- ベストアンサー
「○○なんて、どーせ使わんやろ」って言われたとき
私は、アルバイトで塾の講師をしております。 教職員様・同業者様・親御様に置かれては、たぶん私と同じような経験をされていると思うんですが、勉強を教えているとき「こんなん、どーせ社会に出てもつかわへんから意味無いわ~」と言わることが多々あります。「勉強の内容じゃなくて、その過程にこそ意味があるんだよ」と諭すんですが中学生に通じるはずもなく・・・(泣) 「実際、こんなところでつかわれているんだぞ」と言い返すことができれば説得力があって良いと思い、考えてはみるんですが・・なかなか良い例も見いだせなくて困ってしまい、「どうせ言い訳」とスルーするのが常です。 なにかうまい切り返し方は無いものでしょうか。 「○○はこんな分野でつかわれているよ~(できれば中学数学・理科の範囲だけで・・・贅沢言って申し訳ありません・・・^^;)」と言う各論でもかまいません。是非、お知恵を拝借したい次第です。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
そういうことを言う奴は、勉強が嫌で言い訳を探しているだけです。 そもそも、何も学んでいない段階で将来の必要性を的確の判断する能力が自分に有るわけもないことを自覚していないわけですが。 ま、以前「二次方程式の解の公式は、社会に出てから使ったことがないから不要だ」と発言した間抜けな文部大臣もいるくらいですから、子供に見識がないのも仕方がないのですが。 もしそれでも説得するとすれば、体育にたとえてみたらどうですか。 ボール投げ、50m走、うんてい、ソフトボール、走り高跳び、1500走・・いろいろなことを学校でやりますが、社会に出てから必要なことはどれだけあるでしょうか? ソフトボールをして給料を貰ってる人なんて日本全体で何10人いるかどうかですね。 1500走は心肺能力を鍛える効果があるからやっているのであって、大人になったらマラソンをしないといけなくなるからやっているのではありません。 体育は、体を鍛える手段として、いろいろな種目をやります。そして、学校でいろいろな種目をやっておけば、学校を出た後も、自力で体力が衰えないように自分を鍛えることが出来ます。 勉強も同じです。社会に出てから、いろいろな、予期できないトラブルに出会ったときに解決できるように、頭を鍛えるというのが目的です。「新しいことを身につけるにはどうしたらいいか」「判らないことが判るようになるためにはどのようにすればいいか」というメタ知識といいますが、これを身につけるための演習課題が、個々の学習課題ということになります。 給料を貰うために必要な知識だけ持っているのは下層労働階級。 ひとかどの人物ともなれば、生活ために必要な知識以外の一般教養を厚く持っているのが当然。あと、なにか楽器が弾けるとか、1芸2芸は追加で持ってる。 なんて考えはすっかり日本から消えてしまいましたね。
その他の回答 (6)
- tobitobi123
- ベストアンサー率6% (1/16)
自然科学の知識は,我々の生活の基本です。 天気のこと,環境のこと,工業製品のこと,化学製品のこと,医学的なこと,農作物のこと等,すべて自然科学の知識を必要とされています。 安全に生活するためには,自分での判断が必要です。企業や関係者がいうことは鵜呑みにできません。そのために必要な知識を学ぶためには,最低でも高校の知識が必要でしょう。 こんな勉強使わないと思っている者は,危険なこともわからずにだまされてしまうことでしょう。 このように言ってあげましょう。
お礼
利よりも害を諭す方が効果的かもしれませんね。 是非使ってみます。 ご回答ありがとうございました。
悪いけど… 「どうせ~」と口にする人間には『何を言っても無駄』です。「どうせ~」が口癖の人間は最初から他人の意見などに興味が無いのです。後で困るなんてことは毛頭考えない、前頭葉の発達が遅い獣です。ほとんどの場合親も同様の性格。塾の講師ならそんな奴は置いていっても問題ないのですから無駄な時間をかけて説得することはありません。
お礼
>『何を言っても無駄』です。 彼らは変に開き直っているというか、仰るとおり“後で困る”なんてこれっぽっちも考えていませんから、どこかで「勉強は自分のためにしている」と言う自覚を持たなければ本当に没落してしまうでしょう。『何を言っても無駄』という思いがあるのも事実ですが、自覚を持つ切っ掛けの一つになればと思っております。 ご回答ありがとうございました。
- gatt_mk
- ベストアンサー率29% (356/1220)
>「こんなん、どーせ社会に出てもつかわへんから意味無いわ~」 具体的に何をさしてそのようなことを言われているのかわかりませんが、社会に出てからその知識を使うかどうかはそれぞれの人生において違うと思います。 例えば土木や設計などの仕事をしてしている人は、面積や長さを出す計算はできて当たり前です。そうした計算の基礎となる算数や数学の知識がなければ、そうした分野での仕事につながる勉強をするのは難しいですし、選択肢が狭まってくる可能性もあります。 また、「ワーテルローの戦い」というのが単なる歴史的史実として考えるか、現在の国際情勢に大きな歴史的な影響を与えた出来事と考えるかで、ものの見方は変わって来ます。その事実があったことすら知らないというのでは、知識を得るきっかけすら見つけられないかもしれません。 学校だけの範囲で物事に接しているとその勉強の意味がわからなくなりがちですが、世の中に出ると結構学校で勉強したことと同じような勉強をする機械はありますので、学校での経験が自分の向き・不向きがわかる要因になります。 どこかで使えると言うことよりもその知識や、勉強した経験がいろいろな節目での選択肢が増えることに大きな意味があるように思います。
お礼
>具体的に何をさしてそのようなことを たとえば、最近では、連立方程式を解いているときに言われました。私自身が、まだまだ物事を知りませんから「『係数を合わせて、辺々引く』と言う作業が実社会でどれほど役に立つのか」と言われると、答える自信がありません。 >どこかで使えると言うことよりもその知識や、勉強した経験がいろいろな節目での選択肢が増えることに 今度使ってみます。ご回答ありがとうございました。
- ikaihsot
- ベストアンサー率37% (289/771)
中学校で習うことはすべてにおける基礎だから、ここでつまずくと 後々高校・大学で困ることになるかもしれないし、反対にこれを しっかりやっておけば色々なことに応用できるようになる…、 というのはどうでしょうか? 実際子供たちも親の口真似だったりして心底そう思っているという わけでもなさそうですよね。「意味がある」と重く考えずに 将来に希望が持てるようなおおまかな言い方で良いと思うのですが。
お礼
>実際子供たちも親の口真似だったりして心底そう思っているという >わけでもなさそうですよね。 仰るとおりです。大人が安易に「学校でやってる勉強に意味はないよ」と言ってしまうからいけないんですよね・・・(そんな人には「じゃあ、意味のある勉強って何なんですか?」とか「あなたは、自分で意味のあると思う“勉強”というのを、学んでおられますか?」とか質問してやりたいなぁ、とかねてから思っています)・・・そんなことを言う大人がいなければ、自分から「勉強って必要なのか」という疑問を持つことはあっても、「どうせ使わない」という決めつけは起こるはずが無いと思います。 “砂上の楼閣”っていうんですか、「砂漠に立派な建物を建てたって、すぐに倒れてしまうよね」って、次はその線で言ってみようかなぁと思います。ありがとうございました。
全てのカテゴリで「どうして勉強」で検索。 なるほどねー とか こう言うか と思える物がいくつか回答されている。
お礼
検索してみました。 やっぱり『考える過程が大事』『堪え忍ぶことを学ぶ』『いつか使うかもしれない』と言った内容がほとんどですね。結局そう言うことだと私も思いますし、いつもこういう事を言って切り返して見るのですが、彼らには説得力は無いみたいです。なにか・・・「これだ」っと言うような切り返し方は無いものでしょうか・・・ 参考になりました。ご回答ありがとうございました。
- mi-dog
- ベストアンサー率6% (92/1479)
大人になったとき、問題が起きたらそのつど、経験した思考プロセスが役立つとか?
お礼
>大人になったとき、問題が起きたらそのつど、経験した思考プロセスが役立つとか? 似たようなことは何度も言ってみたんですが、全く分かって貰えないんですよね・・・中学生に分かれって言う方が無理があるんでしょうか。 ご回答ありがとうございました。
お礼
>何も学んでいない段階で将来の必要性を的確の判断する能力が自分に有るわけもないことを自覚していないわけですが。 そこなんですね。本当に無知ですから、何を言っても全くかなわず、たちが悪いです。 >子供に見識がないのも仕方がないのですが。 中学生とかそう言った年頃の子供は、これから見識というものをどんどん身につけてゆくと言う時期でしょうから、難しいかもしれませんね。その文部大臣なんかは問題外ですが、テレビなんかで“自由”とか“権利”とかあまり安易に使わないほうが良いと思います。「これを言い訳に勉強を免れる、しめたっ」てなるに決まってますよね・・・ >給料を貰うために必要な知識だけ持っているのは下層労働階級。 彼らはこのままでは、それすらも持ち合わせていない人間になってしまうでしょう。だから“体育の例”を使ってみることにします。色々応用が利きそうで、大変参考になります。 ご回答ありがとうございました。