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法要の意味について
法要・三回忌・七回忌などで調べても、納得できないので質問させてください。 母が他界して、毎年命日には親戚の人たちが家に集まります。 亡き人を偲んで、と言えば確かにそうなんだと思います。 でもたまに来る親戚の人たちの中には、母は早くして他界したのは寿命だったけど、あなたは長生きしなくちゃね、とか祖母などを励ましているのを聞いてもいるので、そんな事をいった人が、母の命日に来たりするのは、なんだか納得がいきません。 結局、母の死さえも、親戚の人が集まる口実にされているようで、悲しくなります。 法要の必要性を教えてください。
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- daiba49
- ベストアンサー率23% (3/13)
mizutama81さん、コンバンワ。 お若くしてお母様を亡くされて、 さぞや寂しい想いをされていることでしょう。 私はお寺の住職をしておりますが、学生時代に母が亡くなりました。 当時小学5年生だった妹から、「伯父さん伯母さん達に会いたくない」 と言って困らせられた事を懐かしく思い出します。 法要は「法」(仏の教え)を「かなめ」(拠り所)とする。 法事は「法」(仏の教え)に「事」(つかえ従う)という意味です。 本来は、先立たれた方をご縁にして寄り集う人々が、 お釈迦様の教えを聞くことによって共に心を養い、その後、食事を頂いて共に身体を養う(供養)仏事なのです。 久しぶりに親族が顔を合わせる機会だけでも、意味がある事ですが、 できれば、読経後に僧侶に教えを説いてもらい、 縁ある方々と共に仏教を聞いて頂きたいものです。 もしも説法がない場合は、 遠慮なさらずに、来られる僧侶に説法をお頼み下さいネ。
- enperaru
- ベストアンサー率71% (5/7)
こんにちは^^ 法要の必要性を教えてください。とありますので知ってる範囲で・・ まず、故人の冥福を祈る これは当たり前ですが残された家族が故人に対しての執着や愛情を極楽浄土に送ってやる気持ちに切り替える為でも有るとの事。 1年目・・何とかここまで頑張った でも来年は早、3回忌をしないとの思いがそこで起きる。 そうして3回忌・・じゃあ7回忌まで頑張らないと・・と残された家族は思う。 それが、故人の冥福にも繋がるわけで、、、日にちと共に愛情が供養する気持ちに変わってくるものだと以前 僧侶から聞いた話です。 つまり、残った家族の姿が先に逝った方の成仏している姿と思えば宜しいかと・・ 親戚の人は色んな事言いますよ^^痛みの受け止め方が違うんですから。 僕は冠婚葬祭の時にしか会わない親戚には、表面上の挨拶程度って考えて接してますよ。 でも、故人は皆が集まってくれて喜んでいるんじゃないかな~
お礼
回答ありがとうございます。 母は、父の家に嫁いできて、それなりにがんばったから、こういう風にみんなが集まるんだと、良い方に考えることにします。 ですが、母存命中に仲の良かった母方のおばさん達は来なくなって、父方の、母が他界するまで挨拶もしなかった人たちが同情的に声をかけてくるので、ちょっととまどっているんです。 よけいな事ですが、相続権なども考えると、なんか勘ぐってしまうんです。
- sanni
- ベストアンサー率17% (7/40)
当家の住職は「親戚の人が集まる口実」だけで意味があるよって言ってますよ。それが大きいよって。 私は、浄土真宗なのですが、法要(法事)は、三途の河を渡る節目だと聞いたことがあります。 その節目に、次に行けるように祈ってあげるのだそうです。
お礼
早い回答ありがとうございます。 たしかに、母の人望がなければ、確かにこんなに親戚の人が来たりはしませんね。 母や父は、娘より、親戚づきあいを優先する人たちでした。 今、家に人が大勢きて、ざわついてるので、ちょっと神経質になってしまってるのかもしれません。 ちなみに私の家は日蓮宗です。
補足
3人皆さんの回答すべてが参考になりました。 なので、良回答などの順位が決められないので、締め切るのみにさせてください。 皆さん、ありがとうございましたm(_ _)m
お礼
回答ありがとうございます。 実は、私はそれほど若くはないです。 友人などを見ていると、もっと早く、いろんな理由で親と死に別れているのを見ています。 私の母が死んだのは、突然死で、まったく予想のできない死に方でした。 父はショックだったのか、悲しんだり興奮したりするばかりで、お葬式の段取りや、いろんな届出を、娘の私がほとんど処理しました。 おかげで母の死を悲しんでる暇がなく、一大仕事をなんとかこなした・・・という、悲しみより苦労の思い出が、母の死にはセットになっています。 私は、その苦しさを、思い出したくないんだと、気付きました。
補足
友人達の家族関係などの話を聞くと、私の両親は、親子関係より親戚関係・地域・仕事関係を優先するような感じに、小さい頃から思っていました。 変な話かもしれませんが、鏡を見ると思うのは、私の体型は母そっくりなんです。 私の中にはまちがいなく母の血が流れてると思ってるので、あんまり悲しくはなくて・・・ こういう感じ方も、ちょっと私は変わっているのかもしれません。