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大東亜戦争について
いつもお世話様です。 戦後、62年が経ち日本が列強と戦争していた大事な事実をあまり思い出すことなく暮らしております。 学校では大した歴史は教えてもらえず、自分なりにいろいろ勉強しました。 勉強する前は「あんな大国と戦争して日本は勝てると思てたんやろか」なんて漠然と考えていました。 ハルノートを突きつけられ、生きるか死ぬかの選択であったと理解していますが、ここで疑問が生じます。 大東亜共栄圏の大義名分の下、列強による植民地支配から逃れるために日本は立ち上がります。結果、アジア諸国の独立に繋がったとも考えます。 ですが、敗戦後アメリカは親切でした。GHQは日本を復興させます。 勿論、日本人の努力・朝鮮戦争の恩恵もありますが。 私はよく友人などに「明治維新が少しでも遅れていたらロシアの植民地になっていたんちゃう?」なんて話しますが・・もし、日本がハルノートを突きつけられた時、和平を選択していたら日本の運命はどうなっていたのでしょうか? 実際は大東亜戦争を戦ったのですから考え得る想像になりますが・・どうかご意見お聞かせ下さい!よろしくお願いします。
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歴史にIFはないわけですが、ハルノートを突きつけられてから「ハルノートを前提として交渉しよう」とアメリカに逆提案することは日本にとって利益をもたらしたと思われます。 以下、ハルノートの対訳 http://chukai.ne.jp/~masago/hullnote.html を前提に書きます。 (理由) 1. ハルノートで日本にとって一番受け入れられない事項は「日本国政府は、支那及び印度支那より一切の陸、海、空軍兵力及び警察力を撤収すべし」でした。 一方、この条項には期限が設定されていません。いつまでに日本が中国と仏領インドシナから撤兵するかは「交渉による」ことになります。 実際問題として、泥沼化した日中戦争は、日本を疲弊させこそすれ利益を与えてはいませんでした。中国本土から撤兵する良い機会であった、とさえ言えるかもしれません。 この文書での「China」は「Manchuria」を含むかどうか明文がありません。アメリカは「満洲を含まない中国本土」と考えていたという説がありますが、これも「交渉事項」です。 アメリカは、満州国の設立及びそこでの日本の優越的地位については、歴史的にほとんど文句をつけた例がありません。そこからすると、この文書での「China」は「Manchuria」を含まないという解釈が自然だと思います。 2. ハルノートを受けて日米が交渉を始めれば、「日本の在米資産凍結」、即ち「日本との貿易停止」という経済制裁が解除されます。これは、日本がハルノートに沿った交渉を始めれば直ちに解除されると読めます。さらに、廃棄された日米通商航海条約に代わる通商条約の締結交渉も開始されるわけですから、日本にとって相当に大きなメリットを産みます。 3. 日本の対英米戦争計画は「ドイツがソ連を早期に降伏させて衛星国とし、返す刀でイギリスに侵攻するか降伏させる」という甚だ他力本願、虫の良い予想を前提としていました。「イギリス本国が降伏すれば、アメリカはドイツ・日本と世界を三分することに同意せざるを得ないだろう」という話です。 ハルノートが日本に提示された11月26日の時点では、ドイツ軍の攻撃が寒さによって鈍っていることは知られていなかったでしょう。12月に入ると、ソ連軍に極東から増援が到着し、ドイツの旗色が急激に悪くなりました。これは、ソ連とドイツの公式発表を比較することで容易に把握できたでしょう。 即ち「ドイツがソ連を早期に降伏させる」という、元々根拠の薄い自分勝手な前提が崩れるのですから「アメリカやイギリスを攻撃して資源を得たとして、一体どうするの?頼みのドイツはソ連に負けるかも」ということが見えてきます。 日本がハルノートに沿ってアメリカと粘り強く交渉して不毛な支那事変を打ち切り、ソ連と死闘を繰り広げるドイツを横目で見ながらアメリカと通商条約を結んで貿易を再開し、「満洲・朝鮮・台湾・日本本土」という日本の経済圏で何とかやっていく道を模索すれば…余りにも無謀な対米先制攻撃、1945年の悲惨な敗戦は回避できたでしょう。日本がアメリカと通商関係を回復し、ABCD包囲網も解除されれば、日本は第一次大戦の時と同様に「ヨーロッパの戦争で儲ける」ことすら可能です。 ただ、その場合に、2007年の日本は我々の住んでいる日本より住みにくい国であった可能性があります。戦後の日本に限りないプラス影響をもたらした「農地解放」が行なわれないからです。日本陸軍が存続していて、20歳になると徴兵検査が待っているというのも非常に嫌ですね。
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- a-koshino
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日本が開戦を決断したのは、諸説ありますが11月5日の御前会議です。ハル・ノートが突きつけられた時点(日本時間11月27日)で、真珠湾攻撃のため、すでに機動部隊はヒトカップ湾を出航(11月26日)していました。 もしも日本が和平を選択し、機動部隊を呼び戻した場合、日本は中華民国から撤兵(ハル・ノートの条件)しますので、大量の石油を消費する必要もなくなり、二次大戦特需で高度成長できたかもしれませんが、軍によって和平を潰される可能性の方が、はるかに高いでしょう。
お礼
なるほど! 的確なお答えありがとうございます。 私はずっと不思議でした。 大東亜戦争の後、高度成長を成した日本が何故、アジアに侵出したのか!国民を食べさせるため仕方なく侵出したのなら戦後も今日の様な経済発展はないのでは?と言う風に。。。 明治維新以降、軍の力が大きくどうにもならなかった。そして、原爆が広島に投下され、「降伏しなければ又、原爆を投下する」というアメリカの勧告も国民には知らせず、軍部は突き進んだ。原爆を投下したアメリカはさることながら日本の軍部にも責任があるな。と新たな発見にもなりました。
- thisaway
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もし、政府が軍部の反対を押し切ってハルノートを受諾していたならば、恐らく軍部による大規模なクーデターが発生し政府は転覆、軍事政権が樹立されるか、最悪の場合内戦状態になっていたと思います。 それでなくとも、226や515、10月事件、3月事件など当時はクーデター未遂事件が頻発しておりましたので、ハルノート受諾による大規模クーデターは確実に起こっていたと思われます。 これを恐れた為、日本政府は真珠湾攻撃をするしか道はなくなったのです。 逆に言えば、それを見越した上でのハルノートだった、ともいえます。 アメリカ恐るべし。
お礼
ご意見ありがとうございます。 アメリカ・・恐るべし!〔笑〕 イギリスのチャーチルにそそのかされたせいかと考えたりしていましたが日露戦争終焉直後から日本は仮想敵国でありオレンヂ計画がありましたね。 その頃の日本はルーズベルトに感謝していました。 正に、原住民をアメリカ大陸から追い出し、黒人を奴隷として開拓させた国だけのことはあります。世界が同じようだったかも知れませんが。 そして現在の日本も又、アメリカ恐るべしだと私は考えます。
- Wikky
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私見ですが、ハルノートは日本にその内容を飲ませることが目的だったのではなく日本に開戦を決意させるのが目的だったのではないでしょうか。 アメリカも自国から日本に仕掛けるのは国民感情など対処しなければならない問題が多かったはずが、日本に先制攻撃させることで大義名分を得たかったのではないかと思います。 だから、仮にハルノートを受け入れてもその後さらに過酷な要求を押し付けられて最終的には開戦せざるを得なくなっていたのではないでしょうか。
お礼
早速にありがとうございます。 要するに黄色人種のくせに列強と肩を並べ、その上、アジアに勢力を広めて行った日本を何としても潰したかった。 悲しい現実です。
- rin00003
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ハルノートには石油の供給再開のことは書いておらず、日本政府は中国、インドシナから軍隊等を撤収せよ。というような内容だったと思います。 受け入れて撤収してしまえば、資源のない日本はより生活が苦しくなり ほうぼうで内乱が起こるでしょうね。 なにより、軍隊も意味がなさなくなり、外国に侵略されることも考えられます。 外交能力がないのか、軍部が暴走したのが悪いのかはわかりませんがハルノートを突きつけられた以上、戦争するしかなかったのでしょうね。
お礼
ハルノートは日露戦争以降の日本の東アジアで構築した権益や領土の返還と軍の撤退、軍事同盟の破棄だったと記憶しています。 たくさんの兵の血で造った利権です。 到底、無理な話ですね。 ご意見、感謝します。
- popotan5-8
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「米英討つべし」という国民感情論(大手新聞に煽られ過ぎたのも背景にありますが)もあり、開戦しなければ政府は政体を維持できなかったでしょう。 それにハルノートには、日本が到底飲めないであろう条件を意図的に盛り込んだものであり、決して受け入れなかったでしょう。 大東亜戦争が始まる前から、列強に肩を並べたくて必死に軍拡して中国をはじめとするアジア方面への侵略を常に狙ってきた日本。 なので、たとえこの戦争がなくてもまたどこかで口実を作っては戦争を始めたでしょう。 たいした力もなく慢心が日本中を覆っていましたから、一回手ひどく殴られなければ、目が覚めなかったのではないでしょうか?(軍民合せて300万の死者を出さなければいけませんでした。 涙)
お礼
あの戦争は無謀なようにも思いますがいろんな意味で重要で大切な避けて通れない戦争であったと再認識しました。 貴重なご意見ありがとうございます。
- oscar-
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私は開戦が遅くなっただけだろうと考えています。 当時の世界情勢を鑑みると、仮に妥協し受け入れても、妥協部分を修正要求したり、さらなる要求を突きつけてさらに日本を窮地に追い込ませたでしょうから。 また、ハルノートを提示された時点で海軍航空部隊は鹿児島湾にて真珠湾攻撃の訓練をしていました。 あと、アメリカが日本に親切にしたのはまったくの政治的な思惑からです。日本はアメリカのカーテンにするためです。
お礼
OSCAR-さんのご意見にもアメリカ恐るべし!と、感じてしまいます。 アメリカから押し付けられた憲法9条を未だ守ろうとする動きが悲しいです。 日米安保は必要でしょうが自国を守るのはアメリカ?ぞっとします。 話が反れましたがすみません。 ありがとうございました。
- 風車の 弥七(@t87300)
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ハルノートを突きつけられて、和平を選択したら日本は滅んでいたでしょう。 世界中から馬鹿にされ、戦争を仕掛けられていたでしょうね。
お礼
戦い・・あるのみだったことが、皆様のご意見頂戴してよく理解出来ました。 世界って怖いですね。ありがとうございました。
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お礼
確かに歴史に「もしも・・」はございません。 要は外交が下手ということでしょうか? 最後に述べて下さった我々の住んでいる日本より、住みにくい日本であったら良かった。なんて考えました。タイの首相になったククリット・プラモートさんが記者時代に「12月8日」という記事の中で日本に敬意を表せています。ですが、後年、日本に嫌悪を感じてしまうと私は理解しております。戦後の日本は変わってしまったのでしょう。 私は、韓国や中国が羨ましいと感じることがあります。 愛国心があり、間違った事象であっても我が国を絶賛して止まないからです。 日本が侵略戦争をしたとしても、正しい行いも実在したと思います。 日本人である私が歴史認識を日本有利に考えて当然だとも私は思います。 どうして、日本人は日本自体を責めたりする人がこんなに多いのか。そんな教育なんですね。 愛国心なんて持てるはずがありません。 愛国心を計る項目を通知表に設ける以前に本当の歴史を教えるべきです。そうすればおのずと愛国心は育ちます。すみません、余談です! 本当にありがとうございました。