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かぐや姫の昇天(8月15日)とマリア様の昇天(8月15日)が同じ日なのは偶然でしょうか?

かぐや姫の昇天(8月15日)とマリア様の昇天(8月15日)が同じ日なのは偶然でしょうか? かぐや姫の作者はキリスト教のこと、キリスト教の数々の逸話を知っていたのではないでしょうか?

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  • kigurumi
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回答No.3

二人の方の回答をヒントに考えました。 いくつもの話が統合されているんじゃないか と思いますが、、、、 ある説によると、このかぐや姫のモデルとなった人の名前は海部厳子。 海部氏といえば丹後王朝国家。 丹後王朝国家は祟神天皇の東征により、徐々に大和朝廷に追いやられて衰退の一途を辿った。 しかし古き姫巫女の授受ととかつての大豪族だったという名跡を朝廷でも重んじられたため、大和では蝦夷討伐のような撲滅作戦には出にくかった。 その結果、姫巫女を天皇の妃(側室)として輿入れさせる方策を採ることに路線を変更した。 丹後王朝の姫巫女たちは、大和の屈辱的な方策に徹底抗戦して、断固として妃への道を拒否し続けた。 これが世に言う「かぐや姫伝説」となったのだそうです。 海部厳子姫は20歳の時、後の淳和天皇になる人に見初められ、第4妃として迎えられ、名前も故郷にちなんで眞名井御前とし、帝の寵愛を一身に集めたが、後宮の女官たちの激しい嫉妬に無情を感じ、26歳の時に次女を連れて宮中を出て、観音のお告げのままに西宮なる如意輪摩尼峰に至り、一字を建てた。 この年天長5年(828)11月、眞名井御前は弘法大師を甲山に迎え、11日の如意輪の秘法を修した。 まだ続きますが、長いので以下省略。 (元伊勢籠神社御由緒略記より でした) で、この弘法大師が空海のことなので、まるでイエスとマリアの悲恋のように、日本でも空海と眞名井御前の悲恋物語があるんですね。 で、如意尼(厳子)は天長8年(831)3月20日、弘法大師が座す南方に向かって合唱をし、如意輪観音の真言を唱えながら、そのまま紫の雲に乗って還化した。 するとその翌日、高野山なる法膨大しも後を追うかのように入定。 あら、3月20日ですね。 で、古代においての概念。 太陽は男の神のシンボル。 月は女神のシンボル。 月は満ち欠けをしますよね。 満月の時が一番パワーがあるとされた。 しかし世の中と同様、諸行無常で、とうとう見えなくなる。 しかし、世の中と違うのは、滅した後、3日後に復活する。 (新月=全く見えなくなる。 その3日後が三日月=肉眼で確認できる) これが女神の概念。 春になると何もない大地に生命を与え、生命に食べ物を与え、それで中秋の名月(一番月が輝いている時)になると人々は、神に感謝して取れた最初の収穫物を神に捧げた。 神はやがて山に戻っていくが、また春になると山からやってきて、麓に豊穣をもたらす。 と。 でも、日本は太陽の国で、天照は女じゃないか? 太陽神=天照でおかしいじゃないか? いや、本当は男神なんですが、陰陽の関係で女にしなければならなかったらしいです。 マリアの概念も女神の概念があったからそうなったんじゃないでしょうか。 女神の概念、三面一体。(創造主 養育主 破壊主) だから イエスを産み 育て イエスが死ぬ時立ち会った。 という物語になったんじゃないかと。 ちなみに中東のマリアと厳子 関係が無いかというと、ありそうなんですね。 空海も関係がある。 空海は何者か? 空海の幼名は真魚(マナ)。 父親は佐伯直公、母親は玉依御前。 佐伯氏とは種族名であり、出自は蝦夷族と言われている。 勤操大徳影の讃序によると、空海の父親は秦氏、母親は嶋氏と記述されている。 で、秦氏はユダヤからの渡来人、カモ氏はレビ族というのを信じれば、空海は大陸を横断して日本にやってくることになったユダヤ系の人ってことになる。 (ただ、辿ろうとしても、わざと消したようで、今のとこ辿れませんが) 空海の師匠の般若三蔵、消えたイスラエルの10支族の一部、アーラービー族の末裔という説もある。 厳子のいた古代丹後王朝は天火明尊を主祭神とした大和朝廷をまつろわない(服従しない 、独立国家だった。 天火明尊は天神であるニニギノミコトとコノハナサクヤヒメノミコトの子供。 天神とは天孫族=渡来した神 という図式になる。 古代丹後王朝の祭祀を司ってきた氏族を海部氏という。 つまり空海も厳子も祭祀一家なわけですね。 ってことで無理やりこじつければ、かぐや姫とマリアはつながりを持っているってなっちゃうわけです。 でもマリアは一般人じゃないか? いや、、、、従姉妹のエリザベスがアロン家なので、祭祀系の血は引いているかもしれない。 とまあ 脱線しましたが、古代の女神の概念からそうなったんじゃないかと思います。

その他の回答 (2)

  • nabayosh
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回答No.2

最初の方と別な角度で。 空海が中国で触れたかもしれないと言われるキリスト教というのは、ネストリウス派で、景教とも呼ばれるものですが、この派では聖母信仰を否定していますから、この経路で伝わったとは考えにくいですね。 遣唐使を廃止して以降はなおのことそういう情報が入ってきた可能性は非常に低いです。 さらにさらに、東方正教会が使用していた暦と日本の旧暦はまったくの別物ですので、そのことを無視して「何か関係があるのでは」と考えるのはおかしな話であると思います。

  • luune21
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回答No.1

かぐや姫の昇天(死ぬという意味でもない)が「8月15日」なのは、その日がどんな年であっても必ず"中秋の名月"の日だからです。陰暦ですからね。 日本で一番美しいとされる満月の日。その日を選ぶ必然性がそこにあるといえるでしょう。 かぐや姫の昇天は、独立排除的に「8月15日」でなければないらないのだと思います。

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