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第2次大戦の終結から考えること

日本が第2次大戦の幕引きを渋ったのは、国体維持の問題が大きかったのだと聞きます。つまりは、貴族院とか皇族の問題が大きく絡んでいて、これは当時の政治に影響力があり中枢を担っていたわけで、その維持をめぐってどうこうという間に、都市は爆撃され原爆が投下されたわけです。また離島の玉砕もあります。 これは、考えようによっては、日本に民主革命がおきなかった付けを払わされたということではないでしょうか。あるいは、やはり当事者の決断が悪かったのでしょうか?

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  • eroero1919
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回答No.1

確かに、先の戦争の終結において日本政府がこだわったのは国体の護持であったのは間違いないです。しかし、じゃあだからといって皇族が政治的に影響力があったかというと、それはほとんどありませんでした。例えば、開戦直前に昭和天皇は「本当にアメリカと戦争して大丈夫か」とかなりしつこく聞いています。御前会議(天皇出席の会議)で昭和天皇は「発言する」と言い出して周囲を慌てさせています。当時、既に御前会議は形骸化していて「陛下、このようになります」という申し出に天皇がケチをつけるというのはありえないこととなっていたのですね。会議において天皇自らが発言すること自体が異例となっていたのです。 そもそも、軍部が暴走するきっかけになったのはいわゆる「統帥権」です。軍部はこの統帥権を利用して政治システムを骨抜きにしていったんですね。で、結局のところそれは「天皇陛下のため」という名目になるんです。ですから、軍部としても国体の護持にこだわらないとそもそも何のためにこうなったかのつじつまが合わなくなってしまうのです。軍部そのものが「天皇への絶対の忠誠心」を軍そのものへの求心力としても利用しているので、そこらへんがゆらぐと軍の存在そのもののアイデンティティが問われてしまうのです。 >日本に民主革命がおきなかった付け 見方によっては当時の人々を批判しているようにも受け取れますが、日本では今も昔も本当の意味での革命は起きておらず、また今後も起きることはないと思います。 文部省はゆとり教育をすすめてきましたが、ここにきて「やっぱあれは失敗だった」と大きく方向転換しています。でもお役人は誰も責任をとりませんし、それに対して当事者の学生世代は何も抗議行動をしていません。また、バブル崩壊後日本の被雇用者の立場はどんどん弱くなり、しかし一方経営陣はほとんど責任を取っていません。しかしどこの労働組合もストライキもやらなきゃ暴動も起こりません。これから消費税が値上げされても国民は暴れないでしょう。フランスではフランス革命の伝統にのっとり、今でも気に食わないことがあると暴動が起こります。私たち日本人は、従順な羊なのです。

garcon2000
質問者

お礼

「軍」の横暴腐敗によるところが大きいとのお考えですね。いえている気がします。おそらく1から4までの回答者様の複合体が回答なのでしょう。 民主主義革命と民意の向上、これこそ究極の必要性なのかもしれません。中国韓国北朝鮮とくらべて、なんと日本の民衆のだらしなさ?主張のなさというものが素人レベルでも感じられますね。べつに革命を経験してきた連中でなくてもです。

その他の回答 (3)

  • wsws
  • ベストアンサー率9% (256/2568)
回答No.4

天皇の戦争反対への力は無かったから生き残ると言うのはバカげています。 ヒモ一本、正装した腰にぶら下げた刃物で決着をつけることが出来ると思いますけど。 玉音放送の後に自殺して欲しい、これを願っていた人も多いでしょう。 軍人含め国民は自害した物もいました。 さぞガッカリした事でしょう。それを裏切って厚顔無恥。 これが全てだと思います。腐った見本です。 天皇が生き残る事によって天皇に群がる連中が生き残ったのです。 質問者様が仰る革命が起きなかった付けはミートホープの社長がこれからも楽に生活できる無責任さでしょう。 国敗れて貧乏人あり。共産になろうが国民は生き残るのです。 当時の天皇軍幹部連中が国民を守ったなど噴飯物です。 戦意の無い脱走兵を国民はリンチ殺人をしていました。 早期の白旗講和では天皇・軍に国民暴動リンチは向かったでしょう。 待つことによって空襲や原爆で弱らせてくれたので有り難がるのです。 国民も負けが見えてきて錦の御旗の玉音。これが結論です。

garcon2000
質問者

お礼

筋を通すと考えれば、お答えのようなやり方が一番適しています。革命については、私はもっと逼迫したら起きたかもと思ったのですが、反対ですね。待つことでそういう機運もなくった。

回答No.3

「国体護持」は、単なる言い訳です。 要するに、当時の指導者が、甘い見通しで戦争を始めてしまい、終わらせたいけど、自分達の体面が傷つくのが嫌だと言う勝手な理屈からです。 日本は、あの当時独裁国家であったわけではありません。 植民地と「今は」言われている朝鮮半島や台湾からも国会議員が選出され、日本「本土」の議員達と伍して議会を運営していました。 ある意味では、大正デモクラシーを経験した日本は、世界で最も民主的な国家だったと言えるでしょう。 逆に、民主的であれば平和を希求するのかといえば、そうではありません。 かの民主主義の発祥の地と言えるフランスの歴史を振り返ってみてください。 かの国は、民主革命後、植民地主義を放棄したでしょうか? 対外侵略を止めたでしょうか? 逆に、「民主化」の過程で、徴兵制度を創出し、欧州全土を戦場と化したのです。 ナポレオンは、選挙で選ばれ、議会によって皇帝の地位を認証されたことを忘れてはいけません。 かの、アドルフ・ヒトラーも、選挙によって地位を得たのです。

garcon2000
質問者

お礼

戦前の日本は、結構民主的だったとの議論もあるようです。終わらせたいけど、自分らの対面がということ、いえてるような気がします。「国体」さえ言い訳にするとは何たる堕落なのでしょうか。

  • komes
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回答No.2

終戦時日本が国体の護持に拘ったのは日本の伝統である天皇制が自分たちの時代で終わったという後世の批判を恐れたのが理由と思います。 少なくともそう考える教育にさらされ信念となっていた時代です。 国民自体も国家と心中する覚悟でした。 戦後の民主主義教育はありましたが、日本の民主主義はまだまだ未成熟です。   民主主義というのは他から与えられる者ではなく、血を流して獲得するものです。  その記憶がない日本では民主主義の真の定着はないのではないかと思います。

garcon2000
質問者

お礼

「国体」にこだわったのだというお考えですね。確かに教育は絶大だったのかもしれません。それでなきゃあ全面戦争はできないでしょうから。真の民主主義は血を流した歴史の後でというお考え、まったくそのとおりです。

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