを心配していない状態』の事です。すなわち『心が、心の状態や、体の状態の事を』忘れた時の事です。意識で生きようとしないで、意識が生きる事を忘れた状態が、無病息災と言う事です。没我を東洋の無と言います
- toshichan-
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5月初旬から5回に分けて読売新聞に連載された 医療ルネッサンスはお読みになりましたか? ネットでも読めます。 うつ治療を見直す(1)~(5) URL⇒http://yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=24456 日本のうつ治療は投薬中心で、かえって治りを遅らせていることが指摘されています。 イギリスでは運動療法を取り入れているのだとか、 認知行動療法により、考え方の偏りを修正させるなど、 患者も主体的に病気に取り組まなければならないことが指摘されています。 ただ、認知行動療法は半端では出来ません。 あることについて、書きまくり書きまくり、宿題のようなものも出されます。 そうして、人生40年の物事の捉え方を修正し、 自動思考を作り上げていくわけですから、並大抵のことでは出来ません。 なので、私はあなたの主治医が言ったことの意味が分かります。 私もうつ暦7年で、自殺未遂1回、三度入退院し、 カウンセリング、認知行動療法も体験済みです。 入院期間を利用し、うつの医学書読みましたが、唯一分かったことは、 うつとは何がなんだかわけの分からない病気であるということでした。 投薬中心の治療も仮説に基づくものでしかないということです。 日本の精神医療は欧米より10年は遅れていますから、 新聞の連載記事で、目からうろこでした。 最近主治医がやたら運動を進めるなと思っていたら、 その理由が分かりました。 医師も訳の分からない病気と対峙しているわけですから、 医師だけを攻めるわけにも行きません。 うつについて勉強し、自分も主体的に治療に携わらなければならないと 強く感じました。
- sakura-394
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ユング派であれフロイト派であれ何であれ、いろいろな視点から自分自身を客観的に見る方法を学ぶ事は、無意味ではないと思います。 ただ、そのせいで自分自身を悲観的に分析してしまったり、主治医の治療に不信感を抱いてしまう結果になるとすれば、nao913さん自身にとってもマイナス効果となる可能性もまったくないとは言えないかも知れません。 認知行動療法などは、具体的に分かりやすく解説している本も多いので、ご自身で試してみる価値はあるかも知れませんし、「認知行動療法とは、どのような理屈で治療を目指すものなのか」という事をご自身で理解して試された方が、効果が期待できる面もあると思います。 いずれにしても、物事を深く考え込んでしまう傾向がある人が、独学で自分自身を分析する事は、少し危険な面もあると思いますが、nao913さんが客観的にご自身を見る自信がおありなのであれば、大いに学ばれてみてはいかがでしょうか。 蛇足ですが、ユングやフロイトなどは、あくまで心理学ですので、精神科医はあまり意識していない場合も少なくないと思っています。今の精神医学の中心は、薬物療法だと思います。
お礼
ご自身の体験からの貴重なご意見、本当にありがとうございます。 私も、生半可な文庫本を読みかじった程度の知識で、 主治医の治療がどうのこうのと考えたのは良くないことと反省しています。 「患者が主体的に治療する」ということに賛同できます。 私もウォーキングを、調子が良くて、出来る時にはしているのですが、 心臓の心拍数と同じ歩数のピッチで歩くと、鬱に効果的だとどかで聞いたことがあります。 >医師も訳の分からない病気と対峙しているわけですから、 >医師だけを攻めるわけにも行きません。 >うつについて勉強し、自分も主体的に治療に携わらなければならないと >強く感じました。 ありがとうございます。 確かに主治医だけを責めることはできませんし、 薬物は「助け」程度と思って、運動とか趣味とか家事(専業主夫ですが・・・)とか、 何か動くことで、自分を責めることを避けていかないといけませんね・・・